春子さんブログに「号外」出た

2020-11-17

ライワークとライワーク

春子さんのブログ「すべてがユルい春子の日記」からのお話が増えていて、ちょっぴり恥ずかしいと思っている。

そう、私は“春子ウォッチャー”だ。

発端は去年春に「日本ブログ村」の「50代の生き方」部門で人気ブログランキングで目にしたのがきっかけだった。同年代、ひとり暮らし「すべてがユルい…」という春子さんに“同類相哀れむ”的関心を持ったのだった。

しかーし、その時すでに春子さんは覚醒後。引きこもりだったのが、ライフワーク探しをして芸大のピアノ科に入学するという目標を立て、その芸大の先生を見つけて44年ぶりにピアノのレッスンを再開、音出し可のマンションに引っ越しローンでグランドピアノを買い…と驀進中だった。

私は同類相哀れむどころか、そのアグレッシブさに刺激を受けまくるはめに。心理っぽいお話が多いのに人気なのは、私と同様刺激を受けている人が多いからか。

春子さんの目下の悩みは、パート仕事がうまくいっていないことと、芸大の費用(約1000万円?)を調達できる目処がないこと。「ライワーク」(生きている証ともいえるはたらき)と「ライワーク」(飯のタネ)のバランスの難しさだった。

「ライフワーク」は「ピアノ」とわかったけれど、ピアノの練習で生活が成り立つわけではない。じゃあ「ライスワーク」の方は?前のパートはクビになった、今のパートもミスだらけで風前の灯火…。何しろパートでは学費を稼ぐに至らないーと。

それで春子さんはカウンセラーとして自営しようと、自宅のある大阪から東京のとあるカウンセラー養成講座に通い出した。

私は、え~、カウンセラー?自営?そんな簡単なものじゃあないんじゃ…?と思ったものだった。

やっとでさえピアノの練習時間の捻出に苦慮していた春子さん、カウンセラーの方は通うだけで精一杯。課題も自主練習も付いていけていない。ご本人も、心理学には興味あるけれど自分がカウンセラーとしてやっていくことには関心がないことに気づいたと書いておられる。

そして、「ライスワーク」の件は、ふりだしに戻った。

[号外]まるで雷のごとく「おカネになるミッション(使命)」が降ってきた!という春子さん

…これが前置きだ。ふぅ。

その春子さんのブログに先週末「号外」が出た(てか、毎日更新されているのだけど)。

それは、「[号外]まるで雷のごとく『おカネになるミッション(使命)』が降ってきた!」というタイトルの記事。

以下、春子さんブログよりー

「そもそも自分は『落雷型』に分類されると思っていたが、うわぁ……、つ、ついに『おカネになるミッション(使命)』っちゅー雷が落ちてきたっ!」

「そいつは今日午前中やにわに降ってきた。相変わらずパート先で要領えずまごまごしている最中だった。

「おまえは『自分史』を制作する仕事をやれ」

はあああーっ?! ちょ、ちょっ、なにそれ?! ようわからんわ、それにいま忙しいし。なんでそないな雷が落ちてきたんっ?!

しかし、雷は情け容赦なく次々と落ちてくる。

『おまえは、年配のひとたちの話を傾聴せよ』
『それを書け』
『写真を撮れ』
『本にしろ』
『その本を、そのひとに、そしてそのひとの家族に渡せ』
『そのひとが、自分の人生を誇らしく思えるように、おまえの力をすべて提供せよ』

うわ、ちょっとタンマ。そりゃ、自分史制作サービスってのがあるのはちらっと見たことあるけど、えーっ?! それ、あたいにやれって?!」

…これは春子さん流の聖霊の声だろうか。

春子さんによると、カウンセラー講座のカウンセラー役をした際にクライアント役の方に子供の頃の話を聞いたことが自分史づくりというアイディアの引き金になっているらしかった。

この日の記事は、「これはもう、やるしかない!それにやってみたい!そして、それを本当に『仕事』にするぞ!」で締めくくられていた。

私も雷に打たれたのか

私は今、社会的な自分がほぼない。マンション買い替えによる泡銭や貯金を崩して何となく過ごしてきた。

社会の中でやりたいことも、わからない。このご時世そんなことを言えているのはずいぶん恵まれている。だから口憚られる。書けないよな、こんなこと。

易きに流れ、もともと内向的だったが内向度が増している。さらに社会的自分に対する自信が低下、身動きが取れなくなっている。

そこへ春子さんの号外の「雷」だ。

なんか…。

打たれた。

思えば、私にも大胆さはあるのだ。

数年前までやっていた自営では、マーケティング調査の仕事や、ライターっぽい仕事、セミナー講師の仕事等をやっていた。経営の資格がベースとなってはいたが、どれもつてのない相手先に電話をして会ってもらい、「何かあれば仕事をさせてください」と私が自ら「営業」というか「挨拶」に行って、その結果作っていただいたものだった。

すぐ形になるわけではないが、自分にその「気」があれば、扉は開かれることを充分経験しているのだ。

自信の有無なんて、動かない言い訳でしかない。。。

でも、その気というか方向性とモチベーションは要る。とりあえずの目的地がなければバスにも乗れない。

じゃあ、私はどうしたいのだろう。

それがわからない。聖霊さんの声は…聞こえているのか??

書きながらも、こんなのんびりしたことを言ってしまっている私…、と居心地の悪さを感じている。

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