日々のこと・きもち

パソコンの中ってこうなってたんだ

2018-11-12

「OSとハードウェアの管理」講座

週末、東京都のキャリアアップ講習の「OSとハードウェアの管理」という講座を受講した。

夏に同じくキャリアアップ講習のウェブ講座を受けた際、隣になった方と、「新しいパソコンを買ったのだけど、初期設定とかよくわからなくて…」と話していたら、「この講座受けるといいよ」と勧められたのだ。

ネットを使って少しでも収入を得るしくみが作られないかと思って、数年前からパソコンやウェブサイトの短期講座を受講している。

けど、どうも、私にはネットビジネスに必要なセンスや時代感覚が乏しいようで(^_^;)

インスタグラムもfacebookも、ツイッターもやってないし。

今どきは、自分で単独のネットショップを作ってモノを売るというより、メルカリやラクマで売ったりした方が早いんじゃ…?

そもそも、ウェブサイトの勉強をしても、扱う商品が思いつかない。

ありゃ、いつもの本末転倒??いったい何をやってんだか…。

それでも、サイトづくりの勉強はおもしろいし、講座を受けるだけで少しできる人になった気がして満足していた。何度もやらないと覚えられないけれど、いつか自在にサイトが作られたらいいな、と思っている。

パソコン解体、へー、こうなっているんだ!

週末受けた講座では、パソコンの解体をした。

え、この講座こんな内容だったの~!?と少し面喰ったけど、面白かった!

初めにパソコンの内部の構造とそれぞれの部品の説明を聞いて、午後グループごと解体して、再組み立て。

外側のパネルを外して、メモリ、フラットケーブル、CPUファン、CPU、ハードディスク、光学ドライブ…とどんどん取り外していく。

これまでパソコンを動かすことには関心があったけど、この箱の中がどうなっているかなんて考えたこともなかった。

中はけっこう空間が多いんだな~、CPUってパソコンの頭脳って言ってたけど、薄いチョコレートくらい小さいんだな、などなど新鮮だった。

他のグループが解体→組み立ての後、再起動してもうまく動作してなくて手こずっている中、こっちはサクッとできた。

なにしろ、私の他は若い男子二人で、手慣れているみたいだったから。

はー、まったく敵わない。私ひとりだったら、たぶん、元に戻せなくなっていただろう。

ネットで収入プロジェクトからはますます遠回りしているようだけれど、そしてけっこう悠長なことしてるな、とも思うけど、興味が湧いた。

世の中知らないことだらけだ。

最近の私はなんでも幻想だと斜に構えていた。けど、もっと驚いたり楽しんでいいんだ、と思った。

ワークの「赦しとは何か」を書こうと思っていたけど、気づいたらパソコン講座について長々と書いていた。

今やっているワークと、ブログに書くワークにどんどん乖離ができて、埋めなきゃ、と焦る。

自分だけのことで、どーでもいいことだけど!

バイト面接、履歴書書いたの10年ぶり!?、そして

2018-11-07

アルバイトの面接

月曜日午後いち。アルバイトの面接。

最後に履歴書を書いたのは10年以上前だ。写真ボックスで、3×4㎝の写真も撮って。

職種は、倉庫に併設された事務所内での事務。自宅から12分くらい。週3日からOK。

白ブラウスに黒ジャケット、紺のスカートにパンプスといういでたちで、えらくキンチョーして行った。

男性ばかり3人の小さな事務所だった。働きやすそうなアットホームな雰囲気だった。

「慣れてもらうのに、時間短めで金曜からでも来てもらおうか」と話しあっている。もう決まったかのような口調だ。

あ~、はい、喜んで参ります。

私が自分のフリーランス仕事のために作った会社がそのままで休眠状態に近いけれど閉じてはいないことが、やや引っかかる感じだった。

正直に書かない方がよかったか。けど、感触は悪くない。

「繁忙期は週4日、場合によっては5日ってのも来られますか?」

はい、なるべく合わせるようにいたします。

面接というのは、つい流れで相手方に合わせてしまうものだ。

具体的な仕事の流れを教えてもらい、

「他にも数名応募の方がいます、なるべく早く連絡します」とのことで帰っていた。

キンチョーが解けて、疲れた~

たった一時間ほどの面接だったけど、帰宅後どっと疲れが出た。そして安堵からなのか、すごい眠気。外が暗くなるまで、動けず横になっていた。

あ~、私、勤めるのか(時間で働くのが苦手で、時給換算すれば500円に満たないこともある請負仕事のほうを好んでやってきたのだ)

金曜から?

月水金、になるのかな?

だったら、平日、泊りの旅行のひとつでも行っとばよかったかな。

固定収入久しぶり、うれしいな。

この年齢の私を雇ってくれるのだから、まじめに仕事しよう。早く仕事を覚えて役に立てるようにしよう。

ちゃんと…

睡魔のなかで、というより眠りながら、これからのことをいろいろ考えていた。

フラレた!?残念だけど、、、これでいい

昨日の夕方、外出先から帰ってしばらくして、面接していただいた会社からのメールを発見。

「さっそくですが選考結果について連絡させていただきました。 
大変恐縮ながら、今回はご縁がなかったということで 
お見送りさせていただければと存じます。 」

!?
「このたび多数のご応募をいただいていたこともあり、 
より適性に合ったと判断した方で決定いたしました次第です。 」

へっ、落ちた?

すぐ来て、みたいなトーンだったから、キツネにつままれたみたいだった。

でも、複数のなかで選ぶのだから、当然そんなこともありなん。

私がひとり目だったのかな。そして、続いて他の方に合ったら、こっちのほうがいいじゃん、となったとしてもおかしくない。

とはいえ、彼氏から突然フラレたみたいな気分だった。

しかし~!そもそも、すべて自分が見せている夢なのだから、このストーリーの監督は私だ。俳優は私の指示どおり動いたまでだ。

すでに“そこで働く気”を作っていたから、正直残念だった。

一方で、ちょっとだけ、ほっとしている自分もいた。

そもそもおカネがなくなる恐怖感から、ポチっとした。

でも、1日に出かけた「小さなこころ旅」では、「ふくろうの森」カフェで自称「旅する発酵料理家」の美しいカフェ店員さんに、「リスクをとって好きな道に進んでいいのよ」と、マジカルなお茶で背中を押された。

その方向と、今回のバイトは道が逆行していると言えなくもなかった。

そう…、これでよかったんだ。

引きこもっていたのが、面接まで行けたというのは、ある意味前進だし。

いい歳して何やってんだか、とも思うけど。変わり者偏差値上昇中、、もう歳だって気にしなくてもいいんだよな~

小さなこころ旅 ③

2018-11-05

「ふくろうの森」カフェへ

秦野市市営の無料足湯では、常連さんの会話に「ふくろうの森」というワードが飛び交っていた。

お店かなにかかな?

聞いてみると、近くにあるカフェらしい。音楽をテーマにしているとか?

ちょうどどこかでお茶でも…と思っていたところ。行ってみることにした。

ものの3分。小さな建物の2階だった。勝手に広い空間を想像していたけど、イメージとはちがってた。

中は狭めで薄暗くて、小さなこんもりとした森の感じと言えなくもなかった。

中には女性の店員さんの知りあいと思しき男性客ひとり。

店員さんにオリジナルブレンド薬膳茶をおすすめされた。

 

オリジナル薬膳茶を処方してもらった

カルテみたいな紙に体調についての項目が並んでいる。気になるものにチェックを入れていくと、それに合わせてブレンドしてくれるのだという。

なんだか、マジカルなお店だな、と思った。店員さんはたおやかできれいな顔立ちの方で、見た瞬間「あ、魔法夫人だ!」と思った。(魔女っぽいけど、和風だから、魔法夫人)

彼女が、私用に調合してくれたお茶は、

  • ローズピップ
  • ゴジベリー
  • はすの葉茶
  • 金銀花
  • 蓮芯茶
  • よもぎ
  • 胎菊花
  • くこの実

のブレンド。なんだかえらいゴージャスだ。浄化やリラックスの効果があるらしい。

まほう屋さんで、まほうの飲み物を出された気分だった。

一口いただくと、ローズヒップの味なのか甘酸っぱい。

そして心と体にふっと何か広がる感じがした。

自分にキャッチフレーズを付けて発信すると

男性客が店を出て二人きりになってから、彼女と話しこんだ。

この店は、オーナーが別にいて、店員さんは曜日ごとに変わるのだそう。彼女は、水木の担当だという。

去年、高給だった渋谷のアパレル会社を辞めて、鶴巻温泉に引っ越して来たこと。

この店は明日でちょうど開業一周年だということ。

年末年始に11日間のヴィパッサナーの瞑想合宿に申し込んだこと、などなど、聞いた。

おもしろいなと思ったのは、

大量生産大量消費志向だったアパレル会社が合わなくなったと感じ、不安もあったけれど、衣食住のなかで日本古来のよいものを追求したい考えと、自分に「旅する発酵料理家」というキャッチフレーズをつけカフェ店員の傍ら、この一年活動してきた。

そうしたら、いろんなものが回転し始めて、知り合いも増えて発酵やアートなどのワークショップなどの依頼も増えてきた。自分らしさを追求してきた活動が具体的なかたちになってきた、と彼女が話してくれたこと。

「『くみあわせ』だと思んです。」と彼女。

発酵に興味があり、料理にも関心があり、それで衣服のデザイナーの経験があって、古民家にも関心がある。そういうものを全部組み合わせて、自分なりの発信をした。それが唯一無二のオリジナルとして育っていると。

「この一年、リスクを取って、自分が何者かを名乗ってきてよかった。手ごたえを感じているんです。」

私も“発信”したいのだ

彼女の話を聞いて、キャッチフレーズを付けて自ら発信するというスタンスが、私に欠けているものだと感じた。彼女がそういうのもありだよ、と見せてくれた気がした。

自分につけたいキャッチフレーズ―、私だったら何だろ?

「旅する『奇跡講座』学習者」かな?それじゃあ当たり前すぎるか、旅もしてないし。

一見抽象的で難解な『奇跡講座』とこの世の日常生活をつなぎたいという思いがある。それは、楽しいことや美しいことを通じてできたらいいと思う。

思っているだけじゃ、人生終わってしまう。

そう、私も彼女のように“発信”したいのだ。

それを確認する旅だったのかな。

家路に着く頃には外はもう暗くなっていた。駅のホームから燃えるような夕焼けが見えた。

たった6時間位だったけど、けっこう遠くまで行けた。

なんか背中をだれかに押された気がした旅だった。

 

 

小さなこころ旅 ②

2018-11-03

月曜、バイトの面接に行くことに

11月1日慌てて、ささやかな一日旅に来たのには、もう一つわけがあった。

月曜日バイトの面接に行くことになったのだ。

31日ネットの求人サイトで家の近くの募集を目にして、ポチっと押してしまった。そしたらその日のうちに、月曜日に面接にいらしてください、というメールが。

フリーランスの仕事がここ数年で減少、それをそのまんまにしていたことは前にもブログに書いたと思う。

複数の依頼先の仕事をこなすのは難しくなっていたし、仕事でACIMワークが中断することが何度かあって、時間ができたことを喜んでいた。そして気づけば無職状態に。印税とかたまーに昔やった仕事の収入が入るけどほぼ無収入。

今年はマンション住み替えの(プラスの)差額が思いのほか出て、それを使いながら生活している。これを食いつぶす前に、在宅で何かできる収入の得方はないか、と思いつつ、工夫や試行錯誤ができず形になっていない。

まぁ、生きられるうちはいいや、と、やりたいことだけやって自由を楽しんでいたのだ。

それが、面接!?

今の時代は、電話も要らず、ポチっとするだけでいいから身構えなく応募できる。

会ってくれるというありがたさと、キンチョーと。

週3日のアルバイトとはいえ、私に務まるんだろうか。気力、体力なし。いまやすっかりわがまま放題で、協調性もトボシイ。

面接こわい。もし、もし、勤務することになったら…

そういった諸々のキンチョー感から、心のプチ旅なら今!と思って、翌日空を見上げて、飛び出して来たのだ。

学生時代の町に行けば、自分が好奇心とやる気と人生に対する期待感に満ちていた、そのカケラを感じられるかと思ったけれど、年月が経ちすぎたためか、見つからなかった。

その頃の自分は、もはや自分じゃない、前世のようだ。

鶴巻温泉の足湯でじんわりあったまる

そして、近場で手軽に旅気分が味わえるところ、というので、鶴巻温泉の足湯へ。

秦野市の市営で2年前にできたらしい。大人10人くらいが入れるスペースで、女性ばかり4,5人入っていた。

靴下を脱いで入口で足を洗ってから、長めのスカートをたくしあげて、そろそろ足を入れる。

あったかーい。

温度は少し高めかな、あとで調べたら40℃とのこと。

は ふぁ~、気持ちいい。

10分も入っていたら、額にはじんわり汗が。ふらっと来てあったまっていけるこんな足湯ありがたい。

私が来る前からおいでで、出てもまだ入っておられた83歳だというおばあちゃまが「私、人見知りでね…、この前足がつってね、この温泉で治ったの」と来る人来る人に同じ話をくりかえしていた。

向かい側に入っていた、これまた常連だという女性が、にこっと笑って目配せした。

秋の平日の3時すぎ。なんか平和だ。

(小さなこころ旅 ③へつづく)

小さなこころ旅 ①

2018-11-02

秋晴れに誘われて、こころの旅

きのう、旅に行った。一日だけの小さな旅。

だれかがどこかに行ったという話を見聞きするたび、私もどっか行きたいなと思っていたのだ。

10月は、お盆帰省時の交通費のカード引き落としがあったり固定資産税の支払いがあったりと出費が多くて、1日だけとはいえ出かける気になれなかった(幻想!)。

そしてきのう11月1日。

空はぴっかーんと秋晴れ。

時計は11時。

いつも以上にトイレが近くて体調はイマイチすぐれないけど、すべてが万全に整うのを待っていられない。まごまごしてたらお昼になってしまう。

…、で、外へ。

行き先は、自分が18、19歳と短大時代2年間住んでいた神奈川県の町。新宿から約1時間だ。

別のところでもよかったんだけど、新しい場に行くのは緊張する。観光目的ではなく、少しだけ非日常気分を味わいたい、という気持ちだったから。

ビア&カフェBERGでランチ

まずは新宿駅で腹ごしらえ。

東口にあるビア&カフェBERGへ。

お昼時だし立席しか残ってないかと思っていたけど、すんなり座れた。いっつもすごい混雑で中に入るのも大変だったのだが、人の流れが変わったかな。

頼んだのは、一日限定30食?のエッセンセットに自然卵のゆで卵つけて。(842円+57円)

ずっと行きたくて行けてなくてイメージが先行し過ぎてた。コ―フンして、味がよくわからなかった。もっとゆっくりいただけばよかった。

健康志向のためか味が薄くなりすぎてたような。レバーパテはおいしかった!

始発列車の列に並んで、席に着く。

『神の使者』は何度も再読しているけど、こころの旅のお供はやっぱりこれ。分厚い本を開いて読み始める。

ゲイリーの家にいきなりアサンディッド・マスター、アーテンとパーサが現れて…30分位読んでいたが、

気づくとゆらゆら心地よい揺れを感じながら、うとうとしてた。

少しずつ緑が増えてきて、40年近く前に住んでいた町に着く。

学生時代の自分を訪ねるタイムトラベルでもあったが

初めて、母からの過干渉を離れてひとり暮らしを始めた町。初めてアルバイトをしたり、初めて男の子と二人で出かけてみたり。

これから自分を生きるんだ~、と高揚していた時代。ここに来たのには、そういう若かりし自分のカケラを見つけてみたくて、というのもあった。

駅前のシンボルだった魚屋さんが消えていた。

私のアパート(コーポ)はまだあった。屋根とドアはカフェオレ色に塗りなおされていた。

アパートから少し上った一面りんご畑だったところには家が並び、なぜか柿畑になっていた。それにしても空が澄んでいる。

衣料スーパーの前には、10円入れて動く子どもの乗り物があり、店頭ではお皿50円で売っている。“昭和感”が半端ない。もうすぐ平成も終わるけど。

なつかしいけれど、私の記憶力が悪いのとあまりにも日が経っていて、そこまでの感慨はない。

思えば…50代も後半。やっぱりえらい遠くに来ちゃったんだ、私。

18歳当時の私が、やが~ておばさんになった私が自分を訪ねてくると知っていたら、ちょっとしたホラーだな、と思った。

当時は自分が年を取ることを考えすらしなかった。

そして、『神の使者』に出会い『奇跡講座』のワークを始めてからは、あれもこれも、幻想…。

町をぐるっと回ると、小一時間でもう行くとこはなくなった。

で、となりの駅に無料の足湯ができたらしいことをネットで見て、行ってみることにした。

(小さなこころ旅 ②へつづく)

自分が見ている世界を赦すー安田純平さん解放で感じたこと

2018-10-29

「自己責任論」と「社会的使命論」で論争!?

シリアの武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが、先週解放されたとのニュースがあった。

3年4ヶ月もの長い拘束。どんなにかきつく暴力と恐怖にさらされた生活だっただろう。

私は、単純に、助かってよかった、と思った。

テレビで、ネットを中心に「自己責任論」が起こっている、と知った。わざわざ政府も止めているのにそんな危ないところへ行ったのだから、自業自得、自己責任だという。

一方で、ジャーナリズムは報道しなければならないという「社会的使命論」もあり、両者の間に大論争が起こっているという。

解放時のコメントで、安田さんが「荷物がすべて奪われたのでそのことが頭にきている」「日本政府には借りを作りたくない」等と述べたらしく、「ご心配おかけしてすみません。ありがとうございました。」といったコメントを無意識のうちに期待していた私たちが裏切られたように感じたことも一因だと思う。

私はどちらかといえば、「自己責任論」には反対の方だ。

善し悪しはわからないけれど、今心身への暴力で衰弱し尋常ではないだろう人に、さらに平和な国の私たちが追い打ちをかけてどうする、と思う。

でも、「自己責任論」を唱える人も、「社会的使命論」を支持する人も、武装勢力に対する思いは同じだろう。

ACIM的観点から、ものを言ったらどうなる!?

ここで、ふっと思う。

私が、「これは実際起ったように見えるけれど、実際には起ってないんです。私たちは幻想の次元でものを見ているだけなんですよ。

だから、私たちは“起っていない”ことと、それに加わった同胞を赦しましょう。私たちは常に神とともにあり平和です。」と言ったら…、と。

私は、著名人でも見識者でもないからだれも相手にしないけれど、これをテレビに出ている立場がある人が言ったら、論争をしていた両方のエネルギーがいっせいにその人に向かい、「何、無責任なこと言ってるんだ。頭おかしいんじゃないか」ということになるだろう。

そして、あやしい宗教にハマった人のレッテルを貼られ、社会的立場を失うだろう、と想像した。

…これが、私が見ている世界だ。

そして、これが私の恐怖だ。

これこそ、私が赦すべきことなんだ。

ここに行きついた。

そして、ACIMについて考えを述べていく時には、世の中が幻想というだけでは足りない、相手がどう受け取るかは別として、この世の言葉で説明したり表現したりする力も必要だと感じた。

『奇跡講座』の考えを、理屈で考えて整合性がある、正しいにちがいない、と思っている一方で、まだまだ感情的には受け入れがたいとも思っている私。

今「踏み絵」を差しだされたら、何くわぬ顔で踏んでしまいそうだ。

ひとり鍋の季節到来

2018-10-27

だんだん肌寒くなってきて、あったかいものが恋しくなってくる季節。

ほぼ自炊の私にとっては、ひとり鍋の季節到来だ。

昨晩は皮きりにキムチ鍋を作った。

ちょっと卵、火を通し過ぎたか。

食後は体がぽかぽかした。

鍋は、

  • あったまる
  • 手間がかからない(使う食器も少なくて済む)
  • 野菜が取れる
  • 材料を使いまわせる

と、サイコー。

ひとり暮らしだとそれに胡坐をかいて?、鍋が続くことに。

和洋中と味を材料を変えながら、冷える心身をあっためてもらう。

ひとり鍋の本も、(引っ越しの後適当にしまいすぐには出てこないけど)何冊か持っている。

これを「わびしい」と思うかどうかは、人それぞれだけど。

私は、慣れっこになっているから、感じない。

気候温暖化のためか、夏がすごーく長くなった気がする。

暑さがようやく過ぎたと思ったら、ありゃ、今年も残りあと…?とかいう感覚。

12月は鼻っから煽られ感満載で、慌ただしいし。

ホントは、春と秋が長くて、夏と冬はスパイス程度にあるくらいでいいのにな。なんて、思ってしまう。

暑かろうと寒かろうと、家族があろうとなかろうと、ささやかに、自分なりに、暮らしを楽しみたいな。

 

「超」整理法による私のノート

2018-10-24

またコーヒーを溢れさせてしまった

あ、またやってしまった。

コーヒーがマグカップから溢れている。

コーヒーを入れているとき無意識に溢れさせてしまうことがあるのだ。(参考:2018-9-4 コーヒーが占う心模様

自分では気がついていない感情が溢れていたり、気がかりがあったり。

これは無意識からのイエローカード。気をつけよう。

そして、少し薄めのコーヒーを飲むことになる。

1冊に何でも書く私のノート

唐突だけど、ノートや記録のはなし。

私の整理法は、25年前のベストセラー『「超」整理法』だ。

超管理法のエッセンスはシンプルで、「整理すること=分類」というそれまでの観念を脇に置き、すべてのものを時系列に並べるというもの。

分類するから分類方法に迷ったりいざという時にどう分類したかが思い出せなくなる。「時系列」というのは、意外と人の記憶に残るものだという。

だから、ヘタに分類しようとせず、何でも手元ノートに書く。

毎日ノートを書くようになったのは、2002年4月から。

その当時読んでいた『ずっとやりたかったことをやりなさい』という本に、「脳の排水を出す」ために毎朝なんでも頭に浮かんだことを書くということを推奨していた。

それは「モーニングページ」と名づけられていて、私はモーニングページを書くため「モーニングページノート①」をスタートさせたんだった。(略してMPノート!)

そのノートがそのまんま続き、今では130冊目になっている。

初めはB5の罫線入りだったけど、そのうち無地になり、今はA4の方眼と、それなりに変遷している。

ノートは心の友

ノートにはその日の行動をメモする。レコーディングダイエットじゃないけど、食べたメニューまで書いている。買物した時にはその商品詳細を貼り付けることもあるし、旅の計画や引っ越しの段取りなどもノート上でやる。

今では毎朝モーニングページを書くという習慣はなくなったけど、考えごとをするときにはまずノートを開く。

白いページを前にいろいろ書いているうちに、頭が整理されすっきりしてくる。

ノートは親友のようなものだ。

本棚の一角には、ずらーっとMPノートが並んでいる。

これだけのボリュームになると、ちょっと邪魔。だけど「あれ、あの時どうだっけ?」というのを知るのにけっこう役に立つ。

たいしたことは書いてない。人にとってはな~んの価値もないものだ。だけど、その時その時の自分が詰まっているから私にとっては大事。

誰にも見られたくない。

そういえば、最近は、何も考えずだらだら思い浮かんだことを書くモーニングページ、やってないなぁ。

だから、「脳の排水」が溜まっているかなぁ。

深まる秋はノートに向かう最高の季節かもしれないなぁ。

と思う。

絵本作家展でいただいた言霊

2018-10-22

絵本作家の友人の『作家五人展』へ

昨日は、友人と『源氏物語』の一回講座に出た後、一緒に別の友人の絵本作家さんのグループ展を覗いた。

 今年でデビュー20年なんだという。

絵本作家だけで生活するのは難しく、他の仕事をやりながら作家業をやっている。初めは文章だけだったけど、数年前から絵も描いている。

えらいなぁ、と思う。

自分の旗をしっかりあげて自己表現し続けていること。

私はどこかしら自己表現にブロックがあるらしく、だれかに聞いたことをまとめることは数多くやってきたけど、自分の名前で発表したことはほとんどない。(このブログはそれに当たるかな?ちがうか)

だから、続けるのは厳しいと言いながら作品を出し続けている彼が、眩しく思えるのだ。

「出版社へ持ち込み」道を開く

私が彼と話しこんでいる間、友人は別の若い女性作家さんに「デビューのきっかけ」を聞いていた。

「出版社への持ち込み」なのだと言う。

ああ、そうだよね、そうやって道なきところを切り開いて、実績を積んでいくんだよね。

若い頃、世界を舞台にチャレンジしたいと思っていた、その頃の自分をふと思い出した。

最近の私は、気がつくと老い先ばかりを考えている。。。

その作家さんが描く世界は、やわらかくあったかく、明るくてまさに子どもの世界だった。

…思えば、私、自由なんだ!

私は、思いつきで惣菜店を作るなど無鉄砲なところがある一面、自分が本心で思うことを表現したり実行することには、驚くほど臆病でもある。言い訳ばかりしてきた。

自信が持てない。

まだ、キャリアが足りない。

今は…。

もう歳だ。

じゃあ、いつやるというんだろう?

そして、実のところ、何がしたいのだろう??

今、私は、自由なんだよぉーー!

「ネコの言霊」もらった、意味未だ不明

私の友人作家は、「ネコの言霊」という企画をやっていた。

ガラポンひいてその番号によって、それぞれ彼が手描きで描いた絵ハガキをくれる。「当てたカードが、今、あなたがもっとも必要としているメッセージ!」というもの。1回500円。

私は、その種のことは今はもう興味がなくなっていたけれど、彼の頑張りに1票投じるようなつもりで、やってみた。

出てきたメッセージは…、

「おとなりさん

フクローさんとミミズクさん」

ん?なんじゃ??

一緒に来た友人も引いてみたが、それは「愛されるために生まれてきた」という言葉が書かれた黒猫だった。

そういうのならわかるけど、

「おとなりさん」とは、何ぞや。

まったく思いつかない。これから起こる何かのヒント?

興味ないと言っていたくせに、言霊の解釈をあれやこれや謎解きしたくなるのだった。

「人生は末広がり」ー友人の人生観

2018-10-18

友人と小石川植物園へ

きのう仲のいい友だちと会った。

いっしょにお昼を食べた後バスで小石川植物園に行った。東京ドーム3.5倍という広い都会のオアシス。平日だからか人はまばらだった。

ベンチに座って缶コーヒーを飲みながら、いろいろおしゃべりした。

いつも前向きで努力家の友人。

少し年下だけど、つい加齢や健康、老いじたくやこれからの人生の話になった。

そこで感じ入ったのは、友人の死生観だった。

人生は「末広がり」なものだと捉えているという。

そして、「死は避けられ感じられないもの」。だから、それまで毎日よいと思える日をこつこつ重ねるのだと。そして末広がりだと感じられるよう努力するのだと。

その口ぶりから、いわゆる死への恐怖は感じられず、あたかも死もステップの一つという感じを受けた。

その「前向きさ」は、まだ彼女が自身の死を現実的に感じることがないくらい若いからだろうか。

死とはオセロゲームで最後に逆転されるようなもの?

世の中に若さや健康を前提とした幸せや豊かさを象徴するグッズは、山ほどある。

だけど、いかに人生を豊かに生きられたかどうかは、晩年の人生観や姿勢が大きくものを言うような気がしている。

芸能人や著名人の方で、若い頃いけいけどんどんで(死語?)権勢、栄華を極めるも、最晩年に別人のようにきびしい死を迎える例がある(私の見え方)。

それは、まるでオセロゲームで、どんどん白(黒)を増やしていたのに、最後に角を取られて全部裏返されてしまってゲームオーバー!のように、私には見える。

それは、私が人生を勝ち負けや白黒といった二元論で見てしまいがちな証拠なのかもしれない。

人生を勝ち負けで見てしまうと、健康や若さは勝ちで、老いや死は負けになるだろう。

でもそう考えてしまうと、老いや死は誰にでも自然に訪れるものなので、みーんな最後は負け!になってしまう。

それでは、人生はなんとも儚いものになってしまう。浮かばれない。

そういう自分の考え方から、脱したいとどこかで思っていたから、知らず知らず『奇跡講座』に惹かれたのかもしれない。

罪悪感が少なく死への恐怖も少ない友人は、『奇跡講座』のことは知らなくても、私よりずっとコース(A Course in Miracle)の先を行っている感じがした。

道の行き方はいろいろ。

人生のこと諸々話せる友だちの存在がありがたい。

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