ACIMワークブック347-怒りは必ず裁きから生じる。裁きは、奇跡を自分から遠ざけておくために、私が自分自身に突きつける武器である。

 

2020-05-14

私の心を正してください

父よ、私は自分の意志に反するものは欲し、自分の意志が望むものは欲しません。私の心を正してください。心が病んでいます。」(W-pⅡ.347:1.1-3)

私のために正しく審判する存在として与えられた聖霊に、すべての判断をゆだねます。聖霊は私が見ているものを見ますが、真理も知っています。」(W-pⅡ.347:1.5-6)

今日は耳を傾けよう。じっと静まり、神はあなたを愛するわが子であると審判したと、優しい神の声が安心させてくれるのを聞こう。」(W-pⅡ.347:2.1-2)

夢のはなし

夢を見た(のを思い出した)。

強い感情を伴う夢だった。

ユング講座では「夢ノート」をつけるように言われているが、私はあまり夢を覚えていられるほうではない。夢の事実関係はすぐおぼろげになったが、ともかく覚えているところだけでも書こうとメモした。

<夢>

父が病気で入院。ずっと寝たきりの状態だ。

治療のためか延命のためか身体には管なんだか線なんだかが繋がれている。

病室にいる母より電話。

「お父さん、もうすぐあっちに逝かれる。」

病状が危機的になっていて医師から「もう長くない」と言われたのだと思っていたら、そうではなくて、母が自分の意志で、治療か延命のため父の命を人工的に支えている管だか線を切ってもらう判断をしたのだという。

私は慌てて「ぜったいだめ。話せなくてもだた手を握っているだけでもいいから。とにかく切らないで!お願い。。。」と懇願し、泣き崩れている。

母は「そう…?」と徐々に気を変えていく。

その後、私は病室に向かったのかな。父の手を握りながら泣いていた。

夢の意味するものは何?

夢は無意識が現れたものだとして、どういう意味があるのか。。

この夢の直後、コロナ騒動が始まった2月下旬病気が発覚してお母さんが入院された友だちから、タイミング悪しく思うように会えないままお母さんが亡くなったという報告を受けた。

無意識はつながっているから、私の親と会えない不安感が現れたものだろうか。。。

そのうち、夢のなかの「父=聖霊や神的なもの」「母=自我(エゴ)」「私=決断の主体的なもの」に配役したら、奇跡講座的にはストーリーが通じやるかも?と気づいた。

ほぼ寝たきりの父、回復の見込み薄。

話すこともできないし意味ないから、かろうじて繋がっている線切っちゃうよ、という母。

切られるという段になって、たとえ話せなくても手を握っているだけでいいから切らないで、と泣きわめく私。

う~む。

このストーリーでいけば、私は無意識では、夢の中の母に象徴される聖霊や神とのつながりを切りたがっている一部があるということか。

自分では夢の意味はわからない。

自我自体は悪いものじゃないにしても、この配役だと母に悪いか (^-^;) もし自我ならもっと狡猾に抵抗するだろうし。

ぜったいにだめ。とにかく切らないで…手を握っているだけでいいからお願いーという強い気持ちだけがぼわーんと残っている。

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