レッスン36ー私の聖性は私が見るものすべてを包み込んでいる。

2016-07-06

朝のウォーキング

今朝は少し涼しかった。1時間ちょっとの朝のウォーキングをしてきたら、気分がさっぱりした。紫陽花の季節が終わりかけていた。

朝のウォーキングの習慣は9年位前から。フリーランスの仕事で家での作業中心だから、通勤は部屋A(居室)から部屋B(仕事部屋)に数歩歩くだけ。仕事中はパソコンに向かっていることが中心なので、そのままでは運動不足、かつ精神衛生上も好ましくない。2007年のゴールデンウィーク帰省時、実家の両親が早朝ウォーキングをしていて付きあって歩いたら、思いのほか気持ちよくて、それから習慣となった。

…はずだけど、最初は毎日歩いていたものが、年々減ってきていて、最近は週2回位になっている。次ウォーキングした際に、写真でも撮って載せてみよう。このブログ、われながら、あまりに殺風景だ。

レッスン36

昨日の主題概念「私の聖性は私が見るものすべてを包み込んでいる。」は、「私の心は神の心の一部である。私はとても神聖だ。」の続き。説明には「あなたは神聖なのだから、あなたの視覚も神聖なはずである。」とある。

そして、「あなたの心が神の一部であるならば、あなたには罪がないはずである。」とも。そう、私たちは罪がない。無罪である。これが、ACIMの根幹のメッセージだ。

ワークでは今日の主題を目にとまるものすべてにあてはめるということをする。

私の聖性は、このパソコンを包み込んでいる。

私の聖性は、このエアコンを包み込んでいる。

あ、家電ばかり包み込んでいるな。

私の聖性は、この本棚と本を包み込んでいる。

私の聖性は、このラジオを包み込んでいる。

仕事場の机から見える景色は代わり映えがしない。

立って窓から外を見てみる。

私の聖性は、あの犬を連れて歩いている女の人を包み込んでいる。

私の聖性は、あの赤い車を包み込んでいる。

ワークの数は、ちょこっとずつ増えて、4回。こうやってちょこっとずつワークの数が増えていくと、必要な時間は数分であっても、8時間勤務をしていたりすると意識を向けるのがなかなかたいへんなんじゃないかな。時間がかなり自由な私でも、あ、やんなきゃ、って感じで何とかやっている感じ。