2019-12-03
「キリストの心眼だけを用いる者は、この世界に匹敵するもののない深く静かな平安、決して乱されることのない不変なる平安を見出す。」(W-pⅡ.305:1.1)
「この平安が、世界を包み込み真理のもとへとやさしく運んでいくとき、世界は静かに去っていき、もはや恐れの住み家となることはない。」」(W-pⅡ.305:1.2)
「父よ、キリストの平安が私たちに与えられています。私たちが救われることがあなたの意志だからです。今日、私たちがあなたの贈り物をただ受け入れ、それらを裁くことがないよう助けてください。」(W-pⅡ.305:2.1-2)
週末電車を乗り継いで、ユング講座の仲間の年上の友人宅に行ってきた(前に日記にも書いた両手首を骨折しちゃったというー。けがは順調に回復していたのに重いものを持ったり動き過ぎてギプスを免除されていた手首を改めて固めることになったと言っていた)。
昭和の木造の昔ながらのお家はなんだか懐かしい気がした。マンションのように気密性が高くないのが閉塞感、圧迫感がなく楽だ。
帰りに、花がたくさんついたユリを2本、新聞紙に包んでくれた。
お花屋さんでふと目に入って買ったのだとか(手首けがしているというのに)。
私は、大きな花束を手にむんずとつかみわさわさと歩き、途中駅でスーパーも寄ったりしたもんだから、家で見たらかなり傷めてしまっていた。
ユリの香りがすごい。
生花を買う、ということが頭の中からすっかり抜けていた。
ご飯は食べなきゃいけないという頭があるけど、花は“必要なもの”じゃないから。
でも、生花がある空間、よいのかも。
心が平安でないと、お花屋さんで花を買おうという気にはならないだろうから。
すこーし紫がかったピンクが上品できれいだ。
私も家に生のユリが来るくらいには平安になれているのかな。