ACIMワークブック323-私は喜んで、恐れを「犠牲」にする。

2020-02-23

恐れを「犠牲」にすると、愛が残る

これのみが、あなたが愛するわが子に求める唯一の『犠牲』です。あなたが求めておられるのは、わが子があらゆる苦しみや、損失と悲しみの感覚や、心配や疑念を放棄することであり、あなたの愛が彼の自覚に自由に流れ込んで彼の痛みを癒し、あなたの永遠なる喜びが彼に与えられるようになることです。」(W-pⅡ.323:1.1)

それが、あなたが私に求め、私が喜んで差し出す『犠牲』であり、世界の救済のために、あなたについての記憶が私に戻されるのに必要な唯一の『対価』です。」(W-pⅡ.323:1.2)

気づけばオムライスを食べているわけ

三連休の中日の昼下がり。なんとなく空気が緩んでいる。

午前中『Journey through the Text of ACIM』読みを少し進めた。といっても2時間で1ページの半分くらい。ちんたらやるのが性に合っている…ていうわけでもない。これが今のフルスピードだ。

昼ごはん、オムライスを食べた。

一週間ほど前ふと「オムライスが食べたい」と思い、何年かぶりに作った。

トマトケチャップ味が懐かしくておいしかった。それ以来毎日のようにオムライスを食べている。そう、ひとり暮らしには流行りがある。

あとで、なんでオムライスだったかな~と思い返したら、テレビに槇原敬之さんの『オムライス』(2月24日追記:朝ウォーキング中口ずさんでて気づいた、曲名は『オムライス』じゃなくて『チキンライス』だ!『チキンライス』と言いつつ頭の中でずっと『オムライス』をイメージしてた、 ʅ(◞‿◟)ʃ     )という曲が流れて、それで意識に上ってきたらしかった(ダウンタウンの浜ちゃんが歌っていて、いい曲だ)。

私はとくに食べもののイメージが脳にくっつきやすいのかもしれない。

オムライスの前は、美容室の雑誌で「豚肉と白菜のミルフィーユ鍋」の写真を見て、「ああ、むかし流行っていたな」と思い出してそれが続いた。ラーメンを食べていて、そういえば前の日テレビでラーメン特集を見てたっけと気づいたり、知らないうちにギョーザに導かれていることもある。

ニュース番組はあまり見ないけれど、今は新型ウイルスのニュースが絶えず入ってくる。ただ事実の報道というだけではなくて不安や恐怖が増幅されている気がする。

自分では気づいていないけど、私も潜在意識で不安や恐怖を増幅させているのかもしれない。

観念上は「喜んで、恐れを『犠牲』にする」とさらっと言えるけれど、この世で起こることはやはり体を持っている私の視点から見れば「実際に」起こることだから、そうは簡単ではない。

ACIM本を通して学んでいる観念的なピュアさと、この世での肉体上精神上の体験の兼ね合いというか適用の仕方というか、、、それが私には掴めていない。どちらかといえば観念的なことに比重を置いてきたけれど、この世で適用できて初めて身に付くんだよなぁ。。と改めて思う。

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