ACIMワークブック320-私は世界の救済のために来た父が私にすべての力を与える。

2020-02-01

神の子は無限…

神の子は無限である。彼の力や平安や喜び、また父が彼を創造したときに授けたいかなる属性にも、限界はない。彼が創造主および贖い主とともに意志することは、必ず為される。」(W-pⅡ.320:1.1-3)

父が彼の心を照らし、地上と天国におけるすべての力と愛をもたらすので、彼の神聖な意思は決して否定されることがない。このすべてが、私に与えられている。私が、父の意志の力を内に宿す者である。」(W-pⅡ.320:1.4-6)

あなたの意志は私の中ですべてを行うことができ、それが私を通して全世界へと延長されます。」(W-pⅡ.319:2.1)

神の子は無限…

こう聞いてしまうと、え!?この世で何でも達成できるスーパーマンみたいになれる?と一瞬勘違いしちゃいそうになるけど、これは神なる属性という抽象のことなんだよなぁ。ここに書いてある神の力、平安、喜び…

それが救済という目的のためにこの世で反映される…と。

なんだか私は「出したらその分減る」式の考えがしみついていて、「出し惜しみ」しちゃっているかも。

こうしたものは、だれかに自分が差し出せるようになってこそ、自分のものになるのだった…

プラネタリウムで夜空の旅へ

きのうは、ワプニック先生の本読みをシェアしているトベちゃんが「プラネタリウムのチケットを持っているよ」と誘ってくれて、二人して行ってきた。平日自由に動ける私に声かけてくれたのだ (^_^;)

大昔見たプラネタリウムとは大違い。技術的な進化がすごいんだなぁ。

あたかも自分が星空を旅しているみたいだった。私がとくに惹かれる淡い青からピンクにかけての光がとっても幻惑的で、ピュアで、初めのうちは「プラネタリウムだ」という認識があったが、音楽の効果もあって途中からあたかも自分が星のなかをみんなと一緒にのりものに乗って旅しているかのような錯覚に陥った。

投影技術すご~ぃ。ドーム型スクリーンすご~ぃ。360°全部世界だ~

見ているうちに、「あ、なんか思い出せるかもしれない」と思った。それはACIM的な神の子としての自分というものでなくて、若い頃ティーンエイジャーだった頃の自分…社会にむかって期待感を持っていた頃…

無意識にはたらきかけて揺さぶってくるようなものがあった。

トベちゃんとのおしゃべりを思い出しながらつらつら考える

ランチとお茶してたくさんおしゃべりもした。

常日頃、そのACIM学習力、英語力、IT力に敬服しているけど、それに加えやっぱり改めて、トベちゃんの社交性というか人と積極的に関わろうとするオープンな姿勢と、(友達への手助け等のお話を聞いて)企画力&遂行力に感じ入った。病気のこととか男性との関係性に赦しがありそうなところとか共通点も多いけど、こうしたところは自分にないところで(すぐに見習えるとは思えないけれど)、見習うべきところだな~と感じた。

そうやって書いているうちに、ユング講座でよく耳にしている「見えるところは自分にもあるところ」というフレーズを思い出した(ユング講座だけじゃない、心理学でも、一般的にも言うか)。

これも「投影」の概念の範疇のことで、そもそも自分の性質(資質)にないところは、他人のそれも見えないのだと言う。

私がトベちゃんの社交性、積極性、企画力&遂行力に感じ入るということは、今は落っことして眠らせているけれど、自分にもあるものなのかな~ということを考えた。

しかし、人を自分から誘うということもなかなかできない私のような人間ばかりだと世の中、出会いなんてなくなっちゃう。

そうこう書いているうちに、その昔、惣菜屋をやろうと思って参加した起業家セミナーで初めて会った料理人に料理を教えてくれと頼みこんだり、本を読んでファンになってソニア・ショケットさんのシカゴの家までリーディングしてもらいにいったことを思い出した。一風変わったかたちで出るけど、私も人と関わろうとする積極性がないわけじゃない。ただし昔はー。自分が昔と変わったということかな。

つらつらと考えているうちに、去年のゲイリーさんのワークショップを思い出した。やっぱりあの時声かけてもらってよかったなぁ、そして一度お茶するという機会から定期的に会って一緒に本を読み進める会へと発展してほんとよかった(救われた)、と。

そこに帰ってきた。

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