2019-09-13
旅を始めてこの世時間で6年余り…ようやくゴールは果てしなく遠いと気づく
おとといのユング講座、少し遅刻してしまった。バスに乗り遅れたのが理由だけど、もしかしたら、前回先生に差し上げた『神の使者』、先生が読んじゃってたら、どうしよう?…とビビッていたので行きにくかったのか。
宇宙の次元上昇のおはなしをされていた先生に「The Disappearance of the Universe(宇宙の消失:『神の使者』原題)」とは…「ケンカ売ってんのか」と思われちゃわないか…と。幸い?まだ読んではおられないようだった。
さて、レッスン287。先月末やっていたワーク。
「天国よりほかに、私の行きたいところがあるだろうか。何が、幸福の代替となりえるだろうか。神の平安以上に、私が望む贈り物があるだろうか。
探し求め、見出し、自分のものにしておきたい宝物として、私のアイデンティティーに匹敵するものがあるだろうか。私は愛よりも恐れを抱いて生きたいだろうか。」(W-pⅡ.287.1:1-5)
「あなたは私のただ一つのゴールです。あなたの子はあなたに創造されたままでありたいのです。これ以外に、自己を認識し、自分のアイデンティティーとひとつになれる道があるでしょうか。」(W-pⅡ.287.2:6-7)
これらはみな、反語ってやつだよね?
反語… 断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現。(コトバンク)
すごく力強い断定で、ぐいぐいくる。
たしかにそのとおりだ。
天国、幸福、神の平安、自分のほんとうのアイデンティティー…ぜんぶ「奇跡講座(ACIM)」が教えてくれている。手を差し伸べてくれている。
でも…でも…
なんか遠いなぁ、、、、、ゴール。
この先、幻想だというこの世に何回生まれ変わらなきゃなんないんだろ。
半分絶望的になってる。
こんな大それたことを、ああ、始めちゃったなぁ。
えらいことになったなぁ。
やっぱり自分の罪悪感や恐怖感を直視したり、その中に入ったりするのに抵抗があるんだ。覚悟を決めきれない。
逆に、少し“勉強した”ためにエゴがさらに巧妙になったり、意識-無意識の境界蓋をさらに頑丈にしたんじゃないか、とさえ思う。
これじゃあ、解体すべきエゴを守り強化するだけだなぁ。
それでも、聖霊さんの存在は前より感じられている気がするし、現に私は「ここ数年聖霊さんの計らいで時間を与えてもらえたんじゃないかなぁ」とも思っているから、恐怖感、罪悪感、不安感、葛藤、戸惑い…は常にちらちらあるけれども、当面そのまんま過ごそうと思う。(てか、それしかできない)
なんともいえない安心感…と中秋の名月
しかし、神さまが自分のアイデンティティーのありかだったとは…!
すばらしく幸せだな。
安堵した。
安心して生きられる、とも思う。
やっぱり両方のきもちがあるから、“葛藤”しているのかな。
今日は中秋の名月なんだそう…
あいにく関東は曇りだそうだけど、心の曇りが取り去られたら一瞬でも見られるかな?