ACIMレッスン242-今日一日は神のものである。私はこの日を神への贈り物とする。

2019-02-14

バレンタインデー

バレンタインデー…愛する男性へチョコをというのは残念ながらできないけど、ちょうど母の誕生日。

で、毎年母にチョコレートを送っている。

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一緒に洋服を送ったりしていたが、色やデザインが好みに合わないことが続き、2年前ついに「今後一切断じて服送るべらかず」というお達しが出た。

正座するのがきついと言い出したので正座用椅子を送ったら、「余計なことを」とひどく叱られたこともある。

母は正直だから、要らないものは要らないと言う。他の方への贈り物でも「合う」ことは少なくて、きっと私は「余計なもの」を贈っているんだろうなぁ。

今回はまだ北陸は寒さが続くだろうから、レッグウォーマーを添えた。これだったらミスマッチだとしてもダメージは少なそうだ。

ちゃんと届いたらしい。夕方母から、

「おいしいチョコレートありがとう。最近松山千春のCD(前に私が送った)をよく聞きます。今も聞いています。」とメールが来た。

「苦情」覚悟だったから、ほっとした。

ACIMワーク242‐今日一日は神のものである。私はこの日を神への贈り物とする。

私は世界を理解していないのだから、自分ひとりで生きようとすることは愚かである。

しかし、私にとって最善なることを知っている聖霊がある。

そして聖霊は、私のために喜んで、神へと導く選択だけをしてくれる。

私は帰還の時を遅らせたくないので、この日を聖霊に捧げる。

聖霊こそが神への道を知っているからである。」(L242-1-2,3,4,5)

そのとおり、と思う。

問題は、

(自分なりの方法で)ワークがちゃんとできているのか、

聖霊の声がちゃんとキャッチできているのか、

だけど、これも深追いして考えないことにした。

稼げてないことへの不安感、恐怖感、自己否定感がずっとあるけど、これも今しばし棚上げしようと思う。

気づけばすぐゲンジツに巻き込まれ、ザワザワしたりパニクったり、あるいは被害者になったりしているけれど、これも「作っているのは私だ」と思い出すことを心がけている。

日中はすっかり忘れているけれど、思い出した時に「そうだった」と思い返す。

なるたけ聖霊さんのしごとの邪魔にならないようにしたいけど、そういう舌の根も乾かないうちにまた邪魔してしまいそうだ。

私は恵まれている。感謝しよう。

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