2019-11-29
ACIMの学習適齢期と中年の転機
前回のブログで、「奇跡講座(ACIM)は人生の中盤以降に学ぶのが適しているのでは」と書いた。
そして、理由のひとつとして、40歳頃までは、「異性を求めて子孫を残したい」欲求、「社会の中で力(お金、地位、名誉等)を得たい」欲求という2つの“この世的なもの”への希求がとても強いこと。「中年の転機」と言われる40歳前後を節目として価値観が大きく変わるから、そのターニングポイントを曲がった後のほうが楽に学習できるのでは、と言っていた。
おそらく、40歳ぐらいまでは、この世、わが人生というフィールドで先に挙げた2つに代表される欲求を追っかけ展開するのに必死なのだ、みんな。
そして40歳を過ぎた頃、ふと命が永遠でないことに意識が向く。そこで、有限な時間のなかで自己の永遠性みたいなものを探し出す気がする。このプロセスで価値観や人生が大きく変わってしまう人も。
それが「中年の転機」や「中年の危機」と言われるものじゃないかな。
例として、43歳で妻子を捨ててタヒチに移り住んだというゴーギャンをあげ、「ゴーギャン、大胆だわ」と言っていた。
しかし、この日記を書いた後、はたと自分のことを思い出した。
思い返せば、私もそこそこ派手にやらかしていた(一昨日自分のことに思いが至らなかったのが不思議)。
で、自分の「中年の転機」をちょこっと振り返りたくなった。もう20年近く前のはなし。
私の「中年の転機」…暮れの商店街で降りてきた
30代、私はフリーランスで、資格学校の講師(自分が持っている資格取得コース)やマーケティング調査、経営誌のライターなどを細々とやっていた。
私は、平均的女性から見ると野心があるほうだったと思う。ただ、ガンガン自分を前に出せるほうじゃないので、今から思うと“影の野心家”として欲求を人に投影していた。起業家、それも当時はまだ珍しかった女性の起業家をよく取材させてもらっていたのだ。
しかし、自分も何かやりたい、しかも実業を、という思いも持っていた。ふつふつとした思いがようやく表に出たのが、39歳の冬。若いエゴの、最後の断末魔みたいだ。
暮れの買い物で賑わう商店街を歩いていた時、“啓示”が降りてきたのだ(こんな言葉の使い方はよくないかな、直感?とにかく降りてきた)。
「そうだ、惣菜屋さんになろう」と。
なんで、惣菜屋?と思い返してみても、よくわからない。少し前に著名な惣菜コンサルタントの方の「あなたも惣菜店を開業しよう」的なセミナーをお手伝いしていて、何度も話を聞いていたので知らずに“洗脳”されたのか。“ミイラ取りがミイラになる”ってやつかしらん。
とにかく理由はわからないけど、すっごいいいことを思いついたと思った。
テイクアウト市場は伸びている。健康志向も高まっている。手作り感のあるかわいい惣菜店はイケるだろう。
問題は、私が「料理ができない」ことだったけど、そこは気にはしなかった。
なんたって降りてきたんだから!
起業家セミナーで出会った方に料理を教えてもらう
即翌1月から開催される「起業家セミナー」に申し込んで参加。たまたま隣に座った男性が、「勤めていたフレンチレストランがつぶれ、ヒマになってしまった」という男性だったので、料理の家庭教師をお願いした。
私の家での初回家庭教師のとき、先生が持参の「アタッシュケース入り包丁セット」をパカっと開き、中にキラーっと包丁が並んでいるのを見た、その瞬間、「あ、私殺される!?」と、出会って間もない人を家に入れてしまったことを後悔したのを覚えている。
職人気質の先生は私の心の内など知る由もなく、「まずは包丁の磨き方から」と料理の「基本のき」を丁寧に教えてくださった。
あ゛、こんなに細かく書いていては…肝心の中年の転機に行きつかない。さくっといかなきゃ。当時の自作の「事業計画書」を探してみたら、あ゛、あった、今見ると気恥ずかしい (^_^;)
その年の9月までは仕事の契約があったので、それまで店舗物件を探し、そのレイアウトをし、メニューを考え、食品衛生管理者の資格を取り、内装業者さんに内装をお願いしたり、什器を買ったりした。その後取引先の選定、アルバイトの募集、採用…等々。そして11月にじっさいにオープンした。
今から思うとなんてアクティブだったんだろう。まるで今の私とは別人だ。