源氏物語がワプニック先生の解説本にすり替わり!?

2021-02-02

『中高年ひきこもり』

去年のことになるが、あるブログでお勧めされていた本『中高年ひきこもり』(斎藤環著)という本を図書館で借りて読んだ。

まさか自分がそうなるとは思っていなかったが、私もひきこもり…だ…という思いがあり、何かヒントがあるかしらんと思ったからだ。

本『中高年ひきこもり』

しかし同書によれば、私はこの本で定義されている「ひきこもり」には当たらなかった。

元気に趣味の講座やワークショップに出かけたり友人と会ったりしているのは、ひきこもりに含まれていなかった。

(それでも、「対人関係の自信のなさや長期のブランクのせいで、なかなか行動に結びつきにくい。」「彼らの自己愛は『プライドは高いが自信がない』といういびつさをもっている。それは理想とかけ離れてしまった自分自身を批判することによって、かろうじて担保される。」というようなところは当てはまるような気もした。)

本書を読んでいるうちに、私はひきこもりというより「老後」状態なのか、と悟った。リタイアというと響きはいいんだけど…。

定義はどうでもいい、要はそれが成り立つのか、またそれを良しとするのか、だ。経済面や社会や人とのつながり面で。

…良いとは思えない。だけど、具体的な方向性もまだ見えていない。

『源氏物語』(原文)を読破したいはずが…

「老後」なのだということで、ふと思ったことがある。

私は老後にぜひやってみたいことがあった。

それは、源氏物語を読むこと。ノートに原文を載せたうえで単語や訳をメモしながら、最後まで読みたい、これをライフテーマにしたいと思っていたのだ。

私が40代に入ったばかりの頃、三津田富左子さんという出版当時88歳のおばあちゃまが書かれた『50代からの満足生活』というエッセイを読んだ。そこには「15年かけて源氏物語を読んだことで人生が豊かになった」という話が書かれており、私もいつかやりたいなぁと憧れていたのだ。

源氏物語こそ文学、と思う。文献初出は1008年、シェークスピアよりはるかに古い。女性目線という点でも興味を引く。

源氏物語は、主人公光源氏が父(帝)の妻であった亡き母似の藤壺と密通、藤壺に子どもができてしまった…という、「父を裏切ってしまったこと」が物語の背景にあり、奇跡講座にも通じる(ように思う、晩年には逆に若い妻に不義の子ができてしまう)。

私がふっと思ったこととは、あれっ、老後には源氏物語を読みたいと思っていたはずが知らぬ間にワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle』読みにすり替わっている?、ということだ。

どちらも、なじみがない(あるいは薄い)言語、それをノートに原文を載せて、その意味や気になる点をメモしたりしている…という点では同じ。

ワプニック先生の本、31章まである、と先が見えないことにどんよりしていたけれど、源氏物語は54帖もある。むしろワプニック先生本のほうが短い。

いやいや、すり替わっているとすれば何とも残念だ。

源氏物語もじっくり読んでみたい。

…となれば、元気で長生きせねば…。社会と関わりおカネを導く術も見つけねば。

いやぁ、忙しい。

ワプニック先生本読みもスピードアップせねば…。

どうも、私はこつこつノート作りが好きみたい。

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