『Journey through the Text of ACIM』(73)-旅のスロー化のわけ

2021-04-06

旅はさらにスローダウンした…

ワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の“私の旅”は、8章の中盤だ(2月8章を3つに分けた、その真ん中)。

2年前の6月から始めたこの旅…。少しずつ慣れて早くなるかと思いきや、今年に入ってからさらにスローダウンしている。

そのわけは…

理由① プレッシャーがなくなった

ひとつには、やはり“外圧”がなくなったことが大きいだろうか?

以前はシェアの会で、自分が読んだ箇所から印象に残ったことや感じたことなどをシェアしていたが、コロナ禍その他の影響も受け次第に純粋な自分プロジェクトへと変わっていった。

もちろん前から仲間は「自分のペースで…。何だったら数行だっていいよ」と言ってくれていた。だけど今から思うとプレッシャーというか緊張感を感じて先を急いでいた。ノリはよくないけど意欲はあるよ、と見せたかったのもある。

それがなくなった~

何という解放感…!?

…と気づけば、私の「マイペース」はすごく遅かった。

理由② 社会的な自分をどうにかしようと…

そして、もう一つの理由は、昨年末あたりから、社会不適合化の度合いを強めている“個の自分”を何とかしなくっちゃ、とそっちに意識が向き出したからだった。

内向してこの解説本に取り組んでいた、ある意味で幸せな時間はいったんおしまいにして、“この世での私”を何とかしたいと思ったのだ。

しかしー、気づけばワプニック先生本読みのほうをを緩めただけで、“私”のほうは手がつけられていない…(~_~;)

なんか言い訳みたいになってるな、誰に申し開きしたいのだろう (・・;)

理由③ 実践のほうに力を入れよう

理由の三つ目は、理論を学んで少しずつACIMの考えが浸透していると思っていたけど、私は個の自分や肉体への執着、特別な関係への執着が未だ強く不安や不満を感じることも多い。ACIMの実践、全然だめじゃん!と思ったことだ。

理論がわかって納得がいくことで実践も進むとは思うが、私について言えばその理論と実践のギャップが大きすぎる。

たとえ、理論が稚拙なままでも今わかっていることをもっと実践できたら…そこが大事じゃない?と感じた。

そうしたら理論学習のモチベーションが下がってしまった。

理由④ 自己肯定感が増した?

そして四つ目の理由は、(理由②と矛盾するかもしれないけど)私の幸福度が増したことだ。ACIM学習のおかげだろうか。うまく言葉にできないのだけど…

何かしらしなくてはいけない、頑張らねばならない、という気持ちが欠けていても、ただ幸せでもいいんじゃね?という感じかな。

ある意味で自己肯定感が増したのか…

だめで怠け者の私でもいまありのままいられるならそれでいいや。この世にも楽しいこといっぱいじゃない?私が上機嫌ならそれでOKかな、というー感じ(「だめで怠け者の私でも」と書くあたりには、まだ世間体を気にする私がいるかな?)。

いわゆるネガティブな思いが湧いてきたらそれは私の心の選択の結果であり、原因のほうのものごとの見方をシフトさせる。気づいたらその都度修正して思いを手放す。言うは易し…でなかなかできないのだけど、これだけを心掛けるだけでも変わるかな、と思うようになり、それも本読みのスロー化につながった。

よもや自我の戦略に嵌っているのでは

しかし…。

これらは、私が気づいていないだけで、私は例の「自我のマインドレス化戦略」に嵌っているのだろうか。

…ありうる。

まあ、旅はスロー化しているけど、まったくやめるというわけでもない。

道草を食いながらマイペースでいこうと思う。

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