妹の記憶と洞察に見るかつての家族像

2020-06-22

妹の記憶に残る家族像

しばらく前に、妹にわが家族の思い出を聞いた。私が中学生頃、妹が4,5歳位の頃の風景だろうか。

「いっつもお母さんがね、急に『何かがない』と言い出すの。」と妹。「何か」というのは、眼鏡だったりエプロンだったり、バッグだったり。

「そして、『あんたら知ら~ん?どこ行ったいろ?』って大騒ぎし出すの。」母は人を巻き込むタイプだ。

「そうすると、お父さんとお姉ちゃんが、そわそわし出してお母さんと一緒になって探し始めるの。それからしばらくして、お母さんが、『あ~、こんなとこにあったわ』って自分の近くで見つけてね、そしたら、お父さんとお姉ちゃん、すっーと何事もなかったかのように無言で自分がやってたことに戻るの。」

「それからしばらくして、またお母さんが、『あ゛~、あれがない、知らん?』って騒ぎだして、お父さんとお姉ちゃんがまた一緒に探すふりをするの。で、またお母さんが『あっ、ここにあったわ』ってなって、お父さんとお姉ちゃんがすっと元に戻って。それ繰り返してて。小さい頃見てて、へんな人たちだなぁって思ってたん。」と。

私はその状況を想像して、まるでコントだな、と苦笑した。

8つ年下の妹が家族3人の様子を俯瞰して観察して、「へんな人たちだな」と思っていたのは正しい。

私も父も、長いものには巻かれる質というか、「探すふりをする」ことが最も自分のエネルギーを消耗せず対処できる術だと経験的に学んだのだろう。家庭内権力はやはり母が9割方握っていたから。

そういう意味で、父と私にはどこか同じ“欺瞞”を分かつ共犯意識みたいなものがあったかもしれない。

サンタクロース、PTA会長…いろんな役をこなした父

父は家の中ではほぼ母に従っていたが、大人しいタイプの人というわけではなかった。むしろ外交的で、私たち子供が幼稚園の時には園のイベントのサンタクロース役、子供が小学生の時にはPTAの会長、ほか結婚式の司会、選挙応援演説、はてはお葬式の弔辞まで、頼まれて人前に出ることが多かった。ただ細かく仕切るというのではなく、なんとなくにこにこしていて大物感を出していたりする。

家では感情を出さず、外ではいろんな役で頼まれごとをこなす。

お父さんて、どういう人だったのかな?

近くにいたというのに、ついに父はどんな人がつかめずじまいだった。

そう思っていた別のある時、また妹がふと言った。

「あの人(父のこと)、ゆるキャラなん。」

ゆるキャラ!?

くまモンみたいな?

一瞬よくわからなかった。

が、次の瞬間「そっか、ゆるキャラか~!」と合点がいった。

いろんな会やイベントに呼ばれてでるが、実務的なことはほぼせず(誰かがすでに済ましていて)父の役は、にこにこしていてここぞという時大きな声で「ぱんざーい!」と言ったり「かんぱーい!」と言ったり、「おめでとうございます!」と言ったり、あるいは歌を歌ったり。そんな役周りだった。

そう、乗せられ上手というか、お神輿の上に乗り素直に担がれるタイプ。

「ゆるキャラ」というのは、父がその役をやっていた後にできた言葉だけど、まさに父は「ゆるキャラ」として地域の人に重宝されていたのだった。

なるほどね。と、妹の洞察力に感心した。

私は小学生の頃「お父さん似」とあだ名をつけられるくらい父に顔が似ていた。今もたぶん似ていると思う。だから余計父に親しみを感じるのかな。どうせなら受け継いでいるだろう、よい質を活かしたいな。

生家での「父の日」。ACIMのことはやはりまだ遠く、いい年をしてありし日の父と家族の様子を思い出していたのだった。

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