ACIMワークブック324-私は先導したくないので、導きに従うだけである。

2020-02-26

導きに従うだけだけど、従えているのか。いやぁ…

だから私たちは、道を知っている存在についていこう。これを遅らせる必要はない。私たちが父の愛に満ちた御手から迷い出ることがあるとしても、それは一瞬のことである。」(W-pⅡ.324:2.1-2)

父に従う私たちは一緒に歩む。そして、私たちの旅の終わりを確かなものにし、わが家への安全な帰還を保証してくれるのは、父である。」(W-pⅡ.324:2.3)

自分が怖い…

外は小雨。

超ど~でもいいことだけど、自分が描いた色えんぴつ画の下絵をなくしてしまった。

かなり時間かけて製図みたいに写真を写していたやつ。

もともと絵を描くより色を塗る方が楽しい。

“製図描き”しちゃったのは仕方ないとして、色塗りは自由に大胆にやってみよう、でも、失敗したらやだな…

と、キンコーズで下絵のコピーを取った。

そのまんま二週間たち、さて…、と思ったら手元になかった。

昨日コピーを取ったキンコーズをダメ元で訪ねたけどやっぱりない(忙しい中ばかなことで手を煩わせてしまった、すみません)。

たいしたものじゃないけれど、これもまた「本当は起こっていない分離」の投影かと思い、げんなりした。

だいたい製図的手法で下絵を描くのもばかげていると思うし、それをコピーして使いまわそうという発想も創造性に欠ける。

さらに、原画もできたコピーも置いてきてしまうとは…(なぜか薄すぎた失敗コピーだけが、持ち運びをしていたA3の透明ファイルにあった)。とんちんかんにもほどがある。

大丈夫か、私!?

前に買い物しようと入ったコンビニで買い物かごを手に取ろうとしたら、すでに手にカゴを持っていてビックリしたことがある。

その前に立ち寄ったスーパーの買い物カゴだった。会計後、買ったものを袋に詰めることをせず、買ったものが入ったカゴを持ったまんま次にコンビニに寄ったのだった(恥ずかしかったけれど、返しにいった)。

ある時は考え事をしていたら、自転車を引っ張ったまんまスーパーに入ろうとしているのに気づき、慌てた。

子どもの頃からそそっかしい方だけど、それに加齢が加わって、自分に驚くこと多し。自分で自分が怖い。

私は気づいていないけど聖霊さんがアドバイスしてくれて助けてもらっていることもたくさんあるんだろう。

2月、3月は苦手な月だ(前に占いで「年に2ヶ月ある月天中殺に気をつけて」とたくさん言っていたので、その“信念”が自分に深く入り込んでいる。人に言うことは自分に適用されるのケース)。

他のことでもリズムを崩しがちだ。

これ以上粗相のないように乗り切りたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る