2018-09-24
えー、もう年賀状!?
暑さ寒さも彼岸までというけれど、あの猛暑の日々が遠くなり、朝は肌寒く感じることも。
お盆に帰省した時、母から来年の年賀状を作ってほしいと言われた。
「このくそ暑いのに?もー年賀状!?」とのけぞった。
何でも去年私が母用に作ったのが派手派手しくて好きじゃなかったらしい。ぎりぎりになってからでは落ち着かないと言う。
スル―していたけど数日前また電話で年賀状のことを話していたので、昔ながらの絵柄のをデザイン案を2パターン作り官製はがきに印刷して出してきた(ほんとはイノシシのイラストがいいんだろうけど、母のいう昔ながらのが見つけられなかった)。
郵便屋さんは「謹賀新年」の文字を見て、何事かと思ったかな?いちいちそんな反応しないか。
母は昔からいわゆる仕事ができるタイプで、何でも前倒しで片づける。大事なことでも先延ばしして現実逃避しがちな私とは対極だ。
平成31年ー平成最後の年賀状。
平成の次の元号の時代には、年賀状なんてものが消えているかもしれない。わざわざ紙で挨拶ってー、と。
母にはそんなに生き急がないで、と言いたい。
レッスン209―レッスン189の復習
「(レッスン189)私は今、自分の中に神の愛を感じる。」
私たちには、幻想を通り越した心の内に、神の愛を宿している。
しかし、それは大概この世の暮らしでは忘れられている。
神の愛は、この世を愛で照らす光である。
この光を通して見れば、世界は愛で溢れたものとなるが、この光が感じられなければ、この世は攻撃や憎悪に満ちたものに見える。
「あなたは何を見たいだろう。その選択はあなたに与えられている。だから、「人は自らの内に感じているものを見ることになる」という知覚の法則を学び、自分の心にそれを忘れさせてはならない。」(L189-5-1,2,3)
そして、レッスン189では、その内なる愛に到達しようと努める。愛と愛がもたらす視覚を感じようとする。
その方法は、「あなたの心が、真実だとか偽りだとか、よいとか悪いとか思っているすべてのもの、価値があると判断する想念、あるいは恥じているすべての概念を取り去り、あなたの心を空にしなさい。」(L189-7-2)
「求めなさい。そして、受け取りなさい。しかし神にあれこれと要求してはならない。」(L189-8-5)
わからなくていい、心を空にする、受けとる
私はこの世を幻想と見ることには熱心だったけれど、愛する、愛の目で見る、愛を運ぶ、といった点についてはあまり意識を向けてこなかった。
私には「愛」という抽象名詞が遠い。好きだ、優しい、あったかい、愛おしい、はまだなじみがあるけど。
つまりは、愛がわからない。
でも、「あなたへの道を知っているのは神のほうではないだろうか。あなたが神への道を知っている必要はない。」(L189-8-1,2)という。だから、ただ、心を空にして自分で自分の邪魔をせずに、求めよう。
「神に至る道はただ神を神のままに在らせることである。そのようにしてあなたの実相も宣言されるからである。」(L189-8-7,8)
心を空にする、秋。
これが難しいんだな~、つい過去を振りかえったり四の五の分析したくなっている。