夏の兆しの表参道と経過観察

2019-05-30

夏の兆しの表参道

昨日は、自分が患っている甲状腺腫瘍の定期診察に行った。

半年ぶり。ブログ内検索してみたら、半年前の診察時もそのことをブログに書いていた(2018年11月29日)

通っている病院は表参道にある。

久しぶりの表参道は新緑が美しく、風が気持ちよかった。細身の女性が薄手のスカートをひらひらさせて歩いているのが目に眩しかった。

Appleにはたくさんのお客さんがいて店員さんは深緑色のおそろいのTシャツできびきびと接客している。

街全体が若くおしゃれに見えた。

また夏がくる…

経過観察、変化なし、安堵

病院は常に非常に混んでいて、血液検査、エコー検査を済ますまでに1時間、それから医師の診察を受けるまでに2~3時間くらいはかかる。

いつもはカフェで読書でもして待つのだけど(人数からだいたいの時間がわかる)、いつもよりは空いていたから郵便局に行っただけで院内で待った。

2010年に右側に良性腫瘍、2014年から左側に悪性腫瘍を見つけてからずっと経過観察をしている。手術を勧められたけれど手術するなら全摘になるそうで、それは避けてずっと様子見だけしている。

私たちは肉体ではない」とはACIMの中核概念だ。「5.肉体とは何か」でも、「肉体とは、神の子が自らの自己のいくつもの断片をそれぞれ切り離しておくために、自分で築いたと思い込んでいる囲いである。」(W-pⅡ.5-1:1)「肉体は夢の一つである。」(W-pⅡ.5-3:1)と、改めて教えられているがやはり検査は緊張する。

元々私はエゴが強いほうだし極端なビビりなのだ。

受付から2時間、キンチョ‐しながら診察ブースに入ったとき、主治医の先生の頭が灰色になっているのに気づいた。

あれっ、若かった先生歳を取っている。

あたりまえだ、自分も歳をとったのだから。えらく長く…観察している。

一緒に画像を見て、「大きさ、誤差の範囲だね」と確認しておしまい。肺にガラス状の陰影があるので「念のため今回もCTを撮っていって」とCT検査を受けた。

結果が届くのは一週間後だけど、まず大丈夫だろう。

時間という幻想が与えられていることに大いに感謝…よかった。

病院から出ると街は夕暮れ。どこかしら表参道っぽいところに立ち寄って一息つきたいと思ったけど、キンチョ‐が解けて疲れがどっとやってきてまっすぐ帰った。

病気という防衛とのつきあいかた

帰宅後ローソンのロールケーキとコーヒーで一息ついた。

これまで病気を積極的に治そうと思ったことはなかった。痛みもないしこのまんまずっといられたらそれでいい、と。

病気は偶発的なものではない。すべての防衛と同じように、病気も自己欺瞞のための狂気のしくみである。」(W-pⅠ.136-2:1,2)

そしてほかのすべての防衛の場合と同じく、病気の目的は実相を隠し、攻撃し、変化させ、無能にし、ゆがめ、捻じ曲げ、まとまりのない断片の寄せ集めへと貶めることにある。」(W-pⅠ.136-2:3)

それは、あなたが自分で下す選択であり、自分で立てる計画である。幻惑されているあなたの心の中で一瞬でも真理が思い出され、あなたの世界全体が揺さぶられて崩れ始めるように見えるその瞬間に、あなたが選ぶのがその計画である。」(W-pⅠ.136-7:3)」

でも、レッスン136「病気は真理に対抗する防衛である。」を改めて読んだら、(できるなら)もう手放してもいいかも、と思った。

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