けさのウォーキングで
2017-11-01
自分のなかのホーリースピリットを意識する
さわやかな小春日和というのかな、空気はひんやりとしつつも空が澄んでいる。寒い、寒い、と体を堅くする前の穏やかな陽気。慌ただしい師走の前、心を旅させるのにもいい季節かもしれない。
私は最近のワークでは、主題概念のワークの前に、 自分の中の「死なない部分」とその性質をイメージするということをしている。
無限にやさしく…無限に感謝にみちて、無限に神聖で…無限に誠実で、無限に喜びにみちて…無限に穏やかで、無限に豊かで…。
「私の中の死なない、神聖なところ」…最初は短かったイメージが、長くなり最近は7つもの形容詞を並べるようになった。きれいごとに聴こえてもかまわない。この私ではなく、神の似姿のことだから。
「自分の中の死なない部分」とは、死を恐れている私が、実は私たちは体ではなく霊なのだと自分に宣言し、自分の心の奥底に住まうホーリースピリットを意識する、フックとなることばなんだと思う。
ホーリースピリットそのものを意識するより、こっちの方がイメージがしやすくて使っている。実際の私ではないから気がねなくイメージを飛ばす。
この世で住まう、体を持った私も、暗示効果で少しでもそうなったらいいな、という思いもある。
日常ではぜんぜん…まだまだ
でも、けさのウォーキングで、自分はその性質からはえらく遠いと、改めて気づかされることがあった。
一週間ぶりのウォーキング。車一方通行の狭い道で、黒い服の若い男性がふらつきながら向こうからやってきた。
お酒に酔っているのかな、そうじゃないのかな、千鳥足みたい、足元がおぼつかない。道の脇の家の門にぶつかったり反対方向に大きくよろけたりしながら、こちらに向かってくる。
ラリってる!? 危ない人?…と思った。
私の前には杖をついてとぼとぼ歩く小柄なおばあちゃん。
このままではふらついたまま、おばあちゃんを巻き込んで倒れてしまう!…私は、その男性とおばあちゃんの間に入ろうと歩幅を大きくした。
…、とそのおばあちゃんが、男性に話しかけた。
「だいじょうぶ、あーた。具合わるいの?」
私は、一見危なそうに見える男性におばあちゃんが話しかけるとは思っておらず、びっくりした。
男性は「あ、だいじょうぶ…コンビニすぐそこだし…」
おばあちゃん「シャッターに手を添えたまんま歩きなさい」
男性「は…い」
私は勝手に男性を見た目で警戒したことを恥ずかしく思った。そして、おばあちゃん、えらいな、と思った。
おばあちゃんと私は、目が合う。安堵の表情。
おばあちゃんの隣からお顔を覗いて「やさしいですね」と声をかけた。おばあちゃんは、「な~んも、だれんでもおんなじ」と。
その瞬間、向かいからフルスピードの自転車。おっさんが私に、
「前見て歩け、このあほーっ!」と罵声を浴びせて走り去った。
私はとっさに「すいません」と言ったものの、ただ並んで歩いていただけ。私のほうがすごく危ないことしてたわけないじゃん、と憮然としてしまった。
「な~ん、だれんでもおんなじ」と体から優しさがにじみ出るおばあちゃんと、人を見た目で警戒したり、ささいなことにも赦すどころかムッとしてしまう私。
日々のワークが日常に現れるには、まだまだ時間がかかりそう…と思うのだった。