2018-10-08
10月二度目の、夏日の再来
世間は三連休ー。
一昨日は友人とランチ、昨日はパソコン(CSS)の講座で、両日とも1時間半くらい歩いたら、帰宅後はバテバテで動けず。
夏バテの再来?
それも仕方ない、昨日は10月の最多に並ぶ、二度目の真夏日だったたらしい。10月に真夏日、三回あったことはまだないというけど…、また暑さの記録、更新なるか。
書きたいことを書いていると、ワークのダイアリーが進まなくてワーク日と日記に乖離が…^_^;
ワークのダイアリーは、最初は、その時に実際感じたことを掘り下げて書きたいと思っていたけど、実際にはなかなか…。
渦中にいる時は「書けなくなる」、というのがわかった。
まとめにもならない記録しかできないけど、それでも自分にとっては足取りのパン屑だよな~と思う。
レッスン213―レッスン193の復習
「(レッスン193)すべてのものごとは、神が私に学ばせようとするレッスンである。」
神の世界には、「赦し」はない。
赦すべきことなど何一つないから、神は赦しとは無縁だ。
神の子である私たちも、本来そういうところにある。
ただ、私たちが今見ているものはそうではない。
宇宙という催眠術にかかった私たちは、本来とは異なるものを目にして、そこでやりこなすルールを見つけて、頑張っている。
でも、残念なことに、頑張っても、最終的に報われない。
この宇宙と、そこで私たちが作ってきた成功のルールは、そもそもまやかしなのだから。
この世界は「結果」にすぎず、「原因と結果の法則」はこの世で動作するものではない。カルマは今世に留まらず、過去から未来へ引き継がれるし、そもそも過去も未来も錯覚にすぎない。
罪をリアルにしているなら、加害と被害のループを繰り返すだけだ。
この世界と宇宙という催眠術から覚めなくては…。
私は赦す。だから、これは消えていく。
そこで、レッスン193のワークだ。
そもそもの催眠術からめざめる魔法のことば。
「赦しなさい。そうすれば、あなたはこれを違った見方で見るだろう。」(L193-3-7)
「私は赦す。だから、これは消えていく。」(L193-13-3)
これは、ACIMのエッセンスを具体的に伝えている言葉だと思う。
とくに「私は赦す。だから、これは消えていく。(I will forgive, and this will disappear.)」は、ゲンジツにパニックになっている時に思い出せたら、正気に帰るフックになるかもしれない。
赦すべき想念が自分の内にがあれば、この世にかたちとなって現れる。
それは、この世の必然だ。
本来ないはずのものを見ているならば、それには訂正が必要なのだから。
そういう意味で、「すべてのものごとは、神が私に学ばせようとするレッスンである。」というのはそのとおりだ。
赦すべきことが起こった時は、真実を教えるACIMの思考体系そのものが、うさんくさく感じられる。
「こんなふうになっているのだから、自分が正しい」と思いたくなる。
ACIMを学んでいるつもりでも、数日離れただけで、この世のリアル度が増す。
これから先ACIMにずっと触れていられるかわからない。
大事だと思うことも、ぼろぼろ忘れていく。
この短いおまじない「私は赦す。だから、これは消えていく。(I will forgive, and this will disappear.)」は、自分の心に刻み込んでおきたいと思う。