ACIMワークブック353-今日は、私の目にも、口にも、手にも、足にも、目的は一つしかない。キリストに与えられて、世界を奇跡で祝福するために用いられることである。

 

2020-05-30

自分を奇跡で祝福するために用いる

父よ、今日私は、私のものであるすべてをキリストに与えます。そうすれば、それらは私が彼と共有する目的に最も役立つやり方で使われるでしょう。」(W-pⅡ.353:1.1)

いま少しの間、私はキリストの目的に役立つように、キリストとともに働きます。それから私は自分の真のアイデンティティーの中で私自身なるもの失い、キリストが私の自己にほかならないことを認識します。」(W-pⅡ.353:1.4-5)

過緊張が緩む

今朝目が覚めたら9時だった。目覚ましをかけなくてもいつも6時ごろには目覚めるから、時計を見てびっくりした。

夜間少なくとも2,3回トイレに起きているけど、昨日は一度だった。

よく眠った。

新しく処方していただき昨日初めて飲んだ「ぼうこうの緊張を緩める薬」というのが、効いたのかな。

QOLに関心を持ってくださるお医者さんに出会えてよかった。

実はこの女医さん、前の家に住んでいた数年前から、もし行くとしたらこのお医者さんがいいかな?と検索していた方だった。検索して選んでから「行く」という行動に移るまでに5年位かかっている。

先延ばしすぎだ。

不具合があたりまえのようになっていたから、病院に行くきっかけがなかった(言い訳だな)。

ぐっすり眠れて、ケアはするもんだなと思った。

私はぼうこうに限らず過緊張の傾向があって、それでも若い頃は表面を繕いつつ強引にいっちゃえたんだけど、今やその虚構を保つエネルギーはない。

過緊張ってエネルギーの無駄だ。

ずっと“戦闘モード”ってことだから。

他者とこの世を“敵”だと認識して攻撃を前提に身構えているってことだろう。

失礼なはなしだな。

まさに自我の視点。

でも、そうやって生きてきた。

今さら性格は変わらないかもしれないけれど、でも少しずつでもACIMを磁石にして「真北」へ進めば、レッスン353にあるように「真のアイデンティティーの中で自分自身なるもの失い、私の自己にほかならないキリスト」へと近づけるかもしれない。

ワークをしていると、しばしば私が「不信から自分の邪魔をしている」というメッセージを感じる。すでに与えられている豊さにアクセスできないのはそのためだと。

前に自己肯定感が低いのが問題だと思っていたけど、そうではなくそれはもっと広い意味での「不信」なのだと言われている気が。

それが聖霊の声かどうかはわからないけれど、「不信」は、他者不信だし自己不信だし、神不信だし、この世レベルで考えてもいいところに行きつくとは考えづらい。

要するに「クセ」なのだから、徐々にだけど直していけたらいいなと思っている。

憧れのひと!?

この前テレビでYouTubeで人気のフワちゃん(名前だけ知ってた)が無人島から自給自足して脱出するというロケ番組ふと見て目が離せなくなった。

すごい (๑°ㅁ°๑)!

私とは対極の明るくて開放的でしかも粘り強いひとだ。

この世ではいろんな“個性”が見えるけど、こんなひともいるんだ、人気が出るはずだと目を見張った。

元が同じひとりの神の子とは信じがたい。

ACIMの教えはなるほど真理だと思うけど、いろんなタイプのニンゲンがいるこの世もおもしろいと思う。

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