ACIMワークブック303-聖なるキリストが、今日、私の中に生まれる

2019-11-24

聖なるキリストの誕生を歓迎

天使たちよ、今日は私とともに見ていてください。天の子が誕生するこの時、神聖な神の想念のすべてが私を囲み、静かにともにいてくれますように。」(W-pⅡ.303:1.1-2)

父よ、あなたの子を歓迎します。あなたの子は、私が自分で作り出した邪悪な自己から私を救うためにやってきました。彼こそ、あなたが私に授けてくださった一なる自己です。彼こそ、真理における私の本当の姿です。」(W-pⅡ.303:2.1-4)

「私が自分で作り出した邪悪な自己」っていうのが今は私を牛耳っているんだな(。 ・ω・)

そこに神の子キリストを迎える…

しかし、邪悪な…とは、、、言い切るなぁ。

パソコン上の“問題”

パソコン上の“問題”が2つ発生。

ひとつは、ノートパソコン(新パソコン)上に置いてある電子書籍『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』が開けなくなったこと。

「ファイルが破損しています」というメッセージ。同じ電子書籍『The Fifty Miracle Principles of “A Course in Miracles”』もダメだ。いろいろ回復策を探ってみたけどよくわからない。パソコンやネットのこと、得意じゃないからなー。

そしてもうひとつ、より重要度が高いのが、10年位(もっと?)使っているデスクトップパソコン(旧パソコン)が動かなくなったことだ。

「スリープ」にしていたのだが、画面が真っ暗なまままったく反応しなくなっていることに気づいた。パソコン自体が壊れているというより、どこか回線が切れたみたいな感じ。

私はパソコン関係の管理ができず、バックアップとかもなく、過去の全部がこの中にある。

さて、どうしたものか…

今は得意の「否認」で先延ばししている。

えらい困っている気もするが、さして困ってない気もする。パソコンの中身は主に「過去」だから。

この不具合から学ぶべきは、「事故・リスクに備えて、二重に予備をしたり守り支援する態勢」を身に付ける必要があるってことだな。

私は過敏でビビりなところと、「そんなもん、なるようになる」とまったく備えないところと、両方あって、実のところかなり大雑把かつ大胆な性格だ。後者が面倒を招くことは経験から知っているが、直らない。

さして懲りてないのか。。。

いやいや、喉元過ぎれば熱さを忘れる、怠慢が上回っているだけだ。

これも『神との分離』の再演…

ワプニック先生のテキスト解決本『JTTA』の今読んでいるところでは、「この世に現れている問題は多様に見えるけど、それはたった一つ。すなわち(じっさいには起こっていない)『神との分離』の再演」という文言がしばしば出てくる。

その『JTTA』の電子書籍ファイルが壊れてアクセスできなくなったこと(電子書籍から紙のノートに文章をコピーして読解していたので、そのファイルが壊れて開けないということは、先を読めない…)、過去10年が詰まったパソコンにアクセスできなくなったことも、その再演バージョンの一つかな?

それとも、ただ、私の怠慢・だらしなさ・知識のなさが、この世にかたちになって表れたものか。

見方のレベルの違いで、両方ホントだな。

さて、『JTTA』には、起こった問題のこの世的な解決策は一時的なもの(また、かたちを変えて起こる)で、正すべきは、エゴを選んで「神との分離」をリアルにしてしまっている心のあり方だと書かれている。

私の場合、この世的な問題解決さえ図っていなくて、ぼんやりしているだけだけど、エゴを選んで見ているという心のあり方を少しでも変えなくては。

起こっていることは悪いことではない。すべての“問題”も悪くもよくもない。

私のものの見方と認知の仕方。。。

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