レッスン135-自分を防衛するなら、私は攻撃される。

2017-08-09

大きなできごとと赦し

今日は台風後の影響で、都心で37度の猛暑日だ。

今日は長崎への原爆投下の日でもある。72年目の今日、原爆が投下された。先だって8月6日は広島への原爆投下の日だった。

何度ものくりかえしになるけど、ACIMでは、この世のすべてのことは、幻影であるという。

神の子である私たちが「神から離れた」という勘ちがいに対して抱く、罪悪感と恐怖を投影する映画のスクリーンのようなもの。それを、とりなし、「罪は決して起らなかった」と、その奥にある真実を見る目を取り戻すのが、ACIMの根幹である赦しであり、その習得をめざすのが、このワークブックだ。

赦しに大小や難度の差はないという。しかし、大勢の被爆者の方がおられて平均年齢は80歳を超える、その非常に辛く苦しんだ人生の話を聴いて、「それが起こらなかった」と思うのは、何年かACIMを学んできても申し訳ないような気持ちになる。

もし自分や家族に起ったことだったら、そういうことを言う人に対して、やはり強い怒りを覚えてしまうだろう。

私は、聖霊の見方とエゴの見方の中で、ここ数年揺れ動いているんだろうと思う。

レッスン135-自分を防衛するなら、私は攻撃される。

レッスン135の主題概念は「自分を防衛するなら、私は攻撃される。」

これもなかなかむずかしいお題だ。最近ニュースで、核兵器禁止条約に唯一の被爆国である日本は「反対」したのだとやっていた。それは、アメリカの「核の傘」に守られているから、とか。

「核の傘」というのは、核保有国が同盟国に核兵器の抑止力を提供し、安全を保障すること(朝日新聞)らしい。これは、実際には攻撃のための武器が抑止力を持つという前提からスタートしており、大きな傘で恐いものから守ってもらえるというイメージがある。

ACIMのレッスン135の考え方とは、真逆だ(ACIMの考えは最初っから、この世の考えとはまったくちがうけれど)。

脅威の感覚は、内にある弱さの認識である。適切な防衛をしようとさせるだけの威力のある危険が存在する、という信念である。世界はこの狂気の信念に基づいている。そしてそのあらゆる構造、そのすべての考えや疑念、その刑罰や重装備の軍隊、その法律的な規定や規約、その倫理や指導者や神々、こういった一切が、脅威の感覚を温存するために働いている。

防衛とは恐ろしいものである。防衛は恐れから生じ、それがなされるたびに恐れを増大させる。あなたは防衛が安全をもたらすと考えている。しかし防衛とは、恐れが実在化され、恐怖が正当化されたことを物語るものである。

レッスン135では、こうした防衛の真の意味に加え、私たちが肉体に対してなす様々な防衛や、計画というものが実は防衛に他ならないといったことが説かれている。今のこの世では、ほとんどのことが「計画」に基づいてなされているから、計画自体を防衛だと見て、それに頼らないことはむずかしく感じる。

防衛とは、そもそも恐怖があるところになされるもので、その恐怖は突き詰めると、神への恐怖となる。

神は恐怖を与えない。その逆で、神の子の幸せだけを願い、無限の慈愛と穏やかさ、豊かさを与える。

防衛とはその神を信じないと宣言していることだ。

防衛とは、真理に対抗してあなたが作り上げようとする計画である。

過去、現在、未来において起こるあらゆる事柄とすべての出来事が、あなたの幸福だけを目的とする一なる存在により優しく計画されているということを、もしあなたが知っていたなら、あなたに受け入れられないものなどあるだろうか。

つまり、私たちは自分で自分を邪魔して、神の愛にバリアを張っていることになる。レッスン135ではそのバリアを取り除き、「無意味な計画を立てるのをやめ、真理が心の中に入ってくるのを阻む思考のすべてから離れる。

ワークをして

20代の頃学んだ経営学では、Plan(計画)-Do(実行)-See(評価)のマネジメントサイクルを非常に基本的な概念としていてその考えが染みついているから、「計画」=「防衛」との考え方は理屈ではわかるけれども、それに委ねきれていない自分がいる。

何年もACIMを勉強しているつもりだったけれど、計画や振り返りの「害」みたいなものはストンと抜けていた気がする。

神は私に良きことだけを与える。それをエゴの考えによって邪魔しているのが今の私だ。

ずっと私は、失敗しているのかな、心配をしないということに…、と感じた。

だからインスピレーションもキャッチできずに、どんどん矢印をまちがえているのではないか。

「問題」はないのだから、それについて心配するのは、問題をリアルにすることに力を注いでいるだけだ。

ワークの終わりに、神の祭壇をイメージをして、一方には「問題」を捧げ、そして他方には愛と感謝をささげた。

ずっと自分から何かを画策しようとせずに、安心して自分の世界に現れるものに応じていけたらいいのに、、、と思った。

アファメーション

状況わるくない、見方によってはパーフェクト。