2018-10-20
メロン色のネグリジェ
おととい会った友人が、引っ越し祝いとしてネグリジェをプレゼントしてくれた。
さっそく昨日着て寝たら、ガーゼ地が軽くてやわらかくて着心地満点だった。
初見では、えっ、寝る時に蛍光色!?と思ったけど、メロン色。。。かわいい。
友人によると「若葉色」で、私のイメージカラーなのだとか。
そういえば、母にも幼い頃から「あんたは緑色が似合う」と言われ続けていたっけ。その緑はオリーブグリーンだった。
私、みどり??二人だけの統計では精度は低いけど。
黄色みがかったグリーン。平和でニュートラルでいい。
ちなみに好きな色はマゼンタ(ピンクに紫を混ぜたような色)。女性的で華やかな色。
自分の顔色に似合わないのは知ってる(^_^;)
レッスン216―レッスン196の復習
「(レッスン196)私が十字架にかけることのできる相手は、私自身だけである。」
攻撃というのは(誰に何に向かってする場合でも)実のところは、自分に向けられている。
私たちが他者を攻撃する時、その根底にあるのは、神への恐れである。
神は罪ある者を罰する、だから神から自ら離れた罪ある者が罰せられるべきだと考えているのだ。
その恐れが、他者に投影され、批判や攻撃につながる。
しかし、神には一切罰するという観念はない。根拠もない。
神はいっさい関知しない。
神はただ在る。
「他人を攻撃することで自分自身を救いだせるというわびしく絶望的な考えが、あなたを十字架に釘づけにしてきたのである。」(L196-5-1)
「それは救済のように見えたかもしれない。しかしそれは、神に対する恐れが実在するという信念を表していただけである。」(L196-5-2,3)
批判している時、実は自分を責めている
世の中には間違ったように見えることや、理不尽なことが蔓延している(ように見える)。
そして世界は様々な問題をクリアしながら成長している(ように思える)。
その中で生きる私には、批判ぐせがついている。無意識に、悪いところや欠けたところに目が行ってしまう。
テレビでも新しい“スケープゴート”が現れると、一斉に非難の矛先を向ける。
だれかの“悪事”を裁いている時は、正義感も感じて少しの間いい気分でいられるし、つい同調してしまう。
でも、その批判や攻撃が実は自分に向けられているとは!!
他者を攻撃したり非難したい気持ちが湧いた時、この心理メカニズムを思い出すことができて、「私は自分を罰したいのだ、これは誤解だ、必要ない」と気持ちを手放せたら、一歩、愛に近づける。
赦しとは“キャッチ&リリース”
けど、至難の業だな~、とも感じている。
だって、実際に ことは起こっていて、この巻き込まれたトラブルをいかに切り抜けるかという現実感でいっぱいになっているから。
無意識から、批判や非難といったネガティブな気持ちが起こってきた時こそが、投影の引きもどしのチャンスだ。
赦しは、釣りでよく使われる“キャッチ&リリース”という言葉が合うと思った。
キャッチ(認識)し、
リリース(手放す)。
なんかいつも同じこと書いている気がするけど、
赦しに向けて、
今日の一日なるだけ遠くに行こう。