西城秀樹さん逝く…かー昭和がまた遠くなった

2018-05-20

昭和の大アイドルだった西城秀樹

16日西城秀樹さん逝く、というニュースが駆け巡った。

言うまでもない、昭和のアイドルであり大スターだ。63歳だったという。

テレビでは西城さんの若かりし映像をたくさん流していた。

アニメ『ちびまる子ちゃん』のなかではまる子のお姉ちゃんがヒデキのファンだが、私はちょうどお姉ちゃんと同世代。

今よりずっと歌番組が多かったし、アイドルは今より距離が遠い憧れの存在だった。田舎の中学でも、女子の間ではいつも、ひろみ、ヒデキ、ゴローの「新御三家」の話で盛り上がっていた。

中でも西城さんは、情熱と活力に溢れ、ほんとうにパワフルだった。映像を見ながら遠い昔のことなのに、ふっとこの前のことのように思い出した。

西城さんはここ10年位は病気とそれに立ち向かう姿が取り上げられていた。

昭和がまた遠くなったー年取ったんだ、私。

この世で変化は必然だ。

姿かたちあるもので変わらないものはない。

古いものが去って、新しいものが現れる。

新しいものが現れ、古いものはやがて去る。

そして、それらすべては、そもそも幻想だ。

そうなんだけど。

この幻想の昭和の時代に育った身としては、やっぱり寂しい気持ちになる。昭和がまた遠くなった。

自分がいる世の中がどんどん馴染み薄いものになっていく感覚。

新しく現れるものに付いていかなきゃならないけど、付いていけず置いていかれる感。

未来に夢を実現しよう、というフレーズに、首筋がすっとする。

高齢の方は、私以上にそういった感覚を感じているのかもしれない。

一言でいうと、年取ったんだな。

子どもがいない私は、自分の子どもを通して未来を見るという経験がない分、過去に引きずられているのか。

今週は、『サンデーモーニング』の締めのコメンテーターをなさっていた岸井成格(しげただ)さんや、浅丘雪路さんの訃報も入り、ジブリ映画の監督、高畑勲さんの「お別れの会」のニュースもやっていた。偉大で影響力があった方々だ。

年上の方がいてくれて活躍してくれることで、心強い気がしていた。

寂しさは未熟さか

別れに寂しさを感じる。これも、神との分離という誤解を、この世に見ているのだろう。

私がもっとACIMを身につけることができたら、寂しさという感情も減るのかな。

この世の、それぞれの人も、神の子を分離したものとして見ているものだ。

それでも、この世のひとりひとり、個性と思えるものが、私は好きだ。その人と、その人生と思える、その織り成していくように見えるものに惹かれる。

私は私という幻想を通してこの世を見ているのだから、それもあたりまえかな。

書いているうちに、何書いているのかわからなくなってきた。

秀樹が死んでしまった、そういう世界に生きてる。みんな死んでいくんだな。

死は幻想だ。だけど幻想の中ではいずれ、みんな肉体を離れる。

人生はその一過性のもの。そうしたなかで、「私」をどう生きるかな。

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