2018-07-27
亡き父と引っ越しPのつながり
改めて思い返すと、亡き父と今回の引っ越し(新居)には何かつながりのようなものを感じる。
前にも書いたけれど、新居は、父が私の家を建ててくれる夢を見たその日に見つけた物件だったから。そして自分で決めて手付金まで支払っていた物件をキャンセルして、この物件に決めるという流れになった。
また、旧居の売主さんが見つかってその引き渡しの最終契約日は、父が亡くなって丸三年の命日の翌日だった。共有者である母も臨席が必要だと言うことで、帰せずも母とプチ東京観光する機会にもなった。
ふと、
もしかしたら(本人たちにそのつもりがなくても)、母も私も3年間父の喪に服していたのかな、その喪が明けたのだろうか、
と思った(喪に服するといっても、ただ普通に生活していただけだけど)。
なんとなく、今回の転居に父の後押しがあった気がしてならないのだ。
「私の中で父を生かそう」と決意した3年前
父が腸閉そくで入院、ほどなく認知症も発症、介護が始まったのは、2012年のゴールデンウィークだった。それは振り返ればちょうど、私が『神の使者』と出会った頃でもあった。
その時は、自分の親が亡くなるということがまったく想像できなかった。
3年後の2015年6月、父が亡くなった時、私は「私の中で父を生かそう」と決意した。
父は演説が上手な人で(単に出たがりだったのか)、結婚式の司会やPTAの会長など町のいろんな役を頼まれる人だった。
やり手というのではなく、にこにこぼーっとしているから、妹に言わせれば「要するに、ゆるキャラ」ということだが。
そして、おっとりしているわりには、自分の意見をちゃんと言える人だった。
また、自分に利することでなくても、町の発展のために縁の下の力持ち的な役割をよくこなした。
そこで私は「私の中で父を生かす」べく、
1.人前で話ができるようになる
2.自分の理念を表す( ⇒私の場合はACIMという理念)
3.故郷に貢献する
という3つの柱を決めたのだった。
この3つ、今この日記を書くのに3年前のノートを引っ張り出して確認した。
あの時は「決意」したはずだけど、気づけば3つともフェイドアウトしてしまっている。
父はいまや聖霊とひとつになった
今回、引っ越しPと父のつながりについて思いを巡らし、その時の思いを思い出した。
亡き父は、今や聖霊さんとひとつなんだと思う。
今、ここに越して来られたことは、なにかしら聖霊さんの後押しがあったのだと感じる。
それが意味することはわからないけれど、当初の旧居から逃げるといったPではなく、もっと前向きな影響をもたらしている。
私の中で、お父さんを生かさなきゃな~。
私は顔が父に似ていて、小学生の時“お父さん似”とあだ名を付けられていた(PTA会長だったから、みんな父の顔を知っていた)。
父のよい質を受け継ぎ、この世で生かしたい。それはACIMに反することじゃないよね、と思っている。