2018-04-04
自称○○という怪しさ
4月に入って動きやすくなってきた。
正直言うと、私は恐怖に固まっている。今に始まったことではないけど。だんだん恐怖が強くなっている。
去年の夏?秋?から仕事らしい仕事をしていない。すでに自営業ではなく、「自称・自営業」になっている。
テレビのニュースなどで、犯人が「自称・○○」と言われているのを聞くと、ピリッとする。自称・エスティシャン、自称・経営コンサルタント、自称・整体師、自称・貿易業…。だれでも自称といえばまぁ自称のはずだけど、「自称」とつけただけで怪しくなる。
昔オセロの中島さんが“洗脳”されたとかなんとかいう騒動があった頃、洗脳したのは「自称・霊能者」の女性と言われていた。もう、これだけでヤバさが漂う。
決して、事件を起こすまい、巻き込まれまい。「自称・自営業」と紹介されたくない。
おカネを減らし続ける生活の「恐怖」
あ、話がずれたけれど、3、4年前からフリーランスの仕事が減り収入も減り、でもそれはちょうどせっせとACIMのワークをやっていた頃だから、時間に振りまわされるより、よしとした。ACIMの考えがなじむにつれ、経営支援の仕事はしにくくなった。大畑学さんの詳訳を見ながら原文を読むことに時間を費やし、元々内向的なのがさらに強まった。
気づけば、それが平生になってしまい、さらに諸々の状況が重なって、ありていに言えば、いま無職だ。
去年は過去にやった仕事の入金(印税等含む)、配当、株口座からの引き下ろし、預金口座からの引き下ろし等で、やりくりした。
おカネを減らし続ける生活は、やはり恐怖だ。
働かなくちゃ、と思うけれど、働くことに自信がない。体力面のことも(疲れやすく動きづらい)、精神面のことも。こんなことを言えているのは、まだ「余裕がある」のかもしれない。
働かなくちゃ、でもどういうキャラでいたらいいのかわからない
私はどうも、雇用され、時間を売るのが苦手だ。
おそらくどこか勤めても、その瞬間から辞めたくなるのではないか、と思う。フリーランスで働くのは不安定とは言え、拘束感が少なく楽しかった。
いやいや現実的にー
こんなわがままな私、
なんだったらできるのか。
昔、その昔には、私もいろいろバイトもした。飲食業、飛び込みの内装営業、家庭教師…
「若い女性」というペルソナがあったから、いろんなことにチャレンジしやすかった。
若い頃に遡らなくても、日本料理店のホール、夜間の派遣(通信教材の質問を受ける仕事)や契約占い師など、(多少ヘンテコな職種も)やったものだけどなぁ。
今は、どんな仕事も、私にはむずかしく思える。
あまりに、ひきこもりすぎて、社会が怖いのかもしれない。
私は誰として、社会に立てばいいのか。どういうキャラでふるまう?いやいや自意識過剰か。
主婦でも、母でもない。バツイチ独身のシニア女。元フリーランス。
自称・ACIM学習者。
ACIMを学習して、この世界の幻想性を身近に感じるようになった今は、逆に世間で気のきいた相づちを打つのもヘタになっている。
絵に描いた餅?、夢?
本当のところは、どこかに雇用されるより、何か小さくてもよいから、自分で収入を得られるしくみが作れないか、と願っている。これだけITも発達していることだし、交通・運輸も進化している。
がっちり儲けるのではなく、すれすれ生活が成り立つレベルでいいのだ。時間で働くのではなく、自分が稼げるしくみが作れないものか。そういうものが自分にあれば、故郷での生活や、あるいは東京との行き来も可能なのではないか。
それは、もう、ずっと何年も、何年も前から思っているけど、できていない。まず、そのための時間も十分にかけられていない。参考本を何冊か読むだけで、行動が伴わず。
ただ絵に描いた餅だ。
聖霊からのアドバイス
そんなこんなで、恐怖感が強くなっている、この春。
それに対する聖霊さんの声はー
ちゃんと聴きとれているのかどうか、わからない。
「焦るな、落ち着け。
姿勢を良くしろ。
感謝しろ。」
これが感じること。こんな命令形じゃないけど。そして、
「その恐怖こそ、手放すべき幻想だ。」
と。
私は、ACIMのコースからずれて迷路に入ってしまっているかな?
でも、もうちょっと様子見しようと思う。