泌尿器科で再び検査

2019-11-14

再検査…やはりビビる

健康診断で「尿潜血」でひっかかり専門医を受診するよう勧められていたが、先延ばししてなかなか行けてなかったこと(10月30日)、で、ようやく行けて検査を受けたこと(11月1日)を書いていた。

今日は再受診の日だった。もう一度尿検査、エコー検査を受け「細胞診」の結果を聞くのだ。

祖母が膀胱がんで亡くなっているし、私自身20代の頃からトイレが近く膀胱炎にもなりやすいから、膀胱系統のことには過敏だった。

私は肉体ではない。私は自由である。私は今も神が創造したままの私なのだから」(W-pⅠ.rⅥIn:3.3-5)の文言が気に入ってワークブック第二部をやりながら、いつもこれを唱えているくせに「病気」「病院」と聞くだけでビビる。からきしダメなのだった。

このゲンジツの世の私の肉体が病もうと病んでなかろうと、私の本質にはまったく関係ない。そう思っていたが、わざわざ罪悪感、恐怖感を肉体に投影する必要もない、とも思った。

前の晩、実際自分が膀胱の重い病気になってしまったイメージをして恐怖感、不安感を前倒しして感じ、そのうえでそれを手放す努力をした。そして、今の私は「神との分離」をリアルにしちゃって肉体に投影しているけれど、本当はひとつなのだ、とイメージした。

ただの「検査」なのに何と大げさなことだろう!

こんな私は、やがて「ちゃんと」死ねるだろうか(肉体が)。

先生の言葉にしばし脱力

検査を終えて待っていると、担当の女医さんの声で呼び出され、診察室に入った。

過活動膀胱の薬もいただいていたので、薬を飲んだ感じや最近の体調を聞かれお話ししたあと、おもむろに先生が、「悪い細胞は見つかりませんでした」ときっぱりおっしゃった。

そうか。

…よかった。

ほっとして脱力。会計を澄ましてからもしばらく動けなかったくらいだ。

ACIMを勉強して頭では少し理解できたつもりでも、やっぱり実践ということになるとメッキが剥がれるものだと実感した。

やっぱり私は自分を肉体だと思っていると知る

過活動膀胱のほうは、いただいた薬がまったく効かず(効くどころか、トイレの回数が増えた)、もう飲まなくていいということになった。

「魔術が効かない身体になったのか?」と思ったが、薬が合わなかっただけだろう。別の薬を出してくれるのかな、と思ったけど、そうでもなかった。

自分がいったい一日何回トイレに行っているのか、ずいぶん平均より多いというのはわかっていたけれど数えたことはなかった。今回トイレに行くたびにメモして回数の表を先生にお見せした。備考欄にはその日にあったことも加えた。

12~23回だった。平均1日17回。人生忙しいわけだ。うち夜間起きていくのが、2、3回。歳を取ったからというのではなく、20代の頃からこのペースでトイレに行っている。

もっとも少ない12回の日は「温泉に浸かりながら感慨にふける」(11月10日)の日で、先生は「温泉が効くのね。これから寒くなるから、また行くといいかもね」と。

最後に「尿潜血のほうは体質かもしれないからまたひっかかると思うけど、定期健診だと思ってまた検査にいらっしゃい」とおっしゃった。

それで、おしまいになった。

なんか気が抜けた。けど、私としてはやはり「よかった」。

温泉をおススメされたのは、体を温めることが大事ってことかな。これももちろん「魔術」だな。

学習しているつもりで、ぜんぜんダメ、自分を肉体だと思っているのがわかったのが、収穫かな。(延々とシモの話をお聞かせしてすみません)

“泌尿器科で再び検査” への4件のフィードバック

  1. ふうせん より:

    tamasonia さん

    おはようございます(^^)
    検査の結果が異常なしで何よりです。
    病気についての赦しは私もtamasonia さんと同じように大きな恐れが出てきます。けれどもこれは奇跡講座を学んできて無意識の層を掘り起こしているからこそ、より恐れに敏感になっているということではないでしょうか。

    テキストの第二章Ⅲ4.6-7
    そして、心は、遅延は不必要な苦痛を増すだけだと理解し、次第に遅延を許容できなくなる。その結果、以前ならごく些細な不快感の侵入と見なしたはずの事柄に対しても、心はますます敏感になっていく。

    と、ありますし(^^;だから私もガン検診などは大きな赦しの機会になっています。本当に異常なほど鼓動は早くなるし(笑)でもそれだけ無意識の罪悪感を癒せているということでもありますよね、きっと。
    「ぜんぜんダメ」なんてことは全くなくて、tamasonia さんが「自分を肉体だと思っているのがわかった」というところが本当に重要なところなのだから、聖霊は「よく観察できたね」と喜んでくれていると思います(^^)

    すみません、長くなって(^^;
    それでは、また♪

    • tamasonia より:

      ふうせんさ~ん

      気にかけてくれてありがとうございます!

      「奇跡講座を学んできて無意識の層を掘り起こしているからこそ、より恐れに敏感になっているということではないでしょうか。」
      …たしかに!そうですね!
      勉強をすると「恐い」ことが増える気がするけど、赦しのテーマを見つけているってことなんですね。

      テキストの第二章Ⅲ4.6-7のフレーズ、腑に落ちました。ぴったりの箇所、教えてくださってありがとうございます。
      もう少し咀嚼したあとにこのフレーズやふうせんさんのコメントもできれば記事にしてみたいです。(できるかもわからないけど、しちゃってもいいですか?)

      • ふうせん より:

        tamasonia さん

        私の拙いコメントで良ければどうぞ使ってくださいませ(^^;
        本当に赦しを実践して行くと、ちょっとした動揺にものすごく敏感になって非常に苦しい時がありますね(*_*)

        奇跡講座を学ぶ人のブログやフォーラムなど読むと、そこはみんな同じなのだなぁと思います。
        そして、今は全ての人が同じ苦しみを持っているのだとだんだん感じるようにもなってきました。

        そんな時、奇跡講座を学ぶことができて本当に良かったと思います(^^)

        tamasonia さんとも奇跡講座を通じてお知り合いになれてとても嬉しいのです(о´∀`о)
        これからもよろしくお願いします♪

        • tamasonia より:

          ふうせんさん、おはようございます(いま朝)
          直ぐにご返信くださってありがとうございます!
          どう書けるかまだわからないけど、まずテキストのその部分を読んで感じてみます。了承くださってありがとうございます。

          「全ての人が同じ苦しみを持っているのだとだんだん感じるようにもなってきました。」
          …そうなのですね、不思議な感覚、みんな一緒なんですね~

          みんな自分の直感と導きを手掛かりにACIMの道を歩んでいるんですね。なんかうれしいですね。
          私も、その一員でうれしいです。
          これからもどうぞよろしくお願いいたします♪

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