『Journey through the Text of ACIM』①-難しいのは、テキストの聖霊語か、英語のワプニック解説本か

2019-06-27

なおざりにしていたテキストを手に取るきっかけに

仲間と一緒に読んでいくことになったワプニックさん著『Journey through the Text of A Course in Miracle』…サーバーのお引っ越しで明日から一週間くらいブログはお休みすることになったから、ここ1ヶ月の雑感を書いておきたいと思う。

ったって、進んだのはわずか5pだけど。しかも序文や用語解説っぽいところは抜かしていきなり本文に入った。

これは私の英語力が足りないからまともにやったのでは次回のミーティングまでに本文にすら入れないと逸る気持ちがあったから。仲間と比べても意味ないのだけど、、、まったくもってエゴ的だ。

これまでテキストは一度目を通しただけ。ワークを始めてからはそれだけで忙しくテキストに意識が向かなかった。

私のワークブックは数か所ページが外れ(買ったその日に数ページ取れた、参考:2017年7月6日の日記)、もうボロボロ。一方テキストはほぼ新品状態!)これだけでもいかにテキストを見てないかがわかる。

今回ワプニックさんの『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』を読み合わせていくことになってテキストに注目せざるを得なくなった。ありがたい機会だ。

学習仲間は、「(JTTAは)英語ではあるけど、聖霊語で書かれていて理解しにくいテキストを人間の言葉に訳してあるから、その分理解しやすいはずだよ」と言ってくれた。

はたして―私にとってより難しいのは、聖霊語か、英語か(日本語訳のテキストか、英語のままのワプニック解説本か)―

ACIMテキスト、聖霊語の難しさ

テキストは、第1章でいきなり「奇跡に難しさの序列はない。」とかましてくる。

はぁ?

…さぁ勉強するぞと初めて意気込んでページを開いてもたぶんこうなる。

そして「すべての奇跡は生命を意味する。」や「奇跡とは習慣である。」「奇跡は交換の一種である。」と奇跡についていろいろと説明がされているけれど、頭の中にいっぱい「?」が残るだろう。

やっぱり私たちが社会の中で普通に説明する方法とはまったく違う。。

・まず「奇跡とは何か」という説明がないまま始まる。ワプニックさんも言っておられるが、普通「奇跡」というと、水の上を歩いたり難病がたちまち治ったりというような“奇跡的な”ことをイメージする。

が、『奇跡講座』での「奇跡」は幻想から真実へと目覚めること、肉体から心のレベルへとものの見方を転換することの意味で使われていて、何かアクションを起こすことではない。

「奇跡講座」としては「奇跡」が最重要概念で最初に来るのかもしれないけど、それにしても、、やっぱり難しい。

・また、テキストは奇跡の前提として「世界は存在しない」という点には触れられていない。それがあれば(受け入れやすい事実ではないけれども)もう少しわかりやすいかも。

ワプニック解説本では、「はっきり言えば、外部などというものはありません。ワークブックで『世界は存在しない!これがコースが教えようとしている中心概念である。』(W-pⅠ.132.6:2-3)と学んでいるとおりです。(訳はやや適当)」(第1巻22p)といった引用もされていて、テキスト、ワークブック、マニュアルを横断的にピックアップして説明してくれているのが、勉強になる。

・さらに「投影」についての説明がないこと。否認と投影は奇跡講座のなかであえて説明がなされてはいないけれど、この思考体系を理解する上で欠かせないと思う。

そうした点を身近な例をあげながら補って私たちに浸透していくようにしてくれているのが、ワプニック解説本の人間的な親切な点と言えるのかもしれない。

あ゛気づいたら聖霊語への不満を並べてしまったか。。(聖霊語は人間にとっては一見わかりにくいけどだからこそ美しいと感じる。。(;^_^ )

それではワプニック解説本は…私にとっては

だけど、ワプニック解説本JTTA(略した)が、わかりやすいかと言えばそうとも言えない。少なくともまだ。

何といっても英語、、、数行の意味を取るのでさえ時間がかかるし、時間をかけても“正解”が手元にない心もとなさ。

それを除いても、、まだワプニックさんの説明の仕方になれないせいか、すっきり「わかる~」とまではいかない。

そしてこれは私固有の“問題”かもしれないが、私はACIMとACIMに出会ったきっかけである『神の使者』シリーズは「事実」として受け入れるが、それ以外のACIM関連本は著名な先生が書かれたものであっても個人の「意見」として自分の「引き出し」に収めるのだ。

だから、ワプニックさんの解説であっても「そっかー!」とまでならない。「そういう見方ができる」という受け止め方なのだ。私はすごく頭の悪い生意気者なんだろうか。それともエゴの抵抗がはたらくんだろうか。。。

「意見」が多くなると収拾がつかなくなるから、いろんな先生方の解釈を求めるのは止めておこうと思う。細かい点で解釈が違う部分が見えてきて迷うから。

ACIM、ゲイリーさん、これまでワークブックを読む助けとなった大畑学さん、ワプニックさんで十二分だ。すべてを学ぶことはできないと思うし。勉強はしても赦しの実践は進んでないし( ̄ー ̄;

あ゛…御託を並べて肝心のワプニック解説本JTTAの中身について感じたことまでは書けず。。

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