「木を描いてみてください」-色えんぴつ画講座より

2020-11-11

「木を描いてください」

昨日は月に一度の色えんぴつ画講座だった。

講座では、先生からお題が与えられてそれに沿って進める回と、好きなものを自由に描く回があるが、ここ数回は先生からのお題の回だった。最近まったく描けてないから、お題があるほうが楽といえば楽。

今回のお題は、まずは、画用紙を二分割して上のほうに「みなさんのイメージの中にある木を描いてください。葉が茂った木です。」というものだった。写真などは見ずに自分の中にある「木」を描いてください、と。

そして、余白に、①木の種類(桜やケヤキなど、わからなければ不明でも可)、②季節、③天気、④時間を書いてください、と付け加えられた。

う~ん、ただ、木って言われてもね~?木ってー?

思い浮かんだのは、「日立の、この何の木」だった。

そのイメージで少し小ぶりに描いてみた。

あれはなんて木だ?①種類はーわからない。②季節は、う~ん、さわやかに初夏かな?③天気はやっぱり晴れ。雨なんて難しくて描けない、④時間は、まだこれから活動できる、午後2時ちょっと前、かな?と設定した。

そしてだいたい30分くらい経ったところで、回収…となり、みんなの絵をホワイトボードに貼りだした。

いろんなバリエーションがあった。使っている色も黄緑っぽい色から深緑まで様々。「木」と言っても、いろんな木があるものだな~。

私はもこもこして横長に茂った木を描いたけど、縦長に葉が茂っているのが主流だった。お一人、南国風の木を描かれていた方がいた。季節は春や夏の設定が多かったが、お一人は茶色を主に冬の木を描かれていた(写真は撮ったのだけど、了解は得なかったので載せられないのが残念)。

みんなのイメージの木がこんな風に違うのだから、他のものだって各々イメージするものには幅があるんだろう。話していて、まったく異なるものをイメージしていることも多いんだろうな~、などと考えていた。

また、そういえば木を描かせる心理テストがあったなと思い出していた。「投影樹木画法(バウムテスト)」だ。「木を描いてください」と言った時に、人は木に自分を投影して描いてしまう、そこからその人の性格や発達度、現在の心理などをみるものだ。

さて、写真と先生の絵で確認

「さて」と先生。みんなの絵を各自に戻してから、実際の木の写真(写真左)と、先生がこれまでに描かれた季節ごとの木の絵(写真右)のレジュメを配ってくださった。

そして「自分のイメージと写真の木の違いを確認してください。」とおっしゃった。「種類の違いはあるでしょうが、一枚ごとの葉は見えますか。幹は見えるでしょうか。葉の色は皆さんが塗られたものと実際の葉、どうですか。」

「季節はどうでしょうか。5月は新緑のイメージが強いですが、緑は思ったほど鮮やかな緑ではないのではないでしょうか。天気の差は影の濃さに現れます。」

確かに。木の葉っぱって一枚一枚は見えない。点々だ。そして種類にもよるけど、葉っぱはブロッコリーみたく、太めの枝ごとに固まって見えた。

「では、みなさん、今度は写真も参考にしながら、もう一度下に木を描いてください。」と先生。

それからまた30分経ってから、みんなの絵をホワイトボードに貼った。ビフォー&アフターもまた個性があって面白かった。私は差が少ないほうかもしれない。

自分の観念、想念に生きている

考えてみれば、日ごろ木を目にしているはずだけど、「木」と思った瞬間から見てない、と気づいた。頭には「木、あり」としか認知されていない。そして私が思い出す木といえばCMの「日立の、この何の木だ」(あとで、「この木何の木の写真を見たら、全然違っていて、ものすごく大きい木だった、それにもびっくりした)。

もしかしたら、家の庭の木を描いた人もいたかもしれない。木に辛い思い出がある人だっているかも。みんなそれぞれの心の木を持っている…。

ふと、コースのワークブックの最初の頃のお題に「見えているどんなものも、理解していない」とか、「私は過去だけを見ている」とか、あったな~と思い出していた。

思いがけず色えんぴつ画講座から、想念、観念を投影してものを見ているつもりでいるということを体験したのだった。

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