『Journey through the Text of ACIM』(70)-8章1節 一体性-私たちの自己への讃美歌②

2021-02-19

ワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』のざっくりまとめ。8章1節後半。少しコンパクトにしようと思う。

8章1節は、イエスが私たちの真の自己への讃美歌を歌っているとされている、ACIMテキストでは珍しい箇所だ。その後半部分。

ここで私が興味深く感じたのは、イエスが聖書の内容について再解釈している箇所だ。

ひとつは、放蕩息子の喩え話について触れているところ(T-8.Ⅵ.4)。イエスはこの話を私たちが創造主を打ち破ったと信じたことから生じた罪悪感や恥の恐ろしさを語り継ぐものとして展開しているのだとワプニック先生は説明なさっている。

そして、私たちが起こったと思ったことは夢に過ぎなかったと理解するにつれ、心は癒され贖罪の原理がわかり始めるのだという。

もうひとつは、「神が合わせたものを離すことはできない」(T-9.Ⅵ.4)という箇所。

これは、カトリック教会では離婚を罪深いものとして戒める神の法則と見なされているが、イエスはACIMにおいてこれを再解釈して贖罪の原理を表すもの、つまり「私たちは真の家である完全なる一体性からは離れ得ない」としているのだという。

私は聖書にはなじみがないのでぴんと来ないが、ACIMはキリスト教文化が浸透している国や地域において、また違った意味合いが重ねられているのだと感じた。

いずれにしても、イエスが再解釈して強調しているのは、贖罪の原理。神からの分離、神の子からの分離を夢見ることは可能だが、それは実相に影響を与えるものではないという点だ。

この節の後半で、ワプニック先生は再度このコースの目的を確認しておられた。

①ひとつは、私たちに心(決断の主体)があると教えること。

②そして、その心が自我の呪い(分離、恐怖)ではなく神の祝福(贖罪、愛)を選択することができるのだと教えること。

贖罪の原理は、ACIMテキストを読んでいるときは、「わかる」と思う。一方、実生活では、自分が肉体なことはもとより対人関係、出会うことすべてリアルなことだらけ。これが「夢」だと言われても…と、ひどく乖離したままだ。ACIMのほうが夢のような「おはなし」のように感じている。

学習と実践を続けていけば、その感じ方がいつか逆転することがあるんだろうか。

(文中の太字箇所 出典:『奇跡講座』中央ハート出版社)

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