2019-09-19
「いま」を見ることが、心理学でも仏教でも、しあわせの秘訣!?
「私の現在の幸福が、私の見るすべてである。」(レッスン290)
これは、「今日、私が兄弟の過去を忘れることができますように。」(レッスン288)、「過去は終わっている。それが私に触れることはできない。」(レッスン289)に続く“過去手放しシリーズ”のまとめかな?
昔、産業カウンセラー講座を受けているとき、テキストに「過去と自分は変えられない。自分と未来は変えられる。」と書いてあって、それが何だか印象的だった。カナダの有名な精神科医エリック・バーン氏の言葉なのだとか。
過去を悔やんだり恨んだりすることなく、いまここを生きよ、というメッセージだろう。今ここの自分の見方が変われば、過去の意味づけだって変えられる。
今朝テレビの情報番組で、「寺の“攻めた”標語」というプチ特集をやってた。片づけをしながら耳を傾けていると、お寺も“差別化”やSNSでの“広告宣伝効果”を狙ってか、ユニークな標語を掲げるところが増えているとかいう話題のようだった。
たとえとして、
「過去からログオフ、現在にログイン、これぞ仏道」…と。
おもしろいな、とついメモした。「いま」に気持ちを向けることは、ACIMならずとも心理学、仏教でも共通なのだ。
お寺標語宣伝の“効用”、私にも波及してた
…と、改めてテレビ画面を見たら、
あ!このお寺見たことある。覚えてる。
そうそう。4月勢いでゲイリー&シンディ・レナード夫妻の東京ワークショップに参加した後、にわかに京都のにも行きたくなって、行った。その京都ワークショップ当日朝、ホテルからバスで会場へ。バス停から会場に向かう小路の右手にあったお寺だ!
記憶力の悪い私がなんで覚えていたかと言えば、その時のお寺前の標語が「言い得て妙だな」と思ってスマホ写真に収めていたから。といっても、ツイッターもインスタもやらない私は、どこにも拡散しなかったのだけど。
どんな標語だったっけ?と改めて自分のスマホ写真をさかのぼる。
あった!
「いがみ合うなら
地獄
拝み合うなら
極楽」
なるほど。短く真髄を突いているな。(すごい、ここで日の目を見るとは)
私はこれを見て、ACIMに通じるなぁ、と思ったのだった。
「自我を選ぶなら
地獄
聖霊にゆだねるなら
天国」
って、ACIMならこんな感じかな?
あるいは
「このままならいずれ
地獄
しかし赦せば
天国」か。(お寺のほうが語呂がいいな)
いまの幸せは…
さてさて、やはりすべては「いま」にかかっているようだ。
「存在していないものに私が目を向けない限り、現在の幸福が、私に見えるすべてである。」(W-pⅡ.290.1:1)
「私が自分で作り出した情景に対して神から与えられている訂正を介さずに知覚するものは、見るも恐ろしく苦痛に満ちている。しかしもはや、自分の作り出した夢が実在するという信念により自分の心が欺かれることを、一瞬でも容認するつもりはない。」(W-pⅡ.290.1:4-5)
「今日、私は現在の幸福を追求し、自分が求めているもの以外には何も見ない。」(W-pⅡ.290.1:6)
今日はいまだけを見ることができますように。いまの幸せに感謝できますように。