ACIMーたま~に「高い壺」を買っちゃったような気分…?

2020-04-20

「高い壺」

ACIMの学習を細々続けてきて、たま~に「高い壺」を買っちゃったような気分になることがあるよ。

買えば幸せになるという、壺。。。

ちょうど今みたいに外出自粛でひとりの寂しさが沁みて(やたらカップルや家族で仲良く買物に来ている人たちが目につくようになった)、メンタル下がり気味なときなんか。。。(真摯な学習者の方からみたら、不届き者だ (~_~;))

「この壺は、磨けば(赦せば)、どんどん層が薄くなり中から真理の光が輝き、あまねく照らします。

そうすれば、幸せを感じないでいることはむずかしいでしょう。」

それは素晴らしい!

欲しい!!

おいくらですか? お支払いは…?

「おカネではなく、人生の時間で」

「ただただ赦しが必要なときに赦すだけです」

そっか~!簡単っていうかシンプルだね。

…しかし、事の重大さというか、とてつもない時間がかかるだろうことが、ようやく薄っすらわかってきた。

人生何回分?何十回分?もっとー??

とてつもないローンを組んじゃったような? 重い…

とんでもないこと始めちゃったのかな?

クーリングオフ期間は?

てか、訪問販売じゃないし。

自分から買いに行った、もちろん自分の意志で。

それにこれはクーリングオフに頼らずとも、やめようと思えばいつでもキャンセルできるんだ。

は~っ。

赦しは実践がむずかしい、本音では赦したくないんだ

赦しと本当の世のしくみを学ぶのは面白い。

だけど、だけど、赦しの実践って、すご~いむずかしい。赦しのネタは、尽きないし。

誰かの他の人のことだと、「鏡として抑圧した自分のある側面を見せられているのかもしれないね」などとシレっとできるけど、

当事者として渦中に入った瞬間は、ほぼほぼ「ACIMで学んだことは何でしたっけ?」って具合にわからなくなる。

自分のことだと本当に赦しって、手ごわい。要するに、赦したくはないんだよね、見方を変えたくない。

私の場合は赦しの対象となる感情が沸き上がってきたとき感情を充分感じる前に、「はいはい、それね」と「積読」ならぬ「赦すことにとく」として処理しちゃう。

「赦すことにしとく」、溜まっちゃったな~。

赦しのネタを抑圧する私ー。学びが活かされてないや。

いったいあとどれくらいの人生時間が必要なのかな?

は~っ。

Jのちょっとしたトリック

そういえば、たまたまだけど昨日もおとといもワークしなかった。

不調だからワークしなかったのか、あるいはワークをしなかったから不調になったのか。

それでも、コロナパニックのさなか世界中で起きていることを、分離、罪・罪悪感・恐怖、抑圧、否認、投影などといったACIMで学んだ概念を通して見ると、たしかにACIMでイエスが教えていることはそのとおりだと思え、教えへの信頼が高まる。

要は実践なのだな、関門は。

二つの道があって、これまでの自我の道か、聖霊の導く道か。

やはり信頼できるのは、聖霊の道だ。

…となると、時間はかかるけど、“壺を磨く”しかない。

私の今世一番の愛読書『神の使者』にも「おとり商法みたい」というゲイリーの言葉があったはずと探してみたら、第10章にあった。

アーテン:「遅かれ早かれ、すべてはある種の赦しとどれほど積極的に赦す意志があるかに帰着する。…(略)…どれほど積極的に自分の夢を手放して、神を選べる?

『コース』の中で、Jがちょっとしたトリックを使っているのに気づいただろう。ほとんどの場合、彼は少し意志が必要だ、と言っている。だがそれは上級者向けじゃない。『教師用マニュアル』では、『途方もない』意志が必要だと述べている。」

ゲイリー:「おとり商法みたいだな。」

『途方もない』意志…か。

私が感じたことは間違ってはいなかったんだ。

初めて読んだとき、この部分が気にはなったけど、だけどACIMに対する好奇心のほうが上回った。

途方もない意志が持てるとは思えないけれど、ACIMで語られるこの世のしくみはますますそのとおりだと思えている。

だから、とりあえずは続けてみようかな。

赦しの機会には事欠かないのだし。

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