色えんぴつ画を額装に出し、故郷へ

2019-08-13

来週の色えんぴつ画展に向けて絵を描く

ここ一週間色えんぴつ画を描いてた。

来週、教わっている先生主催の色えんぴつ画展があってそれに出品するためだ。

先生の生徒さん、独立してプロになった方など総勢160名が出展するらしい。

私たち生徒は1人2枚まで。プロの方は出展枚数も多いので、総数360枚以上の色えんぴつ画が展示される。

それだけの絵が揃うと圧巻だ。

抽象画はほとんどなくて何を描いているのか見てわかりやすい絵ばかり。

同じ風景画でも描く対象や切り取り方が違うし、ずっと食べ物シリーズを描かれる方や猫を題材にされている方、昆虫に特化した方など、それぞれテーマとして取り上げられたものを見て、

この人なんでこれ描きたかったのかな?

と想像して見るのが楽しい。

絵って、結局風景画を写実的に描いたとしても、描き手の心象風景を白い紙に投影したものだから、絵から描き手を想うのだ。この世にはいろんな人がいる。私はその「個性」みたいなものに惹かれる。

そしてこの世で見るものすべてが投影だとしたら、どの絵だって私の心象風景でもある。

なぜ描くのかがわからない

見るのは楽しいけれど、描くのは結構むずかしい。

私は確たる意志がなくてなんとなく月1回習う位いいかな?と始めたから、うまくもなくプロとかを志すわけでもない絵をなんで描く必要があるのだろう、といつも考えてしまう。

自分から習いに行って教えていただいているのに、失礼な話だ。

先生はみんなの個性を伸ばすべく、いつもいいところを引き出そうとしてくださる。

私はといえば、自分が撮った写真を見ながらそれらしく写しているけど、どうも思うようにならず時間ばかりかかって、うんざりしてしまう。

写実性なら写真にかなうはずがない。

写実性じゃないとしたら、何をめざすべきなのかな。

わざわざ絵を描くってなぁに?

そもそも、いったいこれは私がやるべきことなのか。

…と考えてしまう。

それでもリビングには去年自分が描いたとやまの風景画が飾ってある。見ると故郷を思い出し癒される。

それで十分いいのかもしれないけど。

故郷へ帰省

絵は、これでOKと思えるようにはならなかったけど、今日世界堂さんに額装をお願いして、実家に帰省した。

久しぶり母と二人の夕ご飯。

母のグチに反応しないようにスルーするけど、ざわざわする。

とやまは無意識に収まっていたはずのいろんな感情がうずいて騒ぐところ。

たくみなエゴの挑発に、

はやくも、

あったかもしれない別の人生に思いをはせたり、

腰がさらに曲がった母に(ふだん放っておいてと)申し訳なさを感じたり、

いつまで元気でいてくれるか不安に感じたり、

…した。

とやまでは、奇跡講座で学んだことも霞がかかったようにぼんやりしてしまう。

母が濃いからな~

そして私は、もうシニアだというのにいつまでも子ども時代に固着していて精神年齢が止まったまんまだから。

は~

そういうこともすべて幻想なんだねぇ。

ここにいる間、私が真理を思い出し聖霊さんのことばに耳を傾けることができますように。

お母さんに愛と感謝だけをささげられますように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る