2020-03-04
地においても天にある通り…
「父よ、私はあなたの心の中に創造され、一度も故郷を離れたことのない神聖な想念です。私は永遠にあなたの結果であり、あなたは永遠に私の原因です。私は、あなたに創造されたままに存在してきました。」(W-pⅡ.326:1.1-3)
「自らが神の結果であり、あなたと同じく創造する力があることを、知ることができますように。地においても、天にある通りです。」(W-pⅡ.326:1.6-7)
堀江さんからのメッセージ
おととい「資格」を自分が「手放せないでいるもの」として書いたが、昨晩お風呂で読書をしていたとき、ちょうど著者の堀江貴文さんが資格について言及されている箇所が出てきてビクっとした。
それは『10年後の仕事図鑑』(落合陽一×堀江貴文著)という2年前に発売された本。
「AI(人工知能)、仮想通貨、LIFESHIFT、ホワイトカラーの終焉……。
10年後どころから5年先すら予期できない今、今の仕事、会社、社会、キャリアはどうなるのか。
落合陽一氏と堀江貴文氏が語るー」みたいなやつで、前にメルカリで買ったのをちびちび読んでいた。
最終章「ピュアな情熱に導かれた“自分の人生”を生きよ」の「予防線を張るな。心のコンパスを信じろ」の節ー。
「人は、自分が持っていない磨かれたスキルを持っている人に惹かれるものだ。」としながら、「ただ、そのモノサシとして『資格』というものに走ってしまう人がいまだに多い。資格を持つと、それが『スキル』だと思い込む。たしかに、ちょっとした話のネタになるかもしれない。しかし、多くの人が取得している資格なんてものは、スキルとしての差別化はまったくない。」
「だからこそ、肩書きや資格にこだわる必要なんてない。」と堀江さん。
そ~だよなぁ、と思う。
そしてその後の節では、「よく若い人たちから『年金はもらえるんでしょうか。』『今後の日本はどうなっていくのでしょうか。』と質問を受けるが、すべての答えは『知らない』だ。
みんな問いが間違っている。あなたが問うべき対象は未来ではなく他でもない『自分』だ。
自分が求めているものは何か、やりたいことは何か。今この瞬間、どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考えぬけばいい。自分の『これが好きだ』『これがしたい』と思う感覚を信じ、それに従って下した判断を、誰のせいにもせず生きる。」
と続く。
この本はこれからを生き抜く若い世代向けの本だろう。そしてACIM的視点というよりこの世での成功や自己実現について書かれている。しごく当たり前のことを言っているようにも思うが、昨晩は「資格」のことが心に残っていたせいか刺さった。
そして今感じるのは、「好きなこと」「したいこと」に近づく恐怖だ。
好きなことで自己実現する恐怖
私の人生にはずっとありのままの感じ方を表現することに対する恐怖がある。したいことが「世間のモノサシ」に近いときはまだいい、そうでないときや心の核心部分を表現したいとき…、とてつもなく怖い。
もしかしたら「一回も」表現したことないかもしれない。(ブログには多少漏らしているけれど、匿名だしこれは言っていることを闇に葬っているような錯覚がある。心理学的に言えば、幼少期に受けつけられた母に対する恐怖なのだと思うが母は神を投影したものだから、要するに分離を前提とした神への恐れかな)
だからこそ、「世間に対する恐怖」を超越してしまっている堀江さんの言葉にグサッと来るものがあるのか。
私が「手放せないでいるもの」は、「資格」や「会社」じゃなくて、本当は「好きなことやしたいことにくっついている恐怖」や「ありのままの自分を見せてはいけないという観念」なのかな、と思った。
わかってもなかなかできないー(>ω<ノ)と思う。これこそ、私が自我を守るために築き上げてきた「塔」だ。
でも、私は若者じゃない。世間の何を怖がる?とも思う。
あ゛~、今世はこんなことばっかり言って終えるのか。。