2016-06-17
誰かに対して攻撃的な考えを持つということは、自分自身を攻撃していることと同じ
晴れ。急に暑くなってきた。
その日やったワークの概要を書くだけでは、ACIMを知らない人にとっては、ちんぷんかんぷんだし、逆にACIMを知っている人にとっては何をいまさら、かもしれない。
そもそも、だれに向けてどんなメッセージを、が設定できていないブログだ。いったい私は誰に向けて何を書きたいのか…。でも、とりあえずは日々のACIMの学習のふりかえりになれば、それでよしとしよう。ともかく続けてみよう。
私たちは、実相の世界に今も神とともにいる。完璧に満たされた世界だ。だけど、神から離れた、と誤解している私たちは、「自ら神から離れてしまった」ことを恐れ、いつか神から懲らしめられるのではないかと思っている。その思いは私たちの無意識にずっとある。
そして、このゲンジツの世はその無意識の恐怖を投影して見ている世界だ。そもそも存在していない懲らしめられるという恐怖を私たちがあると思っているから、実際に作り出してしまう。そして、「正当防衛」として攻撃的な考えを身につけてしまう。
それが今日のお題になっている。
「あなたを通して結果をもたらすものは、あなたに対しても結果をもたらすはずである。」
私たちが、誰かに対して攻撃的な考えを持つということは、自分自身を攻撃していることと同じである。
とどのつまり「あなた自身の考え以外の何ものも、あなたを攻撃することはできない。」
私たちのものの見方が、本来傷つき得ない存在であるはずの私たちを傷つきうる者にしてしまっている。でも、それは正しい眼でみれば、実際には起こっていないのだ。
今日のワークでは、心の中に「結果が気になっている未解決の問題」-「憂鬱感、心配、怒り、強要感、恐れ、いやな予感、気がかり」といった感情を見つけ、それに名前をつけて、
私は について気にしている。
といい、そのあと、そのことに関連して起こりうる結果をいろいろ思い起こし、
私は となることを恐れている、ということを複数あげる。
そして、最後に
こうした考えは私自身に対する攻撃である。と言い、今日のお題を唱えて終える。これを6回やった。6回ともなるとけっこう慌ただしく感じた。
私は母が老いていくことが怖い…それは自分自身に対する攻撃
私のワークでは、
母が胃の調子が悪いと先週細胞を採って検査を受けたところだったので、
私は母の胃の検査について気にしている、となった(6回のうち1回)
そして、
私は、母が悪い病気だと言われることを恐れている。
お母さんがどんどん老いてしまうことを恐れている。
私がこうしていつまで東京でひとり暮らしを続けられるか、故郷に戻らざるをえない状況になってしまうことも恐れている……等
といったようなことが出てきた。
こうした考えは私自身に対する攻撃である。
*
ふだん何気なく抱いている憂鬱感、心配、怒り、強要感、恐れなどはすべて「攻撃的な考え」であり、実はそれは自分自身を攻撃しているのだ。
母からは夕方「大丈夫でした」とのメッセージが入った。「でも株は下がりました」。株なんて下がったっていいじゃないか、とほっとした。私がほっとしたのは母のことを思って、というより、精神的に未熟で母にはずっとお母さんのままでいてほしいという甘えからだけど、それは今掘り下げないでおこう。