ふうせんさんの導きでテキストじっくり読む

2019-11-19

癒しのコメントいただく

先週書いた「泌尿器科で再び検査」(ちょっと恥ずかしいタイトルだ)の日記に、ふうせんさんからコメントをいただいた。

「検査の結果が異常なしで何よりです」と優しい言葉をかけてくださり、それから、病気に強い恐れを感じていた私に、「大きな恐れが出てくるのは、奇跡講座を学んできて無意識の掘り起こしをしているからこそ、より恐れに敏感になっているということではないでしょうか」と言葉をかけてくださった。

そのうえで、関連するテキストの箇所を挙げてくださり、次のように言ってくださった。

そして、心は、遅延は不必要な苦痛を増すだけだと理解し、次第に遅延を許容できなくなる。その結果、以前ならごく些細な不快感の侵入と見なしたはずの事柄に対しても、心はますます敏感になっていく。」(T-2.Ⅲ4.6-7)

とありますし(中略)「『ぜんぜんダメ』なんてことはなくて…『自分を肉体だと思っているのがわかった』というところが本当に重要なところなのだから、聖霊は『よく観察できたね』」喜んでくれていると思います(^^)」。

ありがとう。

心は赦しの機会をつくる

今日、ようやく該当箇所を含むテキストの2章を読むことができた。

本当にふうせんさんのおっしゃるとおりだな、と思った。

赦しを実行するためには、無意識から「罪、罪悪感、恐怖」を浮かび上がらせなくてはならない。だからこそ、そういった感情を伴うゲンジツは必要なものだし、丁寧にクリーニングするため過敏にもなるのだな~。

「ACIMを学習し始めると、人生が一見悪化するように見える」とも聞く。これも、「遅延を許容できなく」なって、(熱心な学習者であればあるほど)無自覚ながら、赦しの機会を自らセッティングしているのだろうと思う(私は、ゆる~いコースで進んでいるほうだと思うけど)。機会があってこその赦しなのだ。

『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』のシェアの会でも、「ACIM、人にうかつに勧められないよね、結果は『自己責任でお願いします』だよね」という笑い話が出る。

人それぞれACIM学習スタート&継続と赦しの機会として生じたゲンジツについては、いろんなケースがあるんだろうな~と推察する。

「解説本だけでテキストそのもの読んでなーい」

ふうせんさんのコメントで改めて気づいたことが、もうひとつ。

私ってば、せっかくワプニック先生のテキスト解説の原書を必死で読んでいたのに、テキストそのものは解説本の引用以外、ぜんぜん読んでなーい!(-_-;)

英語の原書を読むのにえらい時間がかかって、しかもシェアの会でもどんどん遅れをとっているので、全然急ぐ必要はないと頭ではわかっているのだけど、気が急いてテキストそのものを読む心の余裕がないのだ。

しかし、これって…!?ばかみたいだ。私がよくやる「本末転倒」ってやつ。

せっかくのテキスト解説本なのに、テキストそのものを読まずじまいなんてもったいない。

ふうせんさんが引用してくださっていたのがちょうどこの前JTTAで読んだ2章だったので、2章を初めからじっくり読んだ。ワプニック解説のおかげでわかりやすいところもあれば、未だ難しいところもあった。

やっぱりテキスト読まなきゃ(^-^;

深まる“天使”疑惑

それにしても私のなかで深まったのは「ふうせんさん、私にとっての天使(聖霊)疑惑」だ。

前にふうせんさんからいただいたコメントの中で紹介されていた本をたどっていったら、私がその時まさに求めていた情報「ACIMを英語で読むためには①」というMASATOさんのブログ記事に行きついた。

その時、「ふうせんさんて天使みたいだな」と思ったのだった。

今回はテキスト第2章に導かれ、やっぱテキストしっかり読まなきゃな~、に行きついた。

私の中で、ますます深まる“天使説”ლ(╹◡╹ლ) 、ご本人はいやがられるだろうけど。。。

でも、だれにでもこの世でタイムリーにアドバイスをくれたり導いてくれたりする聖霊や天使みたいなひとが存在している気がする。

 

ふうせんさん、勝手なこと書いてすみません。

気づきとインスピレーション(そして癒しを)いただいてます。どうもありがとう。

“ふうせんさんの導きでテキストじっくり読む” への5件のフィードバック

  1. ふうせん より:

    こんばんは(^^;疑惑のふうせんです(笑)

    やはり天使と言われるのは心が落ち着かないので「コース友達」ではどうでしょうか(^^)
    お役に立てたようで、それはとても嬉しいのですが私もtamasonia さんの記事に何度も助けていただいているのです。何度も読み返したり、記事をコピペして、携帯の日記に張り付けたりさせていただいています。苦しい時に読み返すと、本当に心が癒されるのです。

    だからお互い様ですね(^.^)

    そして、共に学ぶ兄弟がいることに何より励まされるのです。「世界はない」事を学ぶ人ってあんまりいませんから(笑)
    私は精神的に引きこもり気味で、奇跡講座を学び始めてから更に疑い深くなってとても苦しい時期があったり、人と関わるのが苦手でした。ですが、一昨年くらいから強烈に「コースを学ぶ友達が欲しい」と思うようになったのです。

    それからJACIM さんのフォーラムや色んな人のブログを見るようになり励まされ、コメントを少しずつするようになり、今では「友達になりたい」と思ったら、何も考えずすぐコメントするようになってしまいました(笑)
    赦しが効を奏したのかな?(笑)

    でも、あまり深く考えずコメントしてしまうから、こないだも「天国から離れて」少しネタバレしてしまった~(>д<)ノと後悔したり、図々しくて嫌われるかもと思ったり…でもそれも赦しに使っています。

    また、長くなっちゃった(^^;
    こんな私ですが、ご迷惑でなければ仲良くしてやって下さい(^o^)

    • tamasonia より:

      ふうせんさん、読んでくださってありがとうございます。
      私こそあとで、調子づいて書きすぎてしまったかな、と思い、コメント拝見しほっとしました。
      “天使疑惑”は落ち着かないですよね、私もだれかから向けられたら、困る(^-^;ほんとすみません。

      「世界はない」事を学ぶ人ってあんまりいませんね(笑)
      こんなこと学ぶとはほんと“想定外”ですよね。
      ふうせんさんの素直で真摯な姿勢は、触れ合う方みんなに自分の中の素直さ、真摯さを呼び起こすきっかけになっているのではと思います。
      コース友達(先輩)として、これからもどうぞよろしくお願いします。
      いつもありがとう(^^)

    • tamasonia より:

      ふうせんさん、

      奇跡講座を学び始めてからとても苦しい時期があったとのこと、この世から奇跡講座の観点への変化に伴う苦しみだったんでしょうか。
      今のふうせんさんからは想像しにくいですね。よかったですね。
      前進したり後退したり留まったり、また前進したり…してみんな進んでいきますね。
      ふと思って、追伸しました。

      • ふうせん より:

        tamasonia さん

        追伸に今気づきました(^^;はい、tamasonia さんが

        奇跡講座を学び始めてからとても苦しい時期があったとのこと、この世から奇跡講座の観点への変化に伴う苦しみだったんでしょうか。

        と書かれていた通りです。最初はただ「求めていたものにやっと出会った」というワクワクした気持ちが、テキストを読み進めるたびに「責められているような気持ち」が強くなる、つまり罪悪感が少しずつ明るみに出されていきました。そしてだんだん本当に自分が肉体ではなく心であり、それが常に自我か聖霊かを選択している事がわかってきました。

        けれどもその時点では、「この世界でのあらゆる特別性」に心が惹き付けられているので、赦しへの抵抗がすごい。しかも、なかなかそれに気づけない(^^;

        自分の目的を「本当にこの夢から目覚めること」ただひとつと決心するまで(結構最近なのですが(^^;)はなかなか苦しかったです。
        本当に「赦しのカリキュラム」202ページに書かれている通りでした。

        けれども結局、聖霊の計画は完璧であり、その苦しさ惨めさから逃れる為に「奇跡講座」を学ぶ意欲は増しました。もちろん抵抗もあるのですが、それも赦しに使えるようになると、とても楽になってきました。

        私もJACIM さんの教材を学び、実践(実験?)しながら「奇跡講座」の教えが間違いなく真実だと経験してきました。(皆さん、きっとそうだと思います)そして赦す度に必ずどんどん深いレベルへと導かれ、赦しへの抵抗が減り、赦しやすくなってきました。

        平安な時が増すにつれ、人間関係も大きく変化しました。そして、自分で性格を変えようとしたのではなく心を変える(自我ではなく聖霊を選ぶ)ことで、性格など色々なことが勝手に変わった気がしています。
        本当に奇跡講座を学ぶ以前の性格とは全然別人のようです(^^;でも、本当にやって良かった「奇跡講座」!
        (万人向けではないけれど(笑))

        まだ学びの途中なので、いっぱい間違っているし、怒ったり動揺することも度々ありますが、それも恐れゆえ、と赦しに使います。(使えるものは何でも使う(^^))

        また、長くなってしまった。tamasonia さんの優しさに甘えて、いつもお長々と邪魔してすみません(^^;

        • タマソニア より:

          ふうせんさん

          丁寧なご返信ありがとうございます。

          「最初はただ「求めていたものにやっと出会った」というワクワクした気持ちが、テキストを読み進めるたびに『責められているような気持ち』が強くなる、つまり罪悪感が少しずつ明るみに出されていきました。そしてだんだん本当に自分が肉体ではなく心であり、それが常に自我か聖霊かを選択している事がわかってきました。

          けれどもその時点では、『この世界でのあらゆる特別性』に心が惹き付けられているので、赦しへの抵抗がすごい。しかも、なかなかそれに気づけない(^^;

          自分の目的を『本当にこの夢から目覚めること』ただひとつと決心するまで(結構最近なのですが(^^;)はなかなか苦しかったです。」

          この心のうごきというか変化というか、、がすごいですね。書いてくださってありがとう。
          時間をかけて学んでこそ体験できる境地なんですね、きっと。

          私はたぶんその道すがらにいます(^-^;
          「『この世界でのあらゆる特別性』に心が惹き付けられて」います…

          この先もどうなるか、わからないけれど。。
          ふうせんさんの真摯な姿勢を学びたいと思いました。
          私、不安や葛藤いっぱいありますが、「心を変える」(聖霊を選ぶ)ことで、自然に変わって流れていくでしょうか。

          心の歩みの体験のおはなし、すごく参考になりました。ありがとうございます。

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