ACIMワークブック300-ほんの一瞬しか世界は存続しない。

2019-11-01

ほんの一瞬しか世界は存続しない

この概念は、次のような考え方を表すために使われることもある。『死と悲しみが、ここにくる者たち皆の確実な運命である。なぜなら、喜びは、所有するどころか、手でつかむことすらできないうちに去りゆくものだからである』。

しかしこれはまた、偽りの知覚に私たちを支配させず、常しえに晴朗な天空をよぎる一片の雲以上の意味をもたせないようにする概念でもある。

そしてこの曇りなく明らかで確かな晴朗さを、私たちは今日探し求める。」(W-pⅡ.300:1)

あなたの愛し子である私たちは、少しの間、道に迷っていました。しかし私たちはあなたの声に耳を傾け、天国と私たちの真のアイデンティティーを取り戻すためには何をすべきかをはっきりと学びました。だから今日、世界が一瞬の間しか存続しないことに感謝します。」(W-pⅡ.300:2-2-4)

この世で「喜びは、所有するどころか、手でつかむことすらできないうちに去りゆくもの」か…。

若い頃は、この世を舞台としてその舞台でどうやったら自らを輝かせるか、に気を取られていた。出会うべき運命の人や“天職”に期待し、夢を実現することに思いを馳せ、人生ってすばらしい…と。女性誌やバブルという時代に“洗脳”されてたかな。

40代を迎えた頃から(山を登っていたつもりが気づくと下山していたかのように)世の中の見え方が変わってきて、50代に入ると昔憧れ輝いていたものや人の姿が変わり果てているのを目の当たりにし、いつの世だって“諸行無常、盛者必衰”は変わらないのだな~と腑に落ちた。

しかし、それでもこの世も、我が身も同時代に生きる人々も愛しい。

まだまだ「今日、世界が一瞬の間しか存続しないことに感謝します。」という心境にはほど遠いなぁ。

先延ばししていた病院受診、やっと行けた

昨日、1ヶ月半先延ばしにしていた泌尿器科受診やっと行けた。

私は10年以上前から健康診断で「尿潜血」を指摘されていたが、病気でなくてもそういう体質の人はいるそうでこれまでずっと「経過観察」で来た。が、今回は潜血度合いが強いということで「要医療」となったのだ。

尿検査とエコー検査をした。またばかみたいにキンチョーした。ただの検査なのにビビりすぎと自分でも呆れた。浮かんでくる不安を「これはエゴが見せている幻想なのだから」と必死で手放した。

結果はまだ不明。次回再びエコー検査をするとか。

この世での出来事はどうだろうと実相では何も変わらないのだからどちらでもいいはずだけど、やっぱり大事に至らないといいな、と思ってしまう。

健康ってやっぱり大事、この世で動けるのは健康あってのこと、健康はありがたいことだと感じた。この「ありがたい」というのは文字通り、「有り難い」=あたりまえじゃないんだな~という気持ちだ。

病気…、神の子キリストの完璧さという実相に対抗するために心が行う防衛、、を私があらたにでっちあげることがありませんように。

診察してくださった女医さんは、勝手なイメージながら「スポーツが得意そう。バレーボールとか合うんじゃ」という感じだった。私の話を聞きながら、猛スピードでパソコンのキーボードを打ち込んでいく。合理的で仕事ができそうな方だった。

やっぱり女医さんのほうが断然気持ちが楽だ、と感じた。

病院には、看護師さん、受付の方、介護士さん等様々な方皆がきびきびと仕事をしておられた。頭が下がる思いがした。大勢の方の「仕事・サービス」によって自分が生きていられるのだと改めて感じた。

患者さんのほうは、車いすの方、高齢の方とそのご家族、母親とお子さんなどなど、様々。こちらもいろんな人がいた。

私は、社会で何らの仕事をしていないことを恥じる気持ちになった(これも、罪悪感なのだから赦しの対象なのだろう)。

この世の幻想性を前提としながら、まぎれもなくこの世で生きる、その生き方がよくわからない。

こんな悠長なことを言っているのは、余裕があり恵まれている証拠だ。

「ほんの一瞬しか存続しない」その世界に強い愛着があり、生きたい、と思う。もっともっと。

これはエゴの執着かな、それともこの自分の思いの延長がいずれ永遠の平和にも通じたりするだろうか。

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