「長かったワークブック」後の雑感

2020-07-30

テキストをベースにワークすることにした

ワークブック終わってしまったけど、生活は変わらない。

だいたいにおいて第二部に入ってから、ワークといってもパターン(形態)は同じだった。朝晩ワークブックを読んでから15~25分くらい「ワーク瞑想」する。それだって私の場合、聖霊が導く「瞑想」なのか自我が煽る「妄想」なのか怪しいものだった。

せっかくの習慣、やらなきゃすぐACIMの見方から遠ざかりそうというので、おとといからはテキストの1節を読んだ後10~20分の「ワーク瞑想」をしている。1章はなぞかけのなぞみたいで苦手だから、2章からにした。別にどこ読んだっていいのだ。

前よりテキストが理解できるようになっていて(理解できないところは理解できないとわかるようになり)、びっくりした。これは、ワプニック先生のテキスト解説本のおかげだろうか。

ブログでワークを始めたきっかけと「あな恐ろしや」のわけ

そもそも私が2巡目のワークを始めたのは、2015年1回目のワークが終わってしまいACIMのモチベーション維持のためにもと思い2016年1月にブログを作ったものの、たいして書き続けられることがなかったからだ。今自分のブログを覗いてみたら始めた翌月には中断。心を改め5月に「ワークを再開する」と言い出していた。

以下は、その思いをつづったところ(2016年5月21日)

「『奇跡講座』は私にとって大事な生きる根幹…と感じつつ、この半年近く勉強することができなかった。

去年末まで365のワークをこつこつしていた時は、ワークをすることを通して重ねていけたのに。それが終わったとたん、学ぶべきこと、深めるべきことはたくさんあるだろうに、テキスト、マニュアル等ぜんぜん読めなかった。

もちろん、実際の生活、人生での『赦し』がもっとも大事なんだろうけど。『奇跡講座』や『神の使者』に触れていないと、その物事の見方の感覚も薄まってきそうだ。

…ということで、『奇跡講座』のワーク、2回目をやろう、と思う。」

…。

あな、恐ろしや。

恐ろしやというのは、率直なきもち。

私は、ブログに書き続けられるACIMネタがないとワークブックを始めてしまうのかもしれない。

てことは…?日々たいして書けることがないと思えばまた…?

いやいやいや、それだけは…。うかつに手を出してはいけない!今度始めたら私の場合7年はかかるだろう。

他にも学ぶべきことはたくさんあるはず。

やりたいこと

実のところ、学ぶこととはちがうかもしれないけど、やりたいことがある。

それは、このブログを読み返すということだ。

たまに検索窓から検索して情報を探すことはあるものの、自分が書いた記事を通しで読み返したことはない。

私がブログを作る際参考した『手帳ブログのススメ』(かなり古い本。もうすっかり時代は変わりましたが)、には「書きっぱなしではもったいない!」と読み返すことで得られる気づきの大切さが書いてあった。

でも、私の場合言いたいことをネットという闇に放り捨ててたようなもの。近づくと心がざわつく。読み返したりできなかったのだ。

誤字脱字がたくさんあるのも、それよりももっと大きな間違いがあるのもチラッと見て知っているけど放置している。ワークブックやテキストからの引用表記さえ統一してないのも気がかりではある。

一回ブログを読み返して、自分のことを振り返ったり修正したりしたいなぁ、と思う。

でもなんか…やっぱり心理的抵抗ある。

私にとっては一大プロジェクトだなぁ。またまた先延ばししちゃいそうだな。

まあ、とりあえず、ここにメモだけしとこう。

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