ACIMワークブック362-聖霊よ、この聖なる瞬間をあなたに捧げます。あなたが主導してください。あなたの指示は私に平安をもたらすと確信しつつ、私はあなたの後についていきます。

 

2020-07-18

引き続きお世話になっています、聖霊さん

静けさや、穏やかさで開かれた心が必要なら、私はそれを聖霊からの贈り物として受け取るだろう。聖霊が主導してくれるのは、私がそれを要請したからである。

私の父である神と神聖な神の子を代弁する聖霊は、私の求めを聞き、答えてくれるだろう。」(W-pⅡ.361:1.3-5)

ワークブック修了が惜しいわけ

7月に入ってからずーっとこの最後の課題をやっている。今朝はレッスン365をやった。

ワークブックが終わってしまうのが惜しいのだ。

それは、日常的にACIMに触れその考え方を忘れないようにしてくれる学習手段から離れてしまうということがひとつ(そんなもの自分の気持ちひとつでいかようにもなるのだけど、何か枠組みがあった方がやる気になる方なのだ。かと言ってもう一巡開始するのは重い)。

あと…こっちの方が大きいのだけど、ブログにどーでもいいことを書く場がなくなってしまう…ことがひとつ。

私はワークブックをやっているという体でその引用なんぞをしつつ、日常のどうでもいいことを書くのが好きだ。

例えば、ぼーっとしてたら自転車を引いたまんまスーパーに入って、あっ!とびっくりしたとか、色えんぴつ画講座でこんな絵描いたとか。そう、雑談レベルのこと。

そういうことを書く場がなくなっちゃうことが困るのだ。むしろこっちのほうが書きたいかも。

しかし、奇跡講座とま~ったく関係ないことだけを書くのも何だか…。というわけで奇跡講座に絡めて日常的なことが書ける「ワークブック」はとてもありがたかったのだ(本来の目的とは違う…失礼 (~_~;))。

奇跡講座を表に出しつつそれとは関係あったりなかったりする日常の思いを書ける「新たなしくみ」を何か作らねば…

Twitterとかがそういうものなのかな?Twitterはスピード感あるというか波長が短すぎて(自分の感覚)…ぐだぐだ書きたい。

「今日のテキストからの引用文」とかでも掲げながら、それをは関係ない記事を書くというのは?まったくその引用と関係ないことじゃ違和感あるかな?

「別ブログを作ったら?」と仲間からアドバイスいただいたこともあったけど、「ACIMをやったりやらなかったりする私」と「どーでもいいことを書く私」、一つの場でその両方でいたいのだ。

ACIMの考えとつながっていられつつ、関係のないどーでもいいことも書ける、かつ楽にできる「しくみ」、う~む、何か考えよう。

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