2018-09-14
攻撃を感謝で交した大坂なおみさんって、すごいな
テニスの全米オープン女子シングルスで優勝した大坂なおみさんが、帰国された(いつもはどこに住んでおられるんだろ?帰国でいいのかな?)。
一躍時の人になって大人気だ。
日本人(だけじゃないだろうけど)の心の刺さるのは、やっぱり決勝でセリーナ・ウィリアムズさんに勝った後のコメントだ。
「I know that everyone was cheering for her and I’m sorry it had to end like this…..
I just wanna say thank you for watching the match. Thank you.
(みんながセリーナを応援していたことは知ってます。こんな終わり方ですみません。ただ、試合を見てくださって、ありがとうございます。)」
あれだけ大きな会場で大勢の人の不満(攻撃性)が渦巻くなか、そのフックには引っかかることなく、感謝だけを述べられた。
その対応にふいを突かれ、瞬間みな正気を取り戻した気がする。振りかざされた剣は下ろされた。
なかなかできることじゃない、と思う。
およそ邪気がない。
飾り気もなく、これがこの人の質なんだろう。
すごいな。尊敬する。
ワークで始終「赦し、赦し」と唱えながらも、電車で人に押されただけでも一瞬えっ!?と反応してしまう私。見習わなくては。
人は歳を重ねて成長する、っていうけど、そうとは限らないな。
いくら努めても、私はあの精神性には届きそうにない。
トップレベルでの勝負の世界にいながらも、そこから一歩離れれば謙虚でシャイ、無邪気。
それってやっぱりすごいことだなぁと思う。
トップになってもそのまま変わらないでいてほしいな、なんていうのは、まったく余計な杞憂だよね。
レッスン206―レッスン186の復習
ワークのダイアリーを書くつもりが、前段が長くなってしまった。
「(レッスン186)世界の救済は私にかかっている。」
えらく大げさな言い回しだけど、この理屈は、私には信じられる。
私自身の想念が映しだして見せてくれる世界なのだから、と思えば。
ただそう覚えていられるのは、自分が何かの渦中に入るまで。
渦中に入ったら、それが小さな渦でもたちまち飲まれてわからなくなってしまう。
「あなたはあなたの自己像のように弱くはない。」(L186-6-3)
今回改めて、レッスン186を読んで印象に残ったところ。
そうかな?
私は、学習し出した頃よりACIMの理解度は深まっているとは思う反面、仕事もしておらず社会的な立場がなく、逆に(社会的には)自信がなくなり萎縮している。だから、これが気になったのかな。
自信が持てず萎縮している自分というのは、ACIMでは「傲慢さ」となるんだろうか。
「聖霊が話すとき、あなたの自己像は自らの土台が崩れるのを感じて戦慄し、自分の知らない脅威に向かって攻撃しようとする。それが消え去るままにしておきなさい。」(L186-7-2,3)
聖霊の考えとエゴの考えはあまりにも違うから、私は今や両方のマーブル状だ(それとも、どちらでもなくまったく間違えたところに入りこんでいるのか…)。
どういう価値判断が正しいのかわからない(判断がエゴのものだとしても、それなくしてはここでやっていけない)。
秋口のせいか、揺ぐ。考えがまとまらないけれど、ともかく目先のマイプロジェクトを進めようと思う。