『Journey through the Text of ACIM』(72)-8章2節 一体性を選ぶことに対する自我の恐れ②

2021-02-27

分割:攻撃の戦場

ワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』のざっくりまとめ。8章2節の後半には、「Division: The Battleground of Attack(分割:攻撃の戦場)」という短めの項が設けられている。ワプニック先生は、そこで分裂の4段階について確認なさっている。

テキストからの引用文は、次の箇所だけ。

自我は弱さを引き出そうとしてあらゆる努力をするにもかかわらず、弱さを軽蔑している。自我は自分が憎んでいるものだけを欲している。自我にとっては、これは完璧に分別のあることである。攻撃の力を信じているので、自我は攻撃を欲する。」(T-8.Ⅸ.6.5-8)

自我が攻撃の力に思い入れがあるのは、己の誕生が神への攻撃(神を攻撃して分離した)に由来すると信じているからだという。

私たちは攻撃した。神はきっと報復する。これが自我の中心の信念だ。

そこから防衛としての自我のいわゆるマインドレス化戦略が始まった。

自我の戦略は分裂に伴い、進展する。

自我の戦略は4つの分裂から

第1の分裂:神からの分離(神の愛が十分ではなかったと神を攻撃して分離した)

第2の分裂:正しい心(聖霊)と間違った心(自我)に分裂(神から離れた心が分裂し、自我の指示に従い、自我と一体化)

第3の分裂:心から肉体への分離(心の中の戦いから逃げるために肉体を作って逃げる必要があると言う自我に従い、マインドレスな肉体となる)

第4の分裂:肉体同士の分裂(戦いは肉体同士のものに:特別な関係、病気)

自我の分離力学の法則として、分離した結果生じたものが元を覆い隠すという作用がある。それにより私たちは自分の源と起源を忘れてしまい、そこからどんどん遠くなってしまう。

肉体同士の分裂のフィールドと聖霊

今や、肉体同士の分裂状態が繰り広げられている。これは、心の中の神と自我との戦いが投影されたもので、戦場は2つあるのだという。

一つは、特別な関係性という場で「やられたからやり返す」という心情をベースに繰り広げられるもの。もう一つは、病気と見られるもので、細菌やウィルスが介在するものと老化(究極の勝者は「死」)。

病気には、分割させる目的があり、癒しは統一された目的がある。

想念はその源を離れない」(T-26.VII.4.7)のだから、病気は、分離、罪、罪悪感の思考システムを選んだ心の中だけにある。

聖霊は、見方の転換によって心を回復させる。聖霊は戦いではなく間違った信念に着目する。

「新しい教師は、戦いではなく分裂を信じる間違った信念だけを見ています。敵はおらず、私たちがイエスと一緒になりイエスの赦しの思考システムとひとつになることを選ぶとき、癒され取り消すことができるのは分離しているという誤った選択だけです。」

ちょこっと感想

自我のいわゆるマインドレス化戦略の進化、すごいな。

そして、この世の誕生としくみ…なるほどなぁ。今も私がいるこの世界では肉体レベルでの分裂が繰り広げられている。外に原因を求め続けるかぎり、真の在り処には行きつかないというからくり。

自我圧倒か…のように見える。

いや、心に立ち返り選び直しさえできれば…。

今回ワプニック先生が説明なさっていたのと同じようなこと、『神の使者』にも詳しく書いてありその昔それを読んで大興奮していたときのことを思い出した。

ワプニック先生の著書でも同様のことが説明してあったんだな~。

『神の使者』は『奇跡講座』のことを知るきっかけとなった本だ。何度も読み返している分、私にとってはこちらのほうがバイブル的存在だ。しかし、これも私にとっては難しい本だった…。

スピリチュアルなことが好きな人でも、『神の使者』に反応する人と無く反応しない人がいるのは面白い。

また、『奇跡講座』を学んでいる人のなかでも『神の使者』はちょっと…と思う方もいるだろう。それぞれ反応するものには縁があるんだろう。

話がそれてしまったけれど、起こったかのように見えていることが実際には起こっていないーすっごく不思議に思えるけれど、まったく起こっていなくて、この瞬間も神とひとつーってことなんだなぁ。へんな感じだなぁ。

(文中の太字箇所 出典:『奇跡講座』テキスト編 中央ハート出版社)

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