すべてが幻想でもやりたいことは?

2020-11-18

本音を書きすぎた

昨日は、春子さんブログからの圧を受けて“本音”を書きすぎてしまった。

私が社会との絡み方がわからなくなっているのは、『奇跡講座』も関係しているがそれより影響大なのはおそらく『ザ・マネーゲームを脱出する法(脱・マネーゲーム)』だと思う。ACIM学習的観点から見たら邪道なのだろうけど、わかりやすく好きな本だ。

この本では最近の量子物理学を背景としながら、私たちのこの世界は幻想で自分の身体も机も電車も、世界もない、私たちはあらゆる可能性から自分の信念を投影することで、宇宙、自分のホログラム(感じている幻想世界)を作り出し「完全没頭型映画」を見ているのだという。

私たちの本来の姿は、無限の力、豊かさ、知恵、喜び、穏やかさ、愛で、それがこの世では逆の信念によって限定されている。その信念を取り消すことで、本来の自分の姿に近づけるとする。

これを特におカネの面にフォーカスして説明しており、「資金は限られている」「お金は働くから得られる」「お金は流動的なものだ」などという信念を取り消していくと、その度合いに応じて本来の豊かさが投影されることとなりホログラムに現れるという。

私は教えにあったとおり「売上」も「費用」もないと考えることにした。「ビジネス」もないとされている。経営の見方であたりまえの、費用を下げつつ付加価値を高め顧客を獲得し売上を上げ…というストーリーがなくなり、すべては自分の豊かさからくると…。

それが浸透すると、もう売上と費用、資産、キャッシュフローなどを前提とした経営の仕事をどうやってよいのかわからなくなった。やっているゲームのルールが変わった。

脱・マネーゲームのおかげかわからないけれど、奇跡的にいくつかの臨時収入や不労所得が入りおかげさまで今のところ困っていない。ありがたいことだ。

脱・マネーゲームは機能しているのか

しかし、これは本当に脱・マネーゲームによるものなんだろうかー。

脱・マネーゲームの本では、昨日春子さんが分類していた「ライフワーク」「ライスワーク」という分類も「ライスワーク」そのものもないとしているのだ。そんなのなくてもあなたは豊かさなんだから考えなくても自ずと豊かさは来るよ、と。

最初、この本を遊びのように試していたが、最近は「怖い」と思っている。たまたまラッキーが重なっただけ、再現性がないことで、私はただ社会的スキルを失い怠け者のダメ人間度を増しただけなのでは…?と。

そして、こういう在り方を私はよしとするのだろうかー、と。

ありていに言えば、「罪悪感」を感じているのだ。

不信が頭をもたげているとも言える。

全部が幻想だとして、それでもやりたいことって?

この本の後半では、実例として私と同じように混乱した女性の例が出てくる。代替医療やヒーリングの分野の仕事をしていた女性2人が同じように「私は、身体が現実のものだということが前提で成り立ってきましたし、実際に技術は人々を治してきました。何もかも現実ではないとすると、私はいったいどうすればいいのでしょう?」と訊ねてくる。

それに対する著者の回答は、

「何でもやりたいことをやればいいのです。もしあなたがヒーリングを心から楽しんでいるのなら、もちろん続ければいいのです。」というもの。ただ義務感やお金を得るためという理由で関わっているならばいずれ成長できたら違う道が現れるでしょう、と。結果一人はその仕事を続け一人は辞めた。

この本で勧められている姿勢はシンプルだ。

自分の直感(本来の自分)に導かれるままに一瞬一瞬を生き、やりたいと思うこと、楽しいと思えることをやり、ネガティブな感情が湧くようだったらそれは真実ではないので感情を十分感じたうえでその幻想性を認めて手放す。日々すべてに感謝する。

それだけ。

この考え方と自分がどう関わるかは私次第なのだけどー、

すべてが幻想だと受け入れたうえで、この世でやりたいこと、ワクワクすることって何だろうー?

そんなことってあるかな?

聖霊さんから具体的なアドバイスはわからないがずっと増やして高めるように背中を押されている気がするのは「感謝・表現・自信」の3つ。

…やっぱりこのご時世、こういうことって言いづらいな、こういうことを表現すること自体が恐いよ、と思ってしまう。昨日以上に本音を書いてしまった。

“すべてが幻想でもやりたいことは?” への2件のフィードバック

  1. オーシャン より:

    お久しぶりです。7月に一度コメントしたオーシャンです。
    今年の8月頃古書店に入った時、偶然『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』を見つけました。普通なら絶対手に取らないタイプの本でしたが、タマソニアさんが紹介していたので直ちに購入。その後3回繰り返して読みました。
    最初はポジティブシンキングや引き寄せ本かと思っていましたが、読み進めるうちにACIMの世界観を共有しているという印象を強く持ちました。
    本書で説明されている『プロセス』は、幻想である世界から本来の自分を取り戻すためのシンプルなテクニックで、形而上学的世界観に触れない分コースより敷居が低く感じました。
    「ホログラム的幻想を取り消す」という表現も、コースの「赦し」と同じ主旨で理解しましたが、アーテンなら、「それだと最後までたどり着かないんだよ」と言うかも知れませんね。
    また著者が『プロセス』のワークを8ヶ月続けているのに何も変わらないことに腹を立て、「もうやめるよ。無限の豊かさなんてどうでもいい」と言うところは、ACIM学習者としてとても共感できます。
    『奇跡講座』には、「過去の学びが自分を幸せにしなかったのは、学びが失敗だったことのしるしである」ということが書いてありますが、エゴは時々「『奇跡講座』をやっても幸せになれなければ、また失敗の繰り返しだね」と囁きます。
    しかし、“『奇跡講座』を始めたら良いことがどんどん起きた!”なんてことは全くないのですが、渇望や執着に振り回されて苦しむことはずっと少なくなりました。
    怒りや苦しみにフォーカスしなくなるにつれ、周囲が穏やかになってきているような気がします。「深い内なる安らぎは、君が思うよりはるかに重要なことなんだ」(アーテン)ということでしょうか。
    タマソニアさんは「聖霊さんから具体的なアドバイスはわからない」と言われますが、タマさんは既に多くの人に影響を与えている“神の教師”です。
    本音や、時には心の傷をさらけ出すような真摯な言葉が読み手の琴線に触れ、気づきをもたらしてくれています。もしかしたらそれも聖霊の導きのもとにあるのかも知れませんね。
    これからも穏やかに頑張ってください。長文失礼いたしました。

    • タマソニア より:

      オーシャンさん!こんにちは。もちろん覚えております。

      丁寧なコメントありがとうございます。
      『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』読まれたんですね。たしかにアーテンなら「これじゃあ、最後まで行きつかないんだよ」と言いそうですね(笑)

      具体的なのでとくに「プロセス」が私の今いる位置からはわかりやすくて。
      普段、しごとやおカネのテーマはこういう背景もあって書きづらいのですが書いてしまい、そして怯えている部分がありました(今もある)。だからこそパワーをいただきました。

      こんなニッチブログ見つけて読んでくれて、そして真摯なお言葉くださりどうもありがとうございます (*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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