必然性を意識した、色えんぴつ画展

2021-03-17

初日見にいく

色えんぴつ画講座の先生が主催する「トーキョー・イロエンピツ・スタイル展覧会」が日曜まで開催中だ。

私は昨日の初日ひとりで見に行った。

友人と一緒にと受付のお手伝いと、あと2回行くことになっているが、混んでいないだろう初日にじっくり見たかった。

コロナ禍のためクラスによっては出さない流れのところもあり昨年度よりは規模は小さめだということだったが、1階は生徒、2階はプロの画家&セミプロの方、合計200点超の作品が展示されていた。私は風景画2点出した。

私にとっては抽象画の巨匠などの作品より理解しやすく、むしろこちらのほうが、なんでこの題材を選んだのかなぁ、なんでこのタイトルにしたんだろ、と見ていて楽しく感じた。

他のクラスの方の絵がとくに新鮮で面白かった。同じ色えんぴつでも表現の仕方っていろいろだ。

しかし、みんなうまいな~、堂々としているし、と感じ入った。

しかしプロの方が展示されている2階に行ったら、また個性というか上手さというか気合というか、すべてが際立っていて、次元がちがうな~すごいなぁ、と感じた。

必然性

先生は常日頃「絵は才能じゃない」とおっしゃっているが、いやいやいや…。それは、東大卒の人が「世の中学歴じゃない」とか、大富豪が「世の中カネじゃない」などと言うのと似ている。

先生は、大学卒業後、デザイナー、イラストレーターとしてパソコンで作品を作っていたらしいが、2009年に(生の)絵を描きたいという衝動にかられ色えんぴつ画を始めたという。

先生がそばに来られたので、「みなさん、すごいです!」と言ったら「これが仕事ですから」と言われた。

そうだけど。

でもすごい。

先生「もし違いがあるとすれば、描く過程を楽しんでいられるかどうかだけだと思いますよ。」

そうかな。

私には、絵を描くということにその人の必然性があるかないかが大きいように思えた。

何かを訴えかけてくる絵は、描き手がおそらく描かずにはいられないんだろう。理屈じゃなくて描かざるを得ないという何かが迫ってくる気がした。

私は絵に対してはそういう必然性みたいなものを感じたことはない。

…では、ACIMに対してはどうだろう、と思った。

絵よりは思いはある。

でも必然ではないかな。

わからん。。

幻想の時間がさらさら砂のように流れていく。

その砂でどうしたいのか。

前によく読んでいた『ずっとやりたかったことをやりなさい』には、時間は「砂」ではなくて「粘土」のようなものだと書いてあった。

では、その粘土をどうこねようか。

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