ACIM-学習適齢期はある!?

2019-11-27

ACIM学習適齢期に対する私見

端くれながらACIMを勉強していて思うのは、これは人生中盤以降のものだな~ということ。

去年までまったく独学だったのであまり意識することもなかったのだけど。。。

今春ゲイリー・レナードさんのワークショップに参加して初めてACIM学習者の三次元の姿に触れた。

お~、こんなにたくさん!しかもすっごい熱心に学んでいる!!とびっくり。 20~60代と幅広い年代の方が参加されていた。印象では中心は40~50代かな?

そこでいろんな年齢層の方を見て、ACIM学習にふさわしい年齢があるのかと考えるようになった。

その私なりの答えが冒頭の「人生中盤以降が適しているのでは?」というものだ。

これに関しては、ゲイリーさんのワークショップで出会いその後ワプニック先生のテキスト解説書シェアするようになった仲間とも話したことあるが、似たような意見だったような。

一方、若年期(15~24歳位?)にはあまりお勧めできない、と思う。

理由①-若年期、まずこの世での意識主体を育くむのがいいと思うから

理由は…

まず若年期があまり適さないと思うのは、まずこの世の社会生活における健全な意識主体としての自我(心理学的な意味合いでの自我、ACIMの自我と異なる)を育てることが大事だと思うからだ。

この世は(私たちにはそれとはわからなくても)幻想でいわばこの世でいう“ロールプレイゲーム”みたいなものだと思う。でも、だとしても、肉体を離れるまでそのプレーヤーなのだから、そこで生きていく最小限のルールやスキルを身に付けることは必須なのではと思う。

はなから、「この世はない、幻想だ」という真実に生きてしまっては、この“仮想現実のなかのプレーヤー”としての意識主体が育たず、それはそれである種危険なのではないかと思うのだ。

理由②-生物としてのプログラムの影響大で葛藤がきついと思うから

そして、とくに「壮年期」(40歳~)の方が適していると考えるのは、それ以前はニンゲンという生き物としてのプログラムの影響が強すぎて、学習が難しいだろうな~と思うから。

プログラムというのは、ざっくり言うと、①異性と出会って子孫を残したいという欲求(性)と、②社会的によいポジションを獲得したいという欲求(権威)だ。フィーリングでいうと、前者は「素敵な人との恋愛したい」「結婚したい」「自分の子が欲しい」、後者は「夢を叶えたい」「金持ちになるんだ」「てっぺんをとる」だ。

他にもいろいろあると思うけれど、この2つはほとんどの人に影響が大きくみな支配されているのではないかと思う。そしてこの2つは相互に絡み合ってその影響力を増すから、なかなか手ごわい。

これらはニンゲンとして真っ当かつ健全な欲求である一方で、ACIMの教え(幻想性を前提とした赦し)とは逆行する。だからまじめで熱心な学習者ほど葛藤も大きく悩むのではと思うのだ。

中年期のターニングポイント後のほうが学習しやすい

そして、そこからものの見方が変わるのが、40歳頃ではないかと思う。

私がちょうど40歳の頃出会ったユング心理学では、その頃から始まる中年期を「人生の午後」と言い、そこには「中年の危機」があると考える。

(心理学のテキストでは、30代半ばでサラリーマンを辞めて画家になり43歳のとき妻子を捨ててタヒチに移り住んだというゴーギャンの例が出ていて「おいおい、ゴーギャン、そりゃ大胆だわ」と思った)

その時期には「人生で何が大事か、あるいは優先すべきか」といった、人生の価値観が大きく変化し、不安定になりすい。そして、人生の前半では無意識にうずめていた真の自己を自分の意識の中に統合していこうとする、という。

その人生のターニングポイントを曲がった後のほうが、ACIMが勉強しやすいのではないか、と思うのだ。

出会いの早さは縁の深さ

一方で、矛盾するようだが、ACIMとの出会いの早さにはその方とACIMの縁の深さも現れている、とも思う。ここでいう「出会いの早さ」は、単純な時期と、その方の人生のどの頃(いくつ頃)出会ったかだ。

ACIMをわかりやすく紹介した『神の使者』の発刊が2007年だから、その頃この教えを学び始めた方も多いのかな?

私がワプニック先生の解説本をシェアしているお仲間も、出会いは私よりずっと早いし、英語のお師匠さんだと思っているMASATOさんやコメントからいろいろ教えてくださっているふうせんさんも、私よりずっと早くに出会われているようだ。

ACIMに出会う時期にはそれぞれ意味がある。

人生の早い段階で出会い強く惹かれる方は、ACIMとの縁が深くてACIM(イエス)に「呼ばれている」のではないかな。

私が、人生中盤までは勧めたくないと思うのは、若さのプログラミングが手ごわくて、その葛藤たるやたいへんだろうな、という文字通りの老婆心からで、そうした下世話な心配を超えた「呼ばれて、はたらく」運命も必ずやあるだろうな、と思う。

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