2018-09-21
「なぞの出荷メール」のその後
おととい来た「身に覚えのない、なぞの出荷メール」の「お荷物追跡番号」にはリンクが付いていた。
知らない所からのメールのそういうのは押しちゃいけない、と思ったけれど、実存する配送業者名のようだしどうにも気になって今朝iphonからポチっと押してみた。
実際の荷物の追跡ページに飛んだ。そして、
「Delivered(配達済み)」と。
えっ、配達済み?いつ?
てか、どこに??
配達時間は、September 20,2018 at 3:03pm
お届け先には、NEW YORKという表記と番地が…。
「Tracing History」には、日本の宅配業者と同様、出発地の場所と時間と営業所など途中の経由地の発着も記載してある。
よくわからないけれど、荷物は無事配送されたらしい。
? ? ?
私は手配した記憶がないのだから、誰かが私のメールアドレスで手配して、カリフォルニア州のビスタというところにある会社からニューヨークへ何かを送った、らしい。
(・・?
ぶきみだ。
でも、深追いしないことにしよう。
これからも送られてくるようだったら、その時に考えよう。
レッスン208―レッスン188の復習
「(レッスン188)神の平安は今、私の中に輝いている。」
…でしょうね。
その神の平安は記憶から遠くて、かすかに細ーいクモの糸みたいなものでつながっているかいないかくらいの、心もとなさだ。
それでも、私が『奇跡講座』に惹かれたのは、それが真実だと感じたからだ。
この世の中は不合理なことや無意味に見えることばかりだったけれど、『神の使者』や『奇跡講座』を知って、それが言うことを受け入れると、スッキリパズルのピースが嵌る。
たぶん、そうなんだろうと思う。腑に落ちる、という感覚。
「悟りとは認識にほかならず、変化のことなどではない。」(L188-1-4)
これもそうか、と頷ける。
ただ、その認識がとっても難しいんだよなぁ。
いっくら、この世も自分の体も幻想だって言っても、空気も水もまた幻想で、そういうものがここに自分としている間、やっぱり要るし。
お腹だってすくし、痛いのやだし。
その認識の変化には、うんと真剣な長い訓練がいるのだ。
訓練の間には、エゴがガタつき大騒ぎする。
今は、その両方の間を行ったり来たりしている感じなのかな?
というより、どうひいき目に見ても、圧倒的にエゴがまだ優勢、ほぼエゴに牛耳られている。
それでもACIM的なものから離れるとフェイドアウトしてまったく忘れてしまうから、離れないようにすることをやっている。
昔、羊毛ボウルを作るというワークショップに出たとき、ボウルの芯になる部分をしっかり作るのがコツと聞いた。
それを思い出す。
今世は芯づくりだけで終わっちゃうかもしれないな。
「彼は自分の中の真理を認識したからこそ赦すのである。神の平安は、今あなたの中に、そして生きとし生けるものの中に輝く。静けさの中でそれはあらゆるところに認められる。あなたの内なる視覚が眺めるものが、すなわちあなたの宇宙についての知覚だからである。」(L188-5-4,5,6)
いつか、こういう視覚を手に入れて、この世を眺めてみたい。
「神の平安は今、私の中に輝いている。
その平安の中で、すべてが私を照らしますように。
私が自分の内なる光により一切を祝福できますように。」(L188-10-6,7)