日々のこと・きもち

「人生は末広がり」ー友人の人生観

2018-10-18

友人と小石川植物園へ

きのう仲のいい友だちと会った。

いっしょにお昼を食べた後バスで小石川植物園に行った。東京ドーム3.5倍という広い都会のオアシス。平日だからか人はまばらだった。

ベンチに座って缶コーヒーを飲みながら、いろいろおしゃべりした。

いつも前向きで努力家の友人。

少し年下だけど、つい加齢や健康、老いじたくやこれからの人生の話になった。

そこで感じ入ったのは、友人の死生観だった。

人生は「末広がり」なものだと捉えているという。

そして、「死は避けられ感じられないもの」。だから、それまでコツコツとよい毎日重ねるのだと。そして末広がりだと感じられる努力をするのだと。

その口ぶりから、いわゆる死への恐怖は感じられず、あたかも死もステップの一つという感じを受けた。

その「前向きさ」は、まだ彼女が自身の死を現実的に感じることがないくらい若いからだろうか。

死とはオセロゲームで最後に逆転されるようなもの?

世の中に若さや健康を前提とした幸せや豊かさを象徴するグッズは、山ほどある。

だけど、いかに人生を豊かに生きられたかどうかは、晩年の人生観や姿勢が大きくものを言うような気がしている。

芸能人や著名人の方で、若い頃いけいけどんどんで(死語?)権勢、栄華を極めるも、最晩年に別人のようにきびしい死を迎える例がある(私の見え方)。

それは、まるでオセロゲームで、どんどん白(黒)を増やしていたのに、最後に角を取られて全部裏返されてしまってゲームオーバー!のように、私には見える。

それは、私が人生を勝ち負けや白黒といった二元論で見てしまいがちな証拠なのかもしれない。

人生を勝ち負けで見てしまうと、健康や若さは勝ちで、老いや死は負けになるだろう。

でもそう考えてしまうと、老いや死は誰にでも自然に訪れるものなので、みーんな最後は負け!になってしまう。

それでは、人生はなんとも儚いものになってしまう。浮かばれない。

そういう自分の考え方から、脱したいとどこかで思っていたから、知らず知らず『奇跡講座』に惹かれたのかもしれない。

罪悪感が少なく死への恐怖も少ない友人は、『奇跡講座』のことは知らなくても、私よりずっとコースの先を行っている感じがした。

道の行き方はいろいろ。

そういう人生のこと諸々話せる友だちの存在がありがたい。

習いごとで、薄ら人とつながっている

2018-10-10

10月10日。私にとっては、やっぱり「体育の日」のイメージが強い。

もう体育の日じゃないんだけど。

義務教育時代は、100mを全速力で走ったけれど、卒業してからいっさいそういうことないな。

逆上がりも跳び箱も大人の世界には無縁だな。

運動が苦手な私にとっては、それだけでも、大人になった価値はあるかな。

 

私なりに質素に生活しているつもりだけれど、同年代のひとり暮らしの方の家計簿と比較したら、まだ差がある。(もちろん、幻想だって知ってるけど(^_^;))

食費も光熱費もさほど変わらないと思うけど。どこが違うのかと思ったら、私の場合習いごとが多かった。

備忘録というわけでもないけど、今習っていることをメモ。。

 

○ユング心理学講座(1回3,500円位)

2002年から。最初は週二回のクラスにいたけれど、今は月1回。『神の使者』を読んだ時、ユング講座のおかげで、無意識や否認、投影などの話が、比較的抵抗なく入ってきた気がする。

○色えんぴつ画(1回1,500円)

2016年から。月1回。友人の色えんぴつ絵の発表会を見に行ったことがきっかけで、同じ先生の別のサークルにまぜてもらった。今は人物画の練習中。(といっても月2,3時間しかできてない)

○英会話(1回500円)

2016年から。月に2回。『奇跡講座』が生まれたのはアメリカだし、いつかどこか英語圏のワークショップに参加してみたい。まだ会話できず。やっとRの発音ができるようになった。

○パソコン(1コース(20時間位)6,500円)

東京都主催の3日間のコースがあって、webサイトつくりに関係があるものに時たま参加。現在はCSSの講座受講中。何年も前から受けているけれど、復習時間が足りないためか、その方面のセンスがないためか、未だサイトづくりできず。

○色彩サークル(1回(0~1,000円)

月に1回。習いごとではなくて自主サークルで、持ち回りで先生役をやっている。色の世界も奥深い。12月に年間の自分のテーマを発表することになっているけど、まだな~んにも手が付けられてない。テーマ何にしようかなぁ。

習いごとは、節約という意味では「贅沢品」なのだけど、今や社会と私をつなぐものになっているから、大事。

分散してくれたらいいけど、月1回とか2回のものって、なんでか第2週に集中している。

パソコンの講座は、今年からwordpressのコースが新設されてぜひ受講したいと思っている。このブログ、テンプレートで作ったはいいけど、どう編集していいかわからず手に余っているから。

今日が応募締切日で、応募した。応募者多数の場合は抽選。結果は数日後?どうかな?

受講できたらいいな。

好きなことだけやっている今の私は、とても恵まれている。不安を口にするのはお門違いだな。感謝しています。

「樋田容疑者、逃走旅行を満喫」に不謹慎にも感心してしまう

2018-10-05

ここで取り上げるのはどうかと思ったけど、、、

8月12日に大阪府警富田林署の接見室から逃走していた樋田淳也容疑者が、9月29日ようやく捕まった。場所は山口県周南市の道の駅、万引き容疑だった。

驚いたのは、その風貌の違いと、逃走の過程。

漠然と大阪府内で逃走時とたがわない姿で潜伏しているのかと思いこんでいたけど、実際には、すっかり日焼けして「自転車で日本一周旅行している人」になっていた。

スポーツタイプの自転車には、たくさんの荷物が積まれていて、大きなリュックには「日本一周中」。サイクリングウェアも板についてそのものに見える。

いったいどうやってここまでの“装備”を手に入れたのかな?

大半は盗品らしいけれど、それにしても…、と思っていたら、リュックの「日本一周中」の紙は、なんと愛媛県庁で職員に作ってもらったものらしい。瀬戸内ではグルメ三昧の記事も。

すごい…

おいおい、楽しみすぎだろ。

隠れるのではなく、「自転車で日本一周」に目を向けさせて目くらましさせるとは。

逃走を許してしまった大阪府警は、このやりたい放題に忸怩たる思いだろう。

それにしても…。

やっていることは悪いことだけど、その厚顔さと行動力たるや…

悪事を働いたわけでなくとも、引きこもり気味なため社会に気後れしている私とは、大ちがいだ。

感心するのは良くないことなんだろうけど。

いや~、すごい。

せっかくのその力をよいことに使えばいいのに、と思うけれど、そうしないから犯罪者なんだよなー

この「すご~い」は、むか~し、ショーン・Kさんの経歴詐称騒動の時に感じた「すご~い」でもある(蒸し返してしまったショーン・Kさんすみません)。

不謹慎かもしれないけど、48日であそこまで印象がちがう人になれるなら、私の自己イメージだって変えられるってことかな、とヘンに「希望」をもらった私。。。

「自分を愛してあげて」 最初のdoは自分を愛すること

2018-10-03

最近は少し意識して聖霊の声を聞こうと思っている。

そんな今朝のワーク。

聖霊さんが私に何か伝えたいことは?…と心の内に耳を澄ますと…

自分を愛してあげてください」と小さな声を感じた(聴こえてはいない)。

「わからなくても、

ただ愛してあげてください。

私は神の子なる私を愛します』と心の中で、自分に伝えるだけでいい。

 

あなたは自己否定しながら、

何かをやらなくては(do)と焦っているけれど、

doの最初の一歩はこれですよ

 

自己否定しながら行うdoと、

自分を愛して行うdoは、

その行き先がまったくちがう。

まず落ち着いて、

自分を愛すると、意識したらどうですか。

 

そうなふうなことを言われた気がした。

働けていない現状に焦りがある。

おカネは不労所得もあって、今すぐ困るというわけではない。

過去の私のパターンからも、勤務するのが正解とも思えない(雇ってもらえるかというのがその前にあるが)。

できれば、在宅で収入を得られる小さなしくみを作れないか、などと甘いことを考えながら、そのスキルも身に付けられないまま時間が経っている。

体力気力ともに乏しく、めまぐるしく変化する世の中に付いていく能力も、コミュニケーション力もない、と思っている。

一方そういった自分を赦そうともしている。

その私に向けてのメッセージだろうか。

 

今朝のウォーキング途中、道の真ん中で70代と思しき男性が、乗っていた自転車に挟まるように倒れていた。

通行人の男性が車によけるよう合図を出しながら助け起こしているが、足が挟まってか男性はまだ立てない。

通勤の人は足早に駅に向かう。

私は足を止めた。大丈夫かな。

…と、その時、私の後ろから、自転車に乗ってきた女性が、自転車を降りてすっと助けに加わった。二人がかりで男性を起こそうとする。さらに別の方向から来た女性が駆け寄って加わった。

三人でおじいさんを持ちあげ、その下の自転車を取り除いている。

私は強い恥ずかしさを感じながら、その場を去った。

私、大丈夫かと思っていただけで、まったく動けなかった。

歩きながら、心配したけど非力な私なんかが近づいてはいけない、逆に足手まといになるという思いがあったのだと、気づいた。

助けに加わったのは、二人とも女性だ。判断はとても素早かった。

私ってば…、この世は幻想…と思う習性が身についたというのもあるのか、何でも一歩引いて見るようになっている。

それもあって動けなかったんだ、と反省した。

 

思えば、「この世は幻想だ」と言いつつ、逆に、私が今在るなかでは、私の方が幽霊みたいに幻想になってしまっているんじゃないか、と思った。

『奇跡講座』が意図するのは、こういうことじゃないだろう。

 

そんなこんながあって、今朝の“メッセージ”なのかな?とも思う。

稼いでいないのは不安ではあるけど、手元にあるおカネを使っているのだから、大目に見てもいいと思っている。

せっかくのこの時間とスペースを、好きに使えていて感謝もしている。

だけどだけど、やっぱり、自己否定があるかな?

それは、幼い頃からの自分のくせでもある。

 

最初のdoは自分を愛すること、かぁ…

まぁ、定番ちゃ~定番だけど、だからこそ、今の自分が意識すべきことなのかもなぁ

 

 

 

 

本庶佑さんノーベル賞受賞に、あるACIM学習者が思ったこと

2018-10-02

本庶佑さんがノーベル賞を受賞

[caption id="attachment_4528" align="alignright" width="300"] 本庶佑さん NHK NEWS WEBより[/caption]

昨日のニュース速報で、京都大特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)さんがノーベル医学・生理学賞を受賞されたとの一報が入った。

なんでも、本庶先生は、免疫の働きにブレーキをかけるたんぱく質「PD-1」を発見。このブレーキを取り除くことでがん細胞を攻撃する「がん免疫療法」の開発に結びつけられたとのこと。

「がん免疫療法」は、手術、放射線治療、抗がん剤治療に続く、第4のがん治療法で、研究成果を基にした治療薬オブジーボは副作用が少なく大きな成果をあげているらしい。

今朝の番組ではそのお人柄も紹介され、

「一生をかけるなら、リスクが高くても、やりたいことをやるべきだ」

「誰も見向きもしない石ころを磨き上げ、ダイヤモンドに仕上げていく。混沌とした状態の中から立ち上げるところに、大きな魅力を感じる」

といった言葉も紹介されていた。

詳しいことは理解できないが、先の見えない、地道な根気がいる研究だと想像できる。

すごーい、素晴らしい。

病気の原因は罪悪感と捉える『奇跡講座』の考え

一方で、私は『奇跡講座(ACIM)』の学習者の端くれだから、病気や治癒について、ACIMがどういうスタンスをとっているかも、ある程度知っているつもり。

とくにワークブックの以下の文言にはインパクトを感じた。

「あなたは、山積みにした紙切れの束と大量の円形の金属がない限り餓死してしまうと、本気で思っている。小さな粒状の固体や、鋭い針で血管に注ぎ込まれる液体が、病気や死を寄せつけずにいられると、本気で思っている。

このようなことを考えるのは狂気である。」(L76-3-2,3、4-1)

罪悪感がないところで病気が生じることはありえない。病気とは罪悪感のもう一つの形態にほかならないからである。

病人を癒すことは治癒ではないので、贖罪は病人を癒さない。病気を可能にしている罪悪感を取り去るだけである。そしてそれがまさしく治癒である。」(L140-4-3,4,5)

ACIMによれば、病気の原因は罪悪感であり、薬が病気を治すのではなく、その基となる罪悪感を取り除くことこそが治癒をもたらすという。

それでも、この世のあるものには薬効が認められ、それで病が治るのだから、そこには因果があるように見える。

もし根底の罪悪感がそのままならば、ある幻想をもう1つの幻想に取り換えただけということになるかもしれない。

そうであっても、取り除きたかった最初の幻想が取り除かれることは、大きな望みをもたらす。

『奇跡講座』の教えをこの世でどう適用するか

要するに、私は、『奇跡講座』のこの世への適用(方法、程度)がよくわかっていないのだ。

この世はエゴが神に対抗して見せている幻想…、そして、その幻想からめざめることが、『奇跡講座』。その訓練がワークブック。

だけど、その幻想は私たちに多大な影響力があるから、幻想であってもよりよい幻想がいい、と思う。

幻想だからといって、ご飯を食べない、骨折しても幻想だからそのまんま、お医者さんも薬も投げ出す、というわけにはいかない。

どの部分を幻想と受け流し、どの部分はここでの仮の自分を維持するために大事、と捉えるかの塩梅がわからないのだ。

こんなことを考えている私は、ばかなのかな。

ACIMは正しいと思う。だけど、肉体を持ってこの星にいる私は、どう適用したらいいんだろう。

そうこうしているうちに、この世で生きるスキルらしきものの低下が著しいことに気づく。あ゛…(・・;)

おそらく答えは「聖霊の導きに従う」ということだと思う。(←今思いついた。なんて、自己完結的なんだ)

そうそう、いつも言われている。聖霊に聞く、だ。

聞いて、塩梅も打診しながら進むんだよなー。その練習かー。

や~~っと、ダンベルを再開、定着なるか

2018-09-28

運動の秋?

一度途絶えた運動習慣をもう一度定着させるのは、意外と難しい。

とくに元々怠け者で運動苦手、さらに年々体を動かすこと自体がおっくうになっている、私ならばなおのこと!

それが、、、やぁ~~っと、ダンベルを再開。昨日で3日目だ(ふぅ)。

今回は定着させることができるか?

そもそも、フリーランスで自宅で働いていたため、部屋Aから部屋Bへの通勤で済んでしまうため、あまりに運動不足だったのがきっかけだ。

10年位前GW帰省した際、早朝ウォーキングしていた両親に付き合ったらとても気持ちがよかった。

そこからウォーキングを始め、その後ダンベルのDVDを買い、昭和の香りがするセットを背にしたお姉さん達と一緒に毎晩約20分ダンベルをしていた。

血の巡りが良くなるからか、やると体がすっきりする。

だけど、忙しい、疲れた、ぎっくり腰になった、など何かの理由で2、3日休むと気づいた時には、習慣が消えている。そしてお腹周りにはお肉が(ということが何度か。そして今も…)。

関係するかどうかわからないけれど、去年は生まれて初めて健康診断で血圧値が引っかかってしまった。

ACIMでは肉体を重視すべきではないと言うけれど

ACIMでは、肉体は、エゴが神から分離した(と思いこんでいる)神の子に、無意識に渦まく恐怖感と罪悪感から逃げ込める場を与え、さらに個々の存在を示すことで分離をリアルに見せるための装置だとしている(解釈、大丈夫かな?)。

だから、肉体を重視すべきではない。肉体に固執することは、幻想をリアルに見せてしまい、手放すべきエゴの世界に繋ぎとめられてしまうことになる。

理屈はそうなのだけど、私は半年位前からワークをした時、ちょいちょい、「姿勢を良くすべし←そのために体幹を鍛えるべし←そのためにダンベルを再開すべし」という感じを受けていた(参考:4月17日の日記)。

このメッセージがACIMの聖霊からのものか、私のエゴなのかはわからなかった(未だに区別ができない(^_^;))。

聖霊さんが、肉体についてのそんな具体的なアドバイスをするもんかな?

でも、運動不足を自覚している者がちょこっと体を動かすことが悪いわけはない。

…、で、なんとか再開したのが、今年4月20日

しかし!あえなくその翌日にぎっくり腰になってしまい、再開二日目にして、また中断。その後慢性の腰痛持ちになってしまった。

それからはや5ヶ月…。季節は巡って秋だ。

やっぱり体幹、少しは鍛えるべきだよね。。。

そして、やぁ~~っと、再びダンベル再開。

くしくも?今は復習Ⅵの最中。復習Ⅵを貫く機軸となる概念が、

私は肉体ではない。私は自由である。私は今も神が創造したままの私なのだから」(復習Ⅵ序3-3,4,5)というもの。

だけど、それとは矛盾しないよねぇ??と「私は肉体ではない、私は自由である」と声に出してリズムを取りながら、ダンベル体操をしている。

今度こそ、定着させられるか…。

自信、ない。

中秋の名月をながめて

2018-09-25

昨日は「中秋の名月」だとニュースで言ってた。

さてと、中秋の名月。よく聞くが、それは何ぞや?

中秋の名月…明治以前の日本で使われていた太陰太陽暦で8月15日の夜に見える月のことを指します。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったと言われています。(国立天文台ウェブサイト

日本人は平安時代からこの季節にお月見をしていたんだ…

私もベランダから月を見上げた。丸くてぴかぴかしてとっても綺麗だった。スマホで撮ってみたが、輪郭がぼやけ月の独特の美しさは写せなかった。

9月は誕生日月だから、自分へのプレゼントに小さな月のライトが欲しいと思っていたけれど、必需品ではないから躊躇して結局買えないでいる。

一時期『ムーンマトリックス』という本に嵌っていた。そこには「月は人工的に作られた衛星で、人類の気分を操っている」と書かれていて、「え、まさか?」と思いながらも、それを信じていた。

その後、『奇跡講座(ACIM)』を学んで、月が人工物どころか宇宙自体が幻想ということになり、月が人工物かどうかはどうでもよくなった。

地球にぜったい裏側を見せないようにずっと廻っている月って、思えば不思議だ。

先週ZOZOTOWNを運営するスタートトゥディの前澤友作社長が、2023年民間人として初めて月旅行に行くということで、話題になった。

成功した起業家というのは、思いっきり外交的だから、関心がどんどん外側に向くんだろうか。ダイナミックな話だ。

私はZOZOTOWNで買物をしたことはないけれど、前から株を持っている。いきなりあかべこや、365日から始まるカウントダウンカレンダーなど不思議なものを送ってくる(引っ越しで全部捨ててしまった)。遊び心があってずいぶん余裕がある会社なのだなぁと思っていた。

去年いただいた大漁旗デザインのバスタオルみたいなものは、この夏私のお腹を冷えから守ってくれて、今も活躍している。

前澤社長の月旅行は正しくは、月の周りをくるっと廻る月の周回旅行らしい。

せっかく近く?まで行くのだから、廻るだけじゃなくて、月に降り立ってほしいな。で、また英語で笑顔でスピーチして…

ACIMでは、私たちが神の子であることはくりかえし述べられるが、あくまでひとりひとりの内面からの赦しが強調されている。

それはそうだけど、私はこの世の中を眺めて、いろんな人がいておもしろいなーと思っている。

月に行きたい人、テニスがすごーく上手な人、とびっきり美しい人、歳を重ねて味が出る人…、私は昔から人の「個性」というものが大好きだったのだ。

今はその好きな「人の個性」というものを手放しつつある、と気づく。

10月も中盤をすぎると、ハロウィン商戦で慌ただしくなる。それから、クリスマス…。

あっという間だな(別に世間に合わせる必要はないのだけど、影響を受けやすい)。

もうしばらく、静かで深まる秋を楽しみたいな。

「6月20日」

2018-09-22

自分をふりかえりたくなる秋

たまに、あれっ、なんで私ここにこうしているんだっけ?

と、自分をふりかえりたくなるときがある。

あんなに暑かった夏が過ぎ、誕生月ということもあってか、ちょうど今がそんな気分だ。

『奇跡講座』を知る前と後では人生変わったな、と思う。

その瞬間はわからない。だけど、引きで見ると、あれはターニングポイントだったと思う、そんな出来事のひとつだ。

6月20日は節目日!?

そこで気づいたこと。

意を決してACIMワークを始めたのが、2013年の6月20。

敬愛する父が亡くなったのが、2015年6月20日。

そして、昨年末引っ越しを思いつき、ありがたいことに旧居を買ってくれるという方が見つかって、その売却契約をした日が今年(2018年)6月21日。

いろんな節目があるからこじつけとも言えるけど、どうも私は6月20日前後に自分に影響がある出来事が起きやすいパターンがあるようだ。

父の命日とマンション売却日のつながりは意識したことがあったけど、ワーク開始日までは意識したことがなかった。

あの母が上京してきて契約した日、ワーク開始から丸5年が過ぎた時だったんだな、と感慨深く思った。

今はもうMy course in Mirackeの6年生か。

少しは進んでいるのか否か。

理屈はなんとなくわかったけれど、もっとも大事な赦しの実践はまだまだだ。

水泳の理論を本で学んで、でもいざ水に入って顔に水がかかっただけでビビって結局畳の上でバタバタ手足を動かして泳ぎを習得しようとしている人みだいだ。

赦す機会があってこその学びだから、快適ゾーンに籠ってばかりいてはだめだなぁ、と。これは2年前くらいからずっと思っている。

 

身に覚えのない、なぞの出荷メール

2018-09-19

知らないとこから、出荷メールが来た

今朝、メールチェックしたら、kateという知らない女性からメールが来ていた。

Hiに続いて、私の名前。そして、

「Your order was shipped by Priority Mail service. Here is the tracking #○○○○○○.
Thank you for the order.

Regards,」

??

自動翻訳のボタンを押してみたら、

「ご注文は、プライオリティメールサービスによって出荷されました。追跡番号は#○○○○○○です.
注文ありがとうございます。

よろしくお願いします。」

へっ???

注文!?私が?

発送地はアメリカカリフォルニア州ビスタの会社となっている。

最近とみにボケているとはいえ、まさか私、注文してないよね?

何かのいたずらとか詐欺のメール?

でも、少なくとも先方は私の名前やメールアドレスは知っているってことだ。

会社名で検索してみる。

その会社のサイトがあって、住所はメールのものと同じ。電話番号も合ってる!

追跡番号の記載した配送サービス会社も実在するみたい。。。

何か送られてくるのかな?不気味だ、まさか私が注文?

えーっ!私ー、注文?(゚o゚;) 

何を?

それはどこに送られてくるの?

おカネはどうなっているの?

もうすでにカードかなんかで支払われているの?

以前ネットバンキングで詐欺未遂にあったことがある。その時は怪しく感じた銀行の方から「中国のリさんに送金しましたか?」と確認の電話が来て、「リさん?いいえ知りません」となって、振込直前でストップされ事なきを得た。

まさか、まさか…もう、支払われているの?

慌てて今使っているカードの利用明細をそれぞれネットで調べてみたけど、了解済みのものだけだった。現段階では使われていないらしい。

代引きなのかな?

えー!

「ご注文は出荷されました」という前に、「ご注文内容」をお知らせするメールが欲しいよ。

「送りつけ商法」というやつなのかな?

||´・д・)

でも、まだ送りつけられてもないのに、誰に相談していいのかもわからない。

会社名と「送りつけ商法」を併記して検索してみたけど、ヒット数:0

このまま、何もなくファイドアウトしていくのかな?

そうだったらいいけど。

いや、よくないか?

なんか来ちゃったらどーする??

この世のすべては、実は自分がプロデュースしているのだ、と言ってみても、ここにいる生身の私はあずかり知らぬことばかり。

ちょっとしたことでも、ひとりでドギマギ。あ、これも、もちろん赦すべきことなんだろうけど。

恐怖感がつよいタイプ

2018-09-17

秋…旅もいいかも?

秋口に入って、いろんな方の旅の話を聞くにつれ、「あ、いいな、私もどっか行きたいかも」と思った。

これまで「旅」というのが私に入ってこなかったのは、引っ越ししてこの方自分があたかも旅をしているような非日常的な気分だったからだ。そして、「旅もいいかも」と思ったということは、ここに慣れてきて、いつしか日常モードになっているんだな、と気づいた。

恐怖心がつよいタイプ

話がまったく変わるのだけど。

私は恐怖心がつよい質だ。

とくに、(怖いものが)来るぞ、来るぞ、という感覚にめっちゃ弱い。

若い頃は、お化け屋敷で入ったとたんに足がすくんで固まってしまい、おばけ役のお兄さんも呆れるなか、一緒に入った同僚に引きずられてなんとか出てきた。

「もー、おばけより、たまちゃん方がよっぽど怖いよ」(ごめん…)

歯医者さんも怖いものの一つで、恐怖のあまり途中で治療放棄して以来虫歯の進行を知りながら、10年以上歯医者さんに行けなかった。

意を決して(もうどうにもならなくなって)歯医者さんに行ったのは4年前。すでに『奇跡講座』のワークを始めていたが、その時も恐怖感はすさまじかった。

あのウイーーンと歯を削る?耳元の金属音に恐怖と緊張がMaxになっていまい、その緊張状態に耐えられない。30秒くらいで一回スイッチを切ってひと息つかせてほしいのだけど、その要望がうまく伝えられなかった。

歯医者さんは、「痛かったら、左手をあげてください」とおっしゃる。

私が恐怖でもうどうしようもなくなって、左手をあげたら、機械を止めてくれた。けど、

「あれ、でも、これ、もう神経抜いちゃってる歯だよ。痛むはずないじゃん。騙されたなぁ、もう」と言って、口を開けたままアワアワしている私ヾ(゚□゚;)ノに対して、それからは手を挙げても、騙されることなく、ガーッ、ガーッと削り込まれて失神しそうだった。

ワークを続けていけば、恐怖を感じなくなるかな

心の拠りどころは、若くてチャーミングな歯科衛生士さんで、いつも膝かけをお願いしてた(それがあると、すこーしだけ安心できる)。

ある時、歯石を取ってくれていた歯科衛生士さんが、

「あれ、たまさんて、痛みに弱いのかと思ってたけど、そうじゃないんですね。むしろ強いかも、これ、絶対痛いと思うけど?」とおっしゃった。

痛いといえば痛いけど、平気だよ。怖くはないから。

痛いのと怖いのがごっちゃになっていたけど、そういえば、「金属音が耳に響いて、鋭い痛みが来る、来る~」というがだめだけど、鈍い痛みには意外と強いのかもしれない。

どっちにしても、こういう私は、「神との分離」と「その神による罰」という幻想が無意識にしっかと根付いているだろう、と思う。

一方で、ワークを始めたおかげで、無意識のなかの恐怖心がすこーし減ったからこそ歯医者さんに通い出すことができたんだよなぁ、とも思っている。

いつか精進して精進していけば、怖いという感覚も減っていって、歯医者さんやお化け屋敷も平気になるかな?

できるなら、もう二度と歯医者さんには行きたくないと思っているくらいだから、まだまだ道は果てしない…

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