日々のこと・きもち

ブログを始めて3年経った

2019-01-22

お~、丸3年

さっきふと思ってこのブログの最初の日を見てみたら、2016年1月20だった。

お~、丸3年経ってる!

そんなに頻繁に更新しているわけではないし、誰かに向けて有益な情報が届けられているわけでもない。

けどけど、私にとっては3年か~としみじみする。

ブログを作りたいとノートに呟いていたのは、たしか2015年の春ごろ。2015年中にはACIMワークが終わりそうだと思い、その後ACIMとつながり自己表現できるものが何か欲しいと思った。

ACIMについて感じたことを文章化していくことが次の学びのステップだと思ったのだ。

だけどそれから実際に始めるまでに1年近くかかった。

その年の6月父が亡くなり自分を取り巻く世界が大きく変わったし、その頃はまだ仕事もしていた。無料ブログサービスがいいのかWordpressがいいのか、どのテンプレートが自分の気分に合うかなどでもかなり足踏みしていた。

何より怖さで固まっていた。

これまでの人生で少数派意見を表明したことはない。自分でもよくわからないものをたとえ実名ではないにせよ、どう書いたらいいのか。まず、どんなスタンスで書くの?

誰かに見られたら?(ブログは見てもらうためのものだけど)

あるいは誰にも見られなかったら?

まだ“ちゃんと”理解できているわけではないし。。

頭おかしいやつと批判されたらどうしよう。。

などなど。

…自意識過剰って疲れる。

人生で「これだ」と思えるもの

実際書いてみると、パソコン画面の外に誰かがいるってことはほどなく意識されなくなり、書くことによって心と頭が整理されてよいことがわかった。

これがただノートにメモする方法だったら逆に続かないかもしれない。

ただブログを更新するということだけでも、私にとってはおおごとだし、私にとっては有益だった。

結局ACIMワークをもう一度やることになり、ただそれに付随して書いているだけで、本当はもっとACIMについていろいろ掘り下げたり感じたりしたかったけど、そういったそもそものことはできず。

でも、まあ、いいのだ。

昔、本多静六さんの本を読んで、「価値のある文書を毎日、原稿用紙1枚(14行32字詰め)以上書く」ということを25歳の時から習慣にしていると知り、すごいな~と思った。

本多静六博士はその結果生涯で376冊もの本を書いている。

「価値のある文書」というところが、私の場合はつらいところだけど、でもいい。

自分のA Couese in Miraclesのスタンプカード的に重なっていく感じがあって、気休めになるから。

何かこれだ、と思えるものが人生にほしいとずっと思っていて、それが得られてない感じがずっとあった。が、今は「ACIM」がそれだと思える。

そういうものに出会えたと思えていることが、幸せだ。

おもてなし英語講座 初回

2019-01-16

おもてなし英語講座が始まった

帰省中に歯の詰め物が取れてしまっていたので、きのう直近でお世話になった旧居近く歯医者さんに行った。

15年住んだ街並みは懐かしかった。スーパーに寄ったら見慣れたお客さんの顔があって、ことスーパーに関してはまだ断然こっちのほうが落ち着くと思った。

よく使っていたけど今の住まいのスーパーでは見かけない、白だしを買ってショルダーバッグに放り込んで店を出た。

きのうは、区のおもてなし英語講座の初回でもあった。

初日はオリエンテーション。案内に「自己紹介のため30分の延長」とあった私は、てっきり英語で自己紹介するものと思い込み歯医者さんの後マクドナルドに寄って、英語での自己紹介文を四苦八苦して作ったが、日本語でだったので、ありゃ、と気が抜けた。

それでよかったんだけど。

第1回目は英会話にはまったく入らず、「外国人居住者が増加しているなか、いかに外国人コミュニティを盛り上げていけるか、多文化共生していけるか」というテーマの講義だった。

グループになって議論して、リーダー役になった人がグループの意見を発表した(初対面の方とこういうことするのがキンチョーする)。

私にとっては、ACIMの価値観を学びつつ自分がこの社会とどう折り合いをつけて生きていくか(ACIMの価値観というのも正しく学べているかわからないし)とのほうが大テーマで、正直そこまで気が回らないよーという気持ちだった。

でも、昨年末入管法の改正案が成立し今後5年間で最大34.5万人の外国人を受け入れることが見込まれているという。多文化共生というのは今度とっても大事なテーマになるだろう。

日本のこともっと知りたい

日本人同士で「あたりまえ」と思っていることは決してあたりまえではない。また日本人がなんとなく慣習的にやっていることで、理解できていないことも多い。

自己紹介のなかで「海外の方に神社とお寺のちがいを聞かれても説明できないから学びたい」と受講動機を語っておられた方がいたが、改めて問われると私も日本のこと文化にしても宗教にしても歴史にしても、よく知らないし説明もできない。

歳を重ねてきた今、そういうことも知っておきたいなと思った。

多層化する社会

世の中には、性別、年齢、職業、考え方、専門分野・関心、趣味、所得層、などなど、さまざまなレイヤー(層)があって、あるものに属したり属さなかったりしている。国籍はそのレイヤーの一つに過ぎないんじゃ?

そしてグローバル化が続くと、国というレイヤーより考え方や関心によって、人の近しい遠いが強くなっていくんじゃ…?

さらにそれによって世界のあり様もどんどん変化していくだろう。

でもやっぱり「国」が根底にあるのかな、

などととりとめもなく考えた。

My New Year Resolution (新年の抱負)

2019-01-12

2019年最初の英会話教室はMy New Year Resolution

おとといの新年最初の英会話講座。教室に入ると黒板に「My New Year Resolution」。横に日本語で「新年の抱負」とあった。

Resolutionは、たしか(問題などの)解決と習ったような気がするが、「抱負」にも使うのか。直訳すると「今年の課題」や「お題」みたいな意味なのかな。

先生は、

  • Get in shape(体調を整える)
  • Start eating healthier food(もっと健康的な食事を始める)
  • Give up smoking(タバコをやめる)
  • Spend less time on social media(snsに使う時間を短くする)

などなどたくさんの例を書いたプリントをくださった。裏面にも抱負の例がずらり。数えてみたら55コも例文があった。

「Eat vegetarian one day a week(週に一度はベジタリアンの食事をする)」などあまりにも具体的なものもあって、これはやはり「抱負」というよりは「目標」とか「やりたいこと」に近いんじゃ?

先生は、このリストの中で自分にも当てはまるものに○をつけて、それから、その下に自分のオリジナルのResolutionを5つ書きなさいとおっしゃった。

ACIM的に見れば、目標や課題は何かが欠けているとの発想の上に立つ。

本来の自分はすでに神の子として完璧なのだから、それに気づけばよいだけということになるだろうが、ここは英会話のクラス。具体的な目標を考える。(私は「新しい私」を祈りの祭壇に捧げており、ここでも矛盾しているが。)

先生はみんなの周りをまわって、それぞれの英訳をサポート。それから、一人ひとり発表となった。

こういう類のものは「さぁ、今年の目標を5コ挙げるぞ」と身構えてしまうと私のような完璧主義かつ怠け者タイプは逆にやりづらい。何でもいい、短時間に挙げよというほうがいいのかもしれない。

オリジナルの目標

そこで私が書いたのが、これ。7つになってしまった。

 ① Make up business system to earn money through Internet(インターネットを使った儲けのしくみを作りたい) 
 ② Be concerned about my mother's health (母の健康を気遣う)
 ③ Learn Japanese modern history(日本の近代史を学びたい)
 ④   Use my new personal computer well(新しいパソコンを使いこなせるようになりたい)
 ⑤  Ageing gracefully(優雅に歳を重ねたい)
 ⑥ Cure a symptom of frequent urination(頻尿を治したい)
 ⑦ Make up my original picture book(自分で絵本を作りたい)

 

期せずして、今年の目標ができた

短時間で思いつくまま書きなぐった。心のままに書けたかもしれない。

①のネットを使った収入のしくみづくりは、ずっと何年も前から思っていること。だけどサイトづくりを少しかじるだけで何にもできてない。

まず商品がない。またこれからシニア世代に入る私にネットを使ったことができるのか。(優先順位:高)

②…「母の健康を気遣う」とは抽象的だけど。東京に戻ってきてから、黒ニンニクとお腹のハリを抑える薬ガスピタンと松山千春のCDを送ったら、喜んでくれた。(優先順位:高)

③…歴史は男の人ばかり活躍している印象から、あまり興味がなかったけど、歳とると昔に意識が向く。黒船が来航したあたりからどう変わっていったのか、なぜ戦争せざるをえなかったのか知りたくなった。(優先順位:低)

④…新しいノートパソコンを買ったけど使えてない。デスクトップ型パソコンのキーボードのほうが使いやすくて。でもやがてWindows7のサポートも終わることだし、使えるようになりたい。(優先順位:中)

⑤…「Sucsessful aging」と書いていたら、先生が「gracefully」を使ったほうがいいと教えてくださった。抽象的だけど。(優先順位:中)

⑥…⑤とギャップがあるけど、逆に⑤を満たすにはこれが大事ともいえる。若いころからトイレが近かったから慣れっこになり放置しているが、今年は改善したい。(優先順位:高)

⑦…絵本の作り方の本も買ったことだし。そんな気概はないのだけど思いついて書いた。(優先順位:低)

 

英会話教室に出たら、期せずして今年の目標ができた。

7つ位だったら私でも覚えていられるかな。

その中で優先度高いのは3つだとわかったし。3つなら私でも覚えて…?実行できるかどうかは自信ないけど。覚書。

 

2019年の東京生活スタート

2019-01-09

7日の昼すぎ東京の自宅に着いた。

母に着いたよ、と電話を入れたら、

「あんた、3日も遅く帰って…ちゃんと仕事あるがけ?心配やわ」と母。

最も痛いところを突かれ、かっとした私は、

「具合悪くなったお母さんのせいやにか!」と答え、それだけでは済まず、

「だいたいお母さん、あったまおかしいよ!入院した次の日お腹大丈夫?って聞いたら、腰痛いって言って。普通は、お腹のこと言うでしょ!良くなったとか、痛み取れたとか。」

と言い放ってしまった。

せっかくお正月を穏やかに過ごせたと思っていたのに…。暴言をぶつけてしまった。反論するにしても「あったまおかしよ」は余計だった。

攻撃を受けたように感じそれをかわすだけではなく、瞬時に戦闘モードに入ってしまったのだ。

その時は、神さまも聖霊さんも寄せつけなかった私。

は~、1年365日24時間の赦しには、まだ果てしなく遠いと思い知る。

近しい人ほど、感情を揺さぶられる。

ことに母には。

本当は、元気になってくれたことだけでありがたいはずなんだけど。

実家と東京の家では、自分のなかで稼働しているデバイス?ソフトウェア?がちがう気がする。切り替えて、そうそうここではこうだったと思いだすまでに少し時間が要る。

そして、多少出遅れたが、ようやく昨日から、私の2019年東京生活がスタートした。

頭でっかちなACIM学習に少しずつ実践が伴いますように。

母、緊急入院!?

2019-01-07

帰京日、母腹痛で緊急救命センターへ

4日の切符をネット予約してあったが、母のパソコンの調子が悪くそれを回復させるべく、帰京を5日に変更していた。

しかしー。

5日の午後、施設に入居している伯父(母の兄)のお見舞い後ランチを食べて帰った午後4時あたりから、母の調子がおかしくなった。

お腹が痛いと言う。

腹痛は誰にでもあるが、私が家を出なくてはならない夕方6時になっても治るどころか、ますます痛むらしい。

どうしたものか。

土曜日の午後はどの病院も休診だ。

しかし、ますます苦しんでいる母。放っておくわけにはいかない。

緊急救命センターに電話してみたところ、「来てください」とのことでタクシーで向かう。

センターには大勢の人がいてびっくりした。待合室で待つも、激しく痛がっている母は中に入れてもらってベッドで待機することに。

10床位あったベッドもほぼ患者で埋まっている。泣きじゃくっている赤ちゃんもいる。

1時間位待ったところで、穏やかそうな男性医師が来られて、痛がる母のお腹を触診、「急を要する危険性おそらくなし」とのだったが、血液検査とレントゲンによる検査をすることに。

1時間位待ったところで、血液検査、レントゲン検査を実施。

それから、また待つこと1時間。母の痛がり方はどんどん激しくなっていく。

人手も限られているなか、看護師さんはテキパキと動かれている。「5分後、救急車到着します」とのアナウンスがあり、場に緊張が走っている。

そのまま入院することに

それから、また1時間位たったところで、医師から私が呼ばれる。

レントゲン画像を見ながら、「これが胃で、これが腸ね…」

何を言われる?と、体を硬直させ身構える私。

「ぜんぶきれいですね。多少ガスが溜まっているけど、血液検査、レントゲンとも異常なしです。」

ほっとする。よかった。

「何か変わったことは?」と聞かれ、「特にありませんが」と前置きしつつ、今日、私がお正月帰省から自宅へ戻る予定だった旨を話すと、「あ、そのやつね。今日も5人位、そういう方来てるよ」と。

そのやつってー?

「アルプスの少女ハイジ」でクララが足は悪くないのに歩けなかった、みたいなやつ?まさか??

母にレントゲンも血液検査も問題なしと伝えるが、本人はますます痛む様子。「昼食べたものが悪かったに違いない」と言い、浣腸して出したいと言う。

それを伝えに行くと「浣腸することで満足なさるなら、しますが」と医師。

浣腸後も、ますます派手に痛がる母。

私に「何とかしてー」というが、職員の皆が忙しそうな中で「検査で異常なし」となった老女にかまける暇がある人はいない。

私は、痛み止めだけでも、とお願いすることしかできなかった。

到着から約6時間後、緊急救命センターも落ち着いてきた頃、医師が「辛そうだし、家に帰っても眠れないでしょう、入院しますか」とおっしゃった。それから痛み止め?安定剤?の注射を打った後、入院の手続きとなった。

「たぶん翌朝退院できると思うから、10時に迎えにいらしてください。」

母がいない家の冷たさにたじろく

夜家に着いた時には、深夜1時を回っていた。

家はしんと静まり返っている。母がいない家に夜間に一人でいたことがなかったから、そのひとけのない冷たさにたじろいだ。

一日中あれやこれやと聞いてくる母にうんざりしていたけど、ここは母の声でうるさい場所、それでいいのだ、と思い返した。

お母さん、重病じゃなくてよかった。

それにしても、あの子供っぽい痛がり方とだだをこねる様。こんな人だったっけ?

翌朝母からの着信を見つけた。

電話すると「退院だって」と母。

「お母さん、お腹痛くない?もう大丈夫?」と聞くと、

「側弯症の腰の右、痛いが~」と。

なに?おいおい!

腹痛で入院したんだろうが!!

と呆れ果ててしまった。

お腹はすっかり治ったらしい。

帰宅後、コーヒーを美味しそうに飲んでいた。

これってお母さんと私の共依存劇場!?

これは、母と長時間同じ空間に過ごすのがしんどいと思いつつ意識下で罪悪感を持っている私と、

自律していて年の割にしっかりしていると思いつつ意識下で娘に甘えたいと思っている母の、

共依存が結晶してゲンジツ化した映像だろうか。

私がもっと母と居たいがために、母に腹痛を引き起こさせたのか。

ようやく1月7日。予定より3日遅れで東京に戻ってきた。

北陸新幹線から撮った日本海の空と、東京の空のちがうこと!東京の空はなんて明るいんだろう。

今年は、やはり母への特別な愛と罪悪感と向き合う年になりそうだ。

 

初夢ー「ハリネズミのジレンマ?」

2019-01-05

明け方夢を見た。

新年を迎えて初めての夢だから、「初夢」と言えるのかな。

<2019年 初夢>

母とどこか旅に出ているらしい。

ひなびた質素な宿に着き、夕食に食堂でおにぎり3つとみそ汁をいただいた。

部屋は相部屋らしく、先客の女性がいた。40代位で旅慣れた様子だ。

しばらくすると宿の人がふとんを敷いていく。

私はその部屋に先客の女性と私たち母娘の3人で泊まるのだと思っていたが、そのうち人が増え女性ばかり10人ほどになった。一人客が多いらしい。部屋は10畳位。ふとんは6~7組。ここでみんなで雑魚寝するようだ。

私は泊ったことはないのだけど山小屋風?なのかな。

私と母は部屋の入り口のふとん1組あるところにいたが、2人で寝るには窮屈。隣の人は少しも動こうとはしない。

母はいらいらしだして、奥まったところに行き「私ここにする」と言う。

私は「だけど、お母さん、ここじゃ夜中にトイレに行く時みんなに躓いてしまうよ」と言っている。

この宿にはお風呂もないみたい。

母は次第に声を荒げていく。ちゃんとした寝床もないうえにお風呂もないことに怒っているのだ。「みんなお風呂も入らんていうがけ?」と私に詰め寄る。

最初に言葉を交わしていた宿泊客が、母に対してイラつきだした。

このスタイルに慣れているんだろう。

「ここでのマナーに従って」と母に注意する。

険悪な空気になっていく。

私は、母の背中をなでて

「お母さん、ごめん。私が悪いが(方言:悪いの)。ちゃんと見んだから。今度からもっとちゃんと揃ったところにするから、今日は収めて。ごめん、こめん…」と言いながら泣き出している。

老いた母への愛しさと、その母を満足させたかったという落胆の気持ち、母への「悪かった」という気持ちがまぜこぜだ。

ごめん、ごめん。

悪いのは私なが(方言)。

今度はきれいないいところにしよう。

お母さんが望んだようにできなくて、ごめん。

その気持ちが強まって目が覚めた。外はまだ真っ暗だった。

夢をノートに書いていたら、ゲンジツでも涙が出てきた

リアルな感情を伴う夢は久しぶり。

夢日記を書こうとペンを取ってからも、感情がこみ上げてきて涙が落ちてノートがべこべこになった。

母への罪悪感。

若いころからいろいろ面倒ばかりかけて、

お母さんが期待したり望んだりしたことはまったく満たせなかった。

ごめん…、申し訳ない。そんな気持ちと、

母をもっと喜ばせたかった、という気持ち。

そこに情みたいなものが絡んでいる。

冬の北陸に一人母を残して、今日、帰京せんという自分に負い目もあるのか…。

孫の顔を見せられず(家意識が強い富山県ではこれは大事)、

同居もしておらず、

せめて一緒に行こうと来た(夢の中の)旅で、こんな思いをさせてしまった…

 

そんな思いがあるなら、一緒に住めばいいのに、一人の時間がないと辛い私は一日中質問攻めの母についいらいらしてしまい、一つ屋根の下では住めないと思ってしまう。

大人になりきれなかった娘(昔よく言ったいわゆるアダルトチルドレン)が、老いても未だマザコンをこじらせている、といった絵か。

正しい例えなのかどうかわからないが、「ハリネズミのジレンマ」という言葉を思い出した。

これはまさに『神からの分離』の投影だ

一方で、ACIM的観点からみれば、これはまさに『神からの分離』を前提とした罪悪感の投影以外の何物でもない。

この世で、神はカリスマや親に投影されやすい。

これは私のエゴが見せているまさに夢であり、この罪悪感こそが私が手放すべく練習しているものなのだ。

と気づく。

母は、私の赦しの機会の権化か。ゲームでいうとボスキャラといったところか。

『神との分離』から来る恐怖感と罪悪感を赦すことがACIMの根幹だと思うが、恐怖感より罪悪感のほうがいろんな感情と絡み合っていて正体がみやぶりにくい。なので、赦しにくいように思う。

今年の精神的なテーマはこれかな、

母に対して感じている罪悪感を赦すこと。

今朝はちょっぴり優しくしようと意識したけど。5分と持たなかった。

母が接骨院に行っているこの時間、静かだ。外の雨音が聞こえる。

昔ながらのお正月

2019-01-02

あけましておめでとうございます、と新年のごあいさつをひとまず(^^)

元旦。

仏さまと神道の神さまと、天神さまにお雑煮をお供えして、手を合わせる。

神道の神さまと仏さまが共存しているところが、日本的。おまけに立身出世を願い学問の神さま天神さままで加えてしまうのは、富山県ならでは。

神さまと仏さま。そして天神さま。一見折り合わないように思うけど、先祖供養と子孫繁栄を願う気持ちでは一貫しているのだ。

 

それから母とお雑煮を食べた。

懐かしい味。おいしい。ほっこりする。

その後近くの神社に初詣に行った。神社は境内の外まで長い行列で、お参りするまで50分かかった。

おみくじも引いた。「小吉」だった。大きな飛躍をもくろむことなく、地味に地道に努力を重ねるべしとのこと。

 

ACIMワークのほうは、元日の朝からだめだった。

高齢な母は朝がとびっきり早く、起きている間休むことなく話しかけてくる。ひとり静かにいられる時間が見つけられなかった(母が就寝後の夜は何とかできた)。

二日の朝もしかり。

まあ、私のやる気が足りないのだけど。

10時からお寺から尼さんが読経に見えることになっていたので、そのお経を聞きながらワークをすればいいんじゃ?と思いついた。わが家は浄土宗だ。心の広い法然さんは許してくださるだろう。

尼さんの声は張りがあって美しく、目をつぶって聞きながら神さまと聖霊さん、父母に感謝した。心が洗われる気がした。

一人暮らしの私は、人とずっといるのに慣れておらず、一日中話しかけてくる母にワークでの感謝とは裏腹に、三日目にはもう疲れてしまった。

もちろんこれは私が映している幻像だ。

実家は赦しの機会の宝庫だと痛感。

「自分らしく」なっていると思っていたけど、母の前では撃沈。

今年も、相も変わらずここからスタートだ。

 

クリスマス・ストレス!?からの

2018-12-21

クリスマスが苦手なのはひとりだから

クリスマスイブが近い。

私はじつはクリスマスが苦手だ。

11月ハロウィンが終わった頃から街に響きだすクリスマスソングがひどく耳ざわりだった。毎日行くスーパーでさええんえんと流れ続け、レジ係は赤いサンタの帽子姿。

うざい…

クリスマス・イブは「もっとも大事な人と過ごす日」という刷り込みがあるのに私はここ何年もひとりというのが、ストレスの主原因なんだろう。

いつもは気楽でいいと思っているくせに。。ね。

なんか、去年もそんなようなことを言っていたな、と思って、ブログを検索してみたら、去年もおととしも似たようなことを言ってた。

「クリスマス*コワイ」(2016年12月19日)

「おひとりさまは12月が苦手!?」(2017年12月2日)

変わってない…私 (^_^;)

今年は引っ越して都心から少し遠くなったためか、クリスマスソングが去年ほど耳に入ってこない。楽だ。

クリスマスと健康リスク

クリスマスソングが苦手だなんて人に言いにくいと思っていたけど、「クリスマスソングは健康に悪影響」という記事をどこかで見た。

主に同じ曲を長時間聴き続けなければならないショップ店員さんのことを言っているらしい。

また「クリスマスイブは心筋梗塞の発症リスクが高い」とのニュースも見た。

何でもイブは、その前後2週間と比べて発作リスクが37%増加するとか。そのピークは夜10時らしい。

原因については、イブはお祝いのメインの日であるため感情が高ぶりストレスにつながる可能性と言及。

二元性の世界、光を集めればそれだけ陰も強くあるんだろうと思う。

今年は聖霊さんと厳かなときを

『奇跡講座』を学習し始めて早6年目。

いいかげん、自分が見せているこの二元性の世界で「小さな世間基準と(自分が)ちがう」ことをストレスを感じるのは止めにしてはどうか、と自分に持ちかけたい。

明日は、ここ数年前にiPad mini講座を受けた時の先生と受講生の仲間で同じく受講生だったシャンソン歌手の方のクリスマスコンサートに行く。

とっても心にしみる歌を聴ける素晴らしい時間。

これがここ数年のこの時期の過ごし方で、これは自分に「私のクリスマスは済ましましたよ」というハンコ的役割もしていたのだ。

それでも24日の夜はどことなく寂しく感じていた。

でも、考えてみれば、クリスマスは、『奇跡講座』の著者であるイエス・キリストのお誕生日。

「時間はない」というイエスさまがお誕生日をどれだけ大事に思っているかどうかはわからないけど、そろそろストレスに思うのじゃなくて、厳かに聖霊とともに過ごしたいものだ。

それにはキャンドルくらいあったほうがいいかな。

今年の漢字、もとい「感」

2018-12-18

張本選手の今年の漢字「感」…私も!

今朝お風呂で(昨夜入ったのだけど、髪が大爆発してて収拾がつかず)、卓球の張本智和選手が記者に「今年の漢字は?」と聞かれて「感」と答えたというニュースをふと思い出した。

「いろいろなことを感じた年だったし、支えてくれた両親に感謝をこめて」と言った意味合いだった。

おー、15歳なのになんてしっかりしているんだと思った。

それを思い出し、

あ゛~、感だ、感だ、私も「感」だ、と思った。

私、昨日ブログで自分の今年の一字を「迷」か「猶」か、と言ったけどまちがいだ。張本選手の真似しちゃうけど、私も感謝の「感」だ!

こうして、無事引っ越しできて穏やかに過ごせていること。

秋には母と京都に行けたこと。

身に余る一年だった。

引っ越しプロジェクトが着地できたことに思いを馳せる

思えば、去年の今頃、旧居のご近所さんから道端で「私たち、来年もたまさんに理事長やってもらおうと話してたのよ」というのを聞いたのが、引っ越しプロジェクトの始まりだった。

人間関係が複雑な古いマンションでの調整役は私には荷が重く、え゛ー、やぁっと任期が終わると思っていたのに(>_<)、とパニくったのだった。

今から思えば、そういった“後押し”がなくては引っ越しできなかった。

後で聞くところによると、マンションは売りに出して2年位売れないこともあるらしい。

売ることと買うことのタイミングがうまく合ったことも、今思えばラッキーだった。

私は前より静かな解放感ある空間を得ることができた。オートロックになって安心感も増した。

これは、私がどうにかできることではない。

たまたま、運よくだった。

感謝しかない。

おまけに東京オリンピック前だからか地価が上がっていたため、購入時よりかなり高く買ってもらえ身の振り方に“猶予”ができたことも大きかった。

張本選手に便乗するけど、私も今年の漢字は「感」。

常に四の五の言ったりしているのは、私のエゴで私のクセでもある。

だけど、本来の私はとても自由で豊かだ。

それが前より感じられるようになった。

来年の漢字は…とイメージが膨らんで「飛」かな?と思ったけど、これは欲張りすぎか。(まぁ、「飛」にもいろんな意味があるけど)

Apple新宿へ、iPhoneの電池交換に行った

2018-12-14

iPhone割引電池交換を予約

iPhoneの割引価格での電池交換(8,800円→3,200円)が年内終了だった。ネットで「予約が取れない」とのニュースを見て、思い出した。

私もできればお願いしたい。

予約サイトを見た。たしかにもうすでにいっぱい。

でもしつこく何度も画面をチェックしてたら、ふっと「Apple,新宿」の「12/14 17:10」に空きが出た。で、慌てて申し込んだのが数日前。Appleって新宿にもあったんだ…

Apple,新宿にはちょっとした外国感があった

夕方の新宿はこれから飲みに繰り出そうとする人たち?で賑わっていて、師走の雰囲気を感じた。もっとも、賑わっているのは年がら年中なんだろうけど。

Apple,新宿はマルイの正面玄関に堂々と陣取っていた。

店内がすごく明るい。大きなスクリーン。カウンターの商品をさわっている人。店内の壁沿いをぐるっと囲むように長ーい行列。おそろいの赤いTシャツのおしゃれな店員さん。

外国に来たみたいだ。気遅れがする。

大縄跳びの中に入るくらいの勢いをつけて、声をかけたら、分担がしっかりしているらしく思いのほかスムーズだった。

長い行列について聞いてみたら「商品ご購入希望のお客様の順番待ちです」とのこと。みんなの購買意欲の高さにびっくりした。

「○○○で△△、もしくは○○○で□□、どちらになさいますか」

何度も説明しているのだろう、女性店員さんは早口で流暢すぎて聞きとれず。

私一人でいて人と話す機会が少ないから、日本語のヒアリングとスピーキングがヘタになっているのだ。

パードゥン…、と心のなかでつぶやく。

「あ、ごめんなさい。もう一度お願いします」

iPhoneを開いてみたら壊れていたという場合、3万いくらかで買い直すか、電池交換もせずそのまま返すか、の選択肢だった。

後者をお願いした。

2時間位かかる、と言う。引き取り時間は19:15~30。

格安カット店からの、ハンバーガー屋さんも久しぶり

2時間どうしよっかなー、と思ったけど、マルイの中に格安カット店が入っていたから、髪を切りに(30分)。それでも時間があったので、ファーストキッチンで日替わりハンバーガーセットを食べて、図書館で借りたての『罪と罰』を読んでいた。

夜の新宿を歩くことも、Appleに入ることも、ハンバーガー屋さんに入ることも、どれもみな人(若者?)にとっては日常的なトーンでできることだろうけど、私は、それぞれにちょっとしたエイッって感じがあった。

ちょっぴり新鮮なような、背伸びするような。それが心地よくもあった。

やっぱり外国感なのかな。

歳を重ねるってことは、自分の国が外国になっていくような感覚なのかもしれない。

そういえば、何より難度が高かったのは、電池交換の前日に、パックアップを取ること。ネットで調べながら2時間位かかった。

子どもとかいたら、聞けるんだろうけど。

これからもいろんな変化とその対応のあれやこれやがあるんだろうなと思う。

(ワークL228について書くつもりが気づいたら、電池交換で終わってしまった。たぶん2時間余りの師走の夜の新宿がワクワクして楽しかったんだと思う)

「家に帰るまでが遠足」…帰り道で大失敗

2018-12-07

旅の余韻、帰りの新幹線

しつこく旅行ネタ。

4日の午後1時、母が乗った金沢行きサンダーバードを見送った後、私ものぞみに乗って東京に向かった。

旅、慌ただしかったな。お母さんにも無理を強いたかな。

やさしくしたいと思っていたのに、次の行き方を調べたり乗り場を探したりといった目の前のことでいっぱいいっぱいで、だめだった。。

最終日の駅カフェで母がパンを「油っこい、こりゃ胸やけするわ」と言った時も、(乗り場に近いから、ここがいいって自分で言ったくせに)「だったら、無理して食べなきゃいいじゃない、残しとけば?」と、言ってしまった。

母と話していると、つい自分が責められたような気分になってイライラしてしまうのだ。

初めは受け流していられたのに、3日目には反応してしまっている自分がいた。(これこそ赦すべきことだ)

ああ、結局ダメだった。。と旅を反芻する。

母は好奇心旺盛で自分でも頭がいいと思っているが、歳には抗えない、心と頭、体の間にはギャップがあるなぁ。

やさしくしたいなら、一緒に住めばいいのに。

でも、一緒にいるのは3日が限界かも。

私に子どもがいたら、さぞかし喜んだだろうに。

脈絡のない思いがぐるぐる回っていた。これ“マザコン”だよなぁ。

バカ、バカ!大失態に気づく

自分が失態に気づいたのは、東京駅に着いてから。

改札で切符を出そうとする。が、

あれっ、ない!

リュックの小ポケットに入れていたはずだけど。

コートかな?トートバックのポケット?

ない…、ない。

とにかく落ち着こう。

トイレに行って大捜索。

ない。

あ゛~、私ってば、切符、なくしたんだ。

そういえば…

名古屋駅でシニア男性が降りようとしていた歳、通路に落ちていた切符に気づき、「お父さん落とされたみたいですよ」と家族の方に切符を渡した。

あれ、私のだったんだーーー!

私、自分がそそっかしいのを忘れてた。落としたのは他でもない自分だー。

窓口に行き、駅員さんに必死で説明した。

「名古屋駅に電話してみますが、見つからなければ、再購入ということになりますね」

あ゛…(・・;) どーしよ!!

一気に旅の余韻から覚めた。

私が買っていたのは、「東京―東京」の一筆書き切符(こんなのが世の中にあるって初めて知った)。乗車券だけで13,820円。これに新幹線特急券。

あってくれ~。祈る気持ちで待つ。

「家に帰るまでが遠足」を噛みしめる

私が事情を話した男性職員は、他の方の対応で忙しくしている。どーなる?

…、と、事務室のドアから女性の職員の方が出てきた。

「名古屋駅で切符が見つかり確認が取れました。これをお使いください。」と、代用の切符を手渡してくれた。

あ ありがとうございます。

へなへなとからだからちからがぬけた。

あ よかった。

からだからちからがぬけたまんまで、改札を出て山手線に乗り換えた。

この世の出来事も、おカネもすべて幻想だって言ってもねー。

「母との秋旅2018」というVTRは、最後にスパイスを効かせてあった。

しっかし、私、よく物を落とすよなぁ。ぼーっとしてるからだ。(実家に来るまでも、マフラーを紛失、駅に届けられていたのを受け取った)

気をつけないと!

届けてくださった方々、ありがとう。

「家に帰るまでが遠足です」子どもの頃、何度も言われたこの言葉を改めて、噛みしめた。

おわりよければ、すべてよし。

いろいろもろもろ、ありがとうございます。

母とスマホカメラ

2018-12-06

少し落ち着いてきたら、私は自分人生ゲームの映画館で「母との秋旅2018」というVTRを選び、映画の世界に喜んで浸っていたのだ、と思えてきた。

他の様々なVTRと同じひとつのVTRなのだ。それでも、これはお気に入りだったし、その中でのエピソードも楽しかった。

      *     *     *     *     *

よく知らない人に声をかける人懐っこい母

私はいつもに増してトイレが近く、三日目の朝立ち寄った東福寺でも、母に「ちょっと待ってて」と言って、境内脇のトイレに寄った。

数分経って出ると、あれっ?母がいない。

見ると、10数メートル先、5、6人の制服姿の男子高校生に囲まれている。

ん、またぁ!

私の母は、社交的なほうで、よく知らない人に話しかける。

エレベーターで乗り合わせた赤ちゃん連れの人には「かわいいお顔しとられる」、観光地で袴姿だったカップルには「おしゃれさんやね」。歩きスマホの女子高生には「ねーちゃん、ちゃんと前見て歩こ!」と注意したことも。

また、何か声かけたにちがいない。

そう思った私は母に小走りで駆け寄った。

と、「いいとこに来た、写真撮って」と母からスマホを渡された。

「ちゃんと本堂の屋根まで入れてあげてね」と母。

「あ、はい。もっと皆さんもっとお互い寄ってぇ、ハイ」

パシャリ。

「あ、横でも一枚撮りますね、ハイ!もー一枚!」

パシャ、パシャ、と私。

男子高校生に見せると「バッチシです」

ニコッと笑ってお礼を言って去っていった。

声をかけたのは男子高校生のほうだった

どうも、声をかけたのは母の方ではなく、男子高校生グループの方だったようだ。

よりによって今もガラケーの80歳オーバーのおばあちゃんに頼むなんて。人選ミスだ。

母は、言われたとおりシャッターを押したけど、見きれて全員が入らなかったり、本堂が入らなかったりして、何度かやり直しさせられている途中だったという。

画面上のボタンに力を入れ過ぎて、いつもぶれてしまうのだ。

最初に声をかけた男子は、「おまえもよ~(こんなやつに声かけるなんて)」と仲間から突っ込まれていたんだとも、教えてくれた。

母は、以前新幹線の中で外国人の男性から「ここは指定席ですか」と言ったようなことを英語で聞かれ、「Free、Free」と一生懸命答えていたら近くに座っていたサラリーマンが笑われた、というエピソードも教えてくれた。

母は私とちがって、人懐っこいから、声をかけやすいオーラが出ているのかな?

どこか対人恐怖的なところがあって、ひとりが落ち着く私は、そういう母がちょっぴりうらやましい。

今度いつ頼まれてもいいように、スマホカメラの練習をする、と言って、母が東福寺で私を撮ってくれた。その渾身の一枚→

晩秋の京都旅

2018-12-05

門の外から永観堂の紅葉を愛でる

12/2~4母と京都に行ってきた。

ここ数年11月末、母はわが家に来ていたが、「今年は来ないの?」と聞くと「行かない。京都なら行く」とのこと。で、京都に行くことに。

1日目昼に京都着、永観堂がある東山方面へ。2日目は、定期観光バスで嵯峨野、高雄方面昼食付き一日コース。3日目は東福寺に立ち寄って駅での昼食後それぞれの家へ、という予定。

思っていた以上に母の歩行能力が落ちていて、なかなか予定通りにいかなかったが、念願の「秋の京都」に行くことができてよかった。

ホテルにチェックイン後、最初の目的地真如堂までタクシーを使ったが、メインだった永観堂の拝観受付(午後4時)には間に合わず(^_^;)。すごい人ひと… 紅葉は門の外からでも美しかった↑。

2日目は乗っていれば連れて行ってくれる観光バスだったけど、やはりそこからお寺まではかなり距離があるところもあって、バスガイドさんの許可を得て、いくつかの目的地を飛ばさせてもらって集合場所近くで休んでいた。

「やさしくする」目的が果たせず、げんなり

母は、ストライクゾーンが狭く、思ったことを口に出すタイプ。

新幹線の途中駅でスーツを着た男性二人が前の席に座った時には、「あ~、タバコくさい」

永観堂からの混みあったバスでは、前にいた強面のお兄さんに「もっと前に詰めればいいのに」

ホテルの大浴場では、バスタオルを巻いたまま風呂に入る韓国女子に「あれ~、なんやろか」。

このご時世、余計なことを口に出さないほうがいいと思っている私は、ヒヤヒヤして母をつつくが、母は「だってぇ、あんた」と話を続ける。

今回の旅の目的は「母にやさしくすること」だったけど、私自身、段取りが上手いほうではなく、まずホテルにチェックインすべきか、あるいはコインロッカーの空きを探すべきか、経済的には電車で行きたいところだけれど、やっぱり母にはタクシーのほうがいいだろうかなど、頭をぐるぐるさせ、

気づくと予定をつつがなく進めることばかり気を取られ、やさしくするどころか、母の細かい要望や質問にいらいらしがちだった。

母と別れた新幹線で、あ~ぁ、せっかく行ったに(やさしくできなかった(-_-;))、とうなだれた。

半年で一段と老いた母、その母に子ども心のまま甘えたい老娘

若い頃は、今でいう“毒親”だと思っていた母を恐れ、表面的にはいい子をやりながら、内心許せなかった。

それが40歳になる頃は、「お母さんも嫁ぎ先で生きるのに必死だったんだな」と一人の女性として見るようになり、許せるようになった。そうしたらいきなり情が湧いてきた。

本当はただ母を慕い、やさしくしてほしかったのだ。

そうやって精神的に大人になりそこねたまんまの老娘の私。

絶大な権力をふるいモノを言う強者だった母は、庇護すべき弱者となっている。今はただ、“要求が多いちょっと面倒なおばあちゃん”だ。

お盆の頃と比べても、老いたな、と思う。体力的にも、認知機能も。

そう思うと、いずれ来るお別れまでも想像してしまって、いたたまれなくなってしまった。

お母さんがいなくなっちゃたら、私どうしよう。。。

冷静に考えてみれば、80歳すぎて健在で一緒に旅行できるだけで有難いことなのに。

許せても、赦せてない…

『奇跡講座(ACIM)』では、この世と神の両方を取ることはできないと言う。この世がリアルじゃないから、自分の「罪」も贖われるのだ。

私にとって、母はリアルで、今、神か、母か、どちらかを取れと言われたら、迷うことなく母を取る。

私の認知は間違っている。

旅行中はすっかりACIMから遠ざかり、その存在すら忘れていた。

私が母に感じているのは、ACIMが言うところの“特別の愛”で、神の子たる普遍的な愛とは異なる(いや、それ以前、お母さんがいなくなったら自分が寂しいという単なるエゴだ)。

母を許すのではなく、本当は赦すべきなのだ、と今朝になって思い出した。

それでも、やはり私にとって、母はいちばん大切なひとで、平成最後、節目の秋、ともに過ごせてよかったと思う。

今朝の、久しぶりのワークでは頭が混乱していて、旅に行けたことにただ感謝をささげた。

[caption id="attachment_5030" align="aligncenter" width="788"] 真如堂にて[/caption]

 

母と京都へ

2018-12-01

急だけど、明日から二泊三日で母と京都に行くことに。

私が今日ある講習を受けて、その足で夕方富山へ。

そして、明朝母と京都に向かう予定。

紅葉はどうなっているかな?

先週がベストシーズンだったと思うけど。

秋はすごく混んでいると聞くけど、どのくらいかな?

母は今はどれくらい歩けるかな?

そして、私は、間が悪くおとといあたりから膀胱炎気味。

いつもトイレが近いけど、さらに近い。

今日急に髪染め(白髪染め!)に行ったけど、そこでもトイレをがまんしてヒヤヒヤした。1度お手洗い借りたけど、2回目は借りにくい。

市販の薬を飲んでいるけど。。やや不安。

ともかく、講習に行ってまいります。

「病気」のはなしを最後にしておくのは気になったから、更新して出かけます。

いろいろもろもろありがとうだ。

病気のことー病気と占い

2018-11-29

病院の定期検査に行った

昨日は、経過観察で通っている病院の検査に行った。半年ぶり。

病名は、甲状腺がんだ。

ブログを見てみたら、これまでも何度か病気のことを書いていたが、どこまで書いたか。曖昧な書き方をしていたかもしれない。

病気のことはごく近しい人以外話していない。

病名のイメージと私の状態の間にはギャップがあるし、いろいろ聞かれて説明するのも気乗りがしなくて。

治療はしたことがない。

毎回、血液検査をしてエコー検査をして「観察」のみ。痛くもかゆくもないし、本人的にはまったく病気感なし。

5年位前にのどの右側が腫れて「良性腫瘍」との診断を受け、「経過観察」となった。その経過観察の途中で4年前に「実は、左側にも小さい腫瘍があって、それが大きくなっているようだから、細胞診をしてみましょう」と言われ、針で細胞を取って調べたら、左のは「悪性」だった。

先生は、「甲状腺の全摘手術が必要。早期発見できたのは幸いですよ」とおっしゃった。

手術はしないで様子見を選んだ

は~、そうなのか。え~、ついに!ガーン。。

で、提示された手術の日程が、(外来の先生なので)先生の病院で受けるなら4ヶ月後、今通っている病院なら8ヶ月後、と言われた。

…ん?この病院でなら8ヶ月後?なんか悠長だな。そんな急がなくてもいいってことだ。

そこから、甲状腺がんのことをいろいろ調べた。

で、私のは低リスクだとわかった。お医者さんの立場からすれば、臓器がなければリスクゼロだから、全摘を勧めるのだろう。

だけど、私の甲状腺はホルモン値には異常なく、毎日一生懸命働いてくれている。それを全部取ってしまったら、一生投薬でのホルモンの補充が必要だ。

私は、いろいろ情報を集めて整理した結果、現段階では手術の必要なし、と判断、先生に手術はしない旨伝えた。少し感情の行き違いがあったけど、了解してくださって数ヶ月に一度の経過観察を続けている。

大きさは、7~8ミリくらいでここ数年まったく変化なし。今のところは手術しないでよかったと思っている。

恐怖心が占いの予言を成就させた

この世のことは自分の身体も含めて、すべて幻想であり自分の意識の投影だと学んだが、とくに「甲状腺がん」については、自分で作ったなぁと思う。

私の恐怖心がこの世でゲンジツ化したものだ。

そう思うのは、ある占いがきっかけだった。

それは、もう十数年前のこと、当時少し名が通っていた路上占い師に占ってもらった。

その方は老賢人たる風格で、私が椅子に腰かけるやいなや、

「カウンセラー、占い師、コンサルタント、すべてよし!」と、大きな声で私に言った。

それは、私が当時実際にやっていたり勉強していた三大職業だったから、びっくりした。

え、ほんと?うれしい。当たってぇ!と瞬間的に舞い上がった。

で、続けて、

「がんになるなぁ、あんた」「でもまぁ別にそれで死ぬってわけじゃないけど」と言った。

この日から、私は、すごくがんを意識し始めた。

占いの前半部分は、「当たってほしい」

後半部分は、「当たってほしくない」

矛盾した気持ちで、「予言」がぐるぐるした。

今はがんは2人に1人の病気と言われているけど、当時はもっと恐ろしい病気だったから、私の恐怖がものすごく「がん」に反応してしまった。

だから、実際に2014年実際にがんの診断を受けた時、「やっぱり」「やっと」と思ったのだ。

要は、自分が信じた「予言」を成就させたのだ。

そして不思議なことに、「なるかも、なる、なる、怖い、嫌だ」と、あれだけがんを恐れていたのに、なる前よりなってからの方が恐怖心が薄れている。

もうすでに、がんなのだから、がんを恐れなくてよい。

…と、わけがわからない理屈。

体に小さながんがある状態で、心身のバランスが取れているのだ。

もう少し『奇跡講座』の勉強が進んだら、がんを手放しても安定、安心できるのではないかと思う。(長文すみません)

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