レッスン35-私の心は神の心の一部である。私はとても神聖だ。

2016-07-05

ちょこっとふりかえり

今日は昨日まで2、3日続いた暑さから一転、涼しい。過ごしやすい。暑さで頭がまったく回らずまとまったことを考えられなかったけど、ここでなんとか態勢を立て直したい。

ラーニングジャーナル(学習日誌)として、なんとかブログを続けたいと思っているけど、書く時間も決められたおらず、今は、何とか止めてはいない、っていう感じ。

テキストを読んだり、関係本も読んだり、他の方のACIMブログを覗いてみたりしてブログに書きたいと思っていたけど、まだそこまでもいっていない。

何とかワークの2巡目に付いていってる、という感じだ。

それでも、2巡目はワークがどんなものかも知ってはいるし、これからの流れもわかってはいるから、少し余裕があるように感じる。とりあえずは、ブログのリズムはつかめていないものの、このまま続けてみようと思う。

レッスン35

今日のお題は、今の見え方ではなく、「心眼(ヴィジョン)があなたに見せてくれることになるものについて描写している。」

これは、「真理においてあなたがそうであるはずの存在として、あなたを描写する。」

まず、「私は自分が○○だと見ている」と自己イメージを無作為に思い浮かべ、それを今日のお題で描き変える。

私だったら、

 私は、自分が人より怠け者だと見ている。

 私は、自分が体力気力に乏しいと見ている。

 私は、自分が自己中心的だと見ている。

 私は、自分がそれでも、人にはみんな幸せであってほしい人間だと見ている。

 私は、自分が人に嫌われるのがこわい人間だと見ている。

 私は、実は自分が恵まれていると見ている。

 私は、人生の残り時間に対して感じていると見ている…などなど。

ふと思っただけでいろいろ出てくる。

これを本当の自己「神の一部であり、とても神聖である」に置き換える。これらのイメージはすべて私がこの世のゲンジツを見るさい、私が用いているフィルターであり“色めがね”。真の見え方を曇らせているものだ。今日のワークは、これを矯正するというか、偽りのフィルター膜をこすって落とすというようなイメージだろうか。

自己肯定的なイメージがよいわけではなく、自己否定的なものも自己肯定的なものも、すべて心眼ではない。頑張って見つけて直すのではなく、リラックスしたなかで溶かしていくみたい。

レッスン35の主題概念は、よくわからなくても、日中、心のなかで唱えているだけで、穏やかな気分になる。

「私の心は神の心の一部である。私はとても神聖だ」

お~!そうだったか。

やはり、そうだったか。

そうだよね…。そこに帰っていいんだ。

と、なんだかなつかしいような。無力だけど最強の乳飲み子だったあの頃を、ふと思い出すような感覚がある。

 

 

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