世界が少しだけやさしくなった

2020-02-21

車が前より止まってくれる?

自分がいる世界が少しだけやさしくなったように感じる。

それはたとえば道での知らない人との間で。

道路を横断するさいに、前より車に止まってもらえる率が高くなっているような?

渡ろうかな~と思いまだその意思表示をしていないのに、ふと見たら車が止まっている、そんなことが多くなってきた気がする。

「あ、ありがとうございます」と渡る。

気のせいかな?

この前は路線バスが止まってくれた。けど対向車は2台くらい止まることなく進んだ。で、渡れるに渡れず「あ、いいです、行っちゃってください」という感じで会釈したけど、運転手さんは辛抱強く待ってくれて、ついに3台目の対向車にはクラクションを鳴らして止めてくれた。

バスの乗客にも見られ、ちょっと恥ずかしかった。

「もたついてんじゃねーよ」と思っていたことだろう。

思い当たるのは二つ

気のせいかもしれないが、かように路上で出会う運転手さんが前より親切だ。

要因というか思い当たるとしたら、2つ。

ひとつは、私が「大丈夫か、あの人」という危なかしさというか、ご老人風なもたつき感を出している可能性…。

あるかもしれない。社会との接触がますます低くなってなんか全般に自信ない。

もうひとつは、奇跡講座を学んで(ちゃんとはできてないけれど)私のなかの罪悪感や恐怖感が少しなくなり、投影される世界が優しくなった、という可能性。

う~む。できれば後者であってほしいなぁ。

たかが道の上の些細なこと…、だけど少しでもやさしくなるのなら、そちらのほうがいい。

数年前は止まるべきところでも止まってもらえず…

とつらつら考えていたら、数年前、自転車で青信号の交差点を横断中、向こうからやってくる左折車にぶつかられたことを思い出した。もちろん直進する私のほうが優先される状況だ。

しかし、その車はぼーっとしていたのかそのまま私にぶつかり、私は自転車ごと地面に倒れ自転車の下敷きになった。

運転していた男性は10数m進んでから車を脇に止めて近づいてきたけれど、私は通行人とかにも見られ、とても恥ずかしくなり、

「だ、大丈夫です」と言った。男性は車に乗って去った。

後で、足や腰が痛んだ。

そのことをLINE Playというゲームの中のダイアリーに乗せたら、バーチャルな友達に「ちゃんとお医者さんに行くべき。また相手の人の住所、氏名を聞いておくべきだった」と叱られた。

整形外科を営む個人医院に行った。幸い骨には異状なく打撲だけだった。脚が内出血で真っ青になった。

そのお医者さんは、気功師もやっているという不思議な方で、「ケガより心だね、体ががちがちに硬直しているよ」といい、「あんたは怖かったと思っているが、大丈夫だ、な~にも起こっていない。体は元気だ」とふっーと気?をかけてくれた。

お母さんが子供にやる「ちちんぷいぷい」みたいなものかな?気が晴れた。

やさしい世界の住人でいたい

そう、前の私の世界では、青信号で横断してもぶつかられるような世界だったんだ、と思い返した。

犬のおやこそれっていつだったけ~?と手帳を見返してみたら、奇跡講座のワークを始めて1ヶ月半のことだった。

ワークの“即効性”でしきりと“過去のカルマ”みたいなもんが出てたんだろうか。

とにかく錯覚であっても、世界がやさしくなる分には構わない。

大いにそうであってほしい。

私はどちらかというと気が短いほうだし、内向きで人にやさしいほうでもないけれど、もっとやさしくなりたいなぁ、といま思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る