2016-06-25
レッスン31
昨日と今日はこのワークをしました、いや、したというほどはできてないか…
このお題をテーマとした朝と晩の短い瞑想だけはした。そして日中思いだした時に、文言を心の中で唱えた。
「私は自分が見ている世界の被害者ではない。」
私が外側に見ている世界だけでなく、心の内側に見ている世界の被害者でもない。内界と外界はつながっている。
私たちは外界のできごとが自分に「ふりかかってくる」と思っているけど、エゴが否認した「恐怖」と「罪悪感」の映画を見ているだけだ。それは「私」と思っている者がプロデュースして見せているに過ぎない。被害者であるはずがない。
イギリスEU離脱!?
昨日、イギリスが国民投票でEUからの離脱派が勝利した。
まさか…!
本当に離脱派が勝つとは思わなかった。
自分のことを、ACIMの勉強が大事な世捨て人のように書いているけど、私の数少ない“趣味”は、株投資である。頻繁に売買するでもないけど、株を見るのはけっこう好き。決算などを見ていい会社だなと選んで買った株が上がると楽しい。
昨日は、「離脱なんて、あり得ない。せめぎ合いながらもぎりぎりで残留派が勝つのでは…」と思っていたから、びっくりしてしまった。もちろんかなり含み損を増やした。
『神の使者』『不死というあなたの現実』には、この外界での様々なできごとを「神からの分離という状況の象徴」だとしたうえで、「だけど、神からの分離なんてあり得ません。神だけが存在し、ほかのすべては偽りです」(『不死というあなたの現実』p71パーサの言葉、他にももっとベターな箇所があると思うけど、すぐ出せない…)と書いてあるが、ふとイギリスのEUからの離脱も「神からの分離」の夢の別バージョンなんだろうかと思った。私は、ここでも分離という幻想を見ているのだろうか。
EUからの離脱はこれからの世界、日本にどんな影響があるだろう。そして私には株価暴落のほかにどういうふうに影響が出るのか。世界は絡み合って動いていくからよくわからない。ただ、「起こらない」と思っていたようなことが「起こる」ようになった時代なんだな。これからも、どんどん変化の降り幅が大きくなるのか。
いやいや。あれこれ言っているけど、根っこは「私は自分が見ている世界の被害者ではない。」私が選んで見ているのだ。
私は自分が見ている世界の被害者ではないはずだ。