2019-12-24
判断せずに生きる…?ん?あまり考えないことにしよう
「判断というものは、真理から身を守る防衛の武器として作り出された。それは判断されている対象を分離させ、あたかも別個のもののように引き離す。それからそれを、あなたが望む通りのものに作り上げる。
それは全体が見えないために、自ら理解できもしないものについての判断を下している。だから、誤った判断をする。
今日、私たちはそうした判断を用いるのはやめて、それを別の目的に用いる聖霊への贈り物としよう。」(W-pⅡ.311:1.1-5)
ん、むずかしいな。
この世で自らが判断して進めないとしたら、そんなふにゃふにゃしたもののなかで私はどう進めばよいのでしょうか。
…これは数年前からの私の疑問というか、陥っているところだ。
ここでの「判断」は、俗にいう判断というより「批判」や「非難」みたいなものかもしれないけど。
自分の知覚や判断があてにならないとしたら、私はどうすればよいのでしょうか。
もちろん奇跡講座に出会う前からあてにはならなかったんですが!!
私は聖霊さんの声が聞けているでしょうか。
正しい方向へ向かっていけているでしょうか。
それとも、かなり前から迷子になってしまっているんでしょうか。
わからん。
まぁ、いいや。
ペンディングにしておこう。
自問自答していると、さらに変なとこに迷い込みかねない。
とりあえずことし一年幸せに生きられた。ある意味奇跡的。
色のワークショップとそれぞれの表現
一昨日は、友人主宰の色彩ワークショップの年内最後の日で、それぞれの「色」をテーマとした自主研究?の発表だった。
といっても、私の中で「色」の優先度はさほど高くはなくて、ほぼ一夜漬けになってしまった。
さて何やろうかな、と考えだしたのも、三日前くらいだ。
私は、色えんぴつ画講座に通いだして三年。ようやく有名な有名画家と言われる人にほんの少し関心が出てきたところ。
それで、その画家たちの著名な絵で使われている主要な色をカラーカードで抽出して、色相(色味)とトーンを貼っていくというのをやることにした。
図書館で美術の本借りてコンビニでコピーして、似通った色のカード選んで貼り付けて…と。おままごとみたいに簡単なもんだけど、
レンブラントさんは、オレンジや茶色という限られた色味で極端に明暗をつけてスポットライトみたくしたんだね、
セザンヌさんは、黄色、青、緑系の柔らかいトーンがけっこう好きだったんだね、
シャガールさんは暗い闇色のなかに赤や紫や青といった鮮やかな色をつけて幻想的な雰囲気にしたのが目を引くね~、
マティスさんは原色だらけだけどそのわりに疲れさせなくてバランスいいね~、
などとテレビを見ながら切り貼りしてたら、けっこう楽しかった。
友人は私に色えんぴつ画講座を紹介してくれたひとだ。
ランチをとってから一緒に、色えんぴつ画講座の林先生が銀座のギャラリーで他のアーティストの方々と開かれているグループ展に足を運んだ。
ここでは、色えんぴつだけでなく水彩画や点描画やテンペラ画などいろんな表現があって、また興味深かった。
なんでこの方は、この材料を使って、この絵を描くことにしたのかな、と興味をもった。
幻想と言われるこの世の中で、私はけっこう人の個性や指向性、それぞれの生き方みたいなものが好きらしい。人っておもしろい。
コミュニケーションには不得手意識があるけど、どうぶつとしての人には興味津々なのだ。