レッスン133-私は無価値なものに価値を置かない。

2017-08-02

友人とランチ

8月。2日目。今日は涼しくて過ごしやすい。

昨日は友だちとランチをした。とりとめのない雑談ができ楽しかった。学生の頃や20代の頃はしょちゅう友だちと恋や仕事、人生のことをおしゃべりしていたものだけど、年を重ねるごとに自然とそういうことが減ってきた。

ここ数年ACIMの勉強を始めてからは、自分が世間の価値観とずれている、、、と思うようになり、ますます内向きに。でも、外向きになって新しい友だちを作ったりできたらいいのかもしれない。

そろそろ、そういう時期に来ているのかもしれない。

レッスン133-私は無価値なものに価値を置かない。

レッスン133は「私は無価値なものに価値を置かない。」という主題概念で、価値あるものを選択することについて書かれている。

冒頭の、「このコースは、あなたが持っているそのわずかなものを取り去ろうとしているのではない。世界の中で得られる満足感のかわりに、理想郷的な概念を提供しようというものでもない。」の、後半部分がおもしろく感じた。ともすれば、ACIMを世間逃避の理想郷的観念のように思っていたから。

続いて、「世界の中に、満足というものはないのである。」…とは、いつもながら、過激だ。

レッスン133、自分が求めるものを検証するための真の基準が挙げられている。それをまとめると次のようになる。

〈選択の前提〉

①選択肢は2つしかない。

②中間の選択肢はない。その選択はすべてをもたらすか、何ももたらさないかである。

〈選択基準〉

①永続しないものを選択するなら、それは無価値である。

②他の誰かから奪うなら、手元には何も残らない。

③選択しているものは、自分にとってどんな理由で価値があるのか、何が心を惹きつけるのか、どのような目的に役に立つのか(ここが最も欺かれやすい)。

④もし何かを選択しようとする際に、罪悪感を持つなら、それは偽りの目的が入り込んでいる。

そして、次の言葉を唱え、真に価値を持つ天国に到達するワークを行う。15分×2回。

私は無価値なものに価値を置かない。そして、価値あるものだけを見つけたいので、それだけを追い求める。」

ワークをして

この選択基準は厳しい。

第1の基準を見るだけで怯んでしまう。

この世はほぼ永続しないもので成っているから、そして私たちの身体や生命と思うものも永続しないから。

真の私たちは神の子であって永続するのかもしれないけれど、私はまだそういう見方ができていない。エゴの見方にどっぷりつかっているのだろう。この身体と生命を維持するために役に立つものを欲しいと思い、そういうものを選択している。

ACIMで求められている選択は到底できそうにない、と思ってしまった。

私の少ない趣味のひとつが株投資だ。ある銘柄急落して昨日までの3日で20万円超含み損が増えた(損切りできず)。あ゛~(>_<)

これもまた幻想の中のさらに幻想のようなこと。だけど、、、やっぱり上がるとうれしいし、下がると辛い。

これはまったく永続しないものを選択しようとしているのか。

この非現実もまた赦すことにした。

レッスン133ワークの本質をわかっていないかもしれないけど、指示どおり天国の扉を通るイメージをしたが、天国はこれがそう…とはよくわからなかった。

それでも心は穏やかになり、私は聖霊さん(ホーリースピリット)=本来の自分とともに歩みたい、と気持ちを新たにした。

ワークをして感じたことは、「いつまでエゴの見方をしているのだ。この見方を変えるために事象があり、エゴの見方を手放せるまではそれは何度も起る」というもの。そう誰かに言われた気がした。

アファメーション

今日一日ずっとホーリースピリットを意識しよう。

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